自分の根底にある「公演」って何だろう。

「公演事業」を考えるうえで、「事業」の部分、お金をどう回していくかという観点について考える日々なのですが、一旦立ち止まって「公演」の部分を考えてみます。

僕の根底の「公演」とは何でしょうか。幼少期は市民ホールで子どもミュージカルに触れ、小1で劇団四季ライオンキングに釘付けになり、高校3年生でトニー賞のパフォーマンスに感銘を受けました。その影響で、西洋ミュージカルにどハマりし、大学生の頃にウエストエンドとブロードウェイ観劇という夢が叶いました。

一方で、演じる側に立った事もありました。僕が幼稚園・小学生のころ、児童劇団に所属していた姉の友人がよく家に遊びに来ていたのですが、そこで皆がハマった遊びが「即興演劇」でした。僕ら複数人の子どもが即興で芝居や歌や踊りを作り出し、何度かリハーサルしたあとに、親を呼んで座らせて、それを披露するというものでした。

その影響があったのか、小6の時の学校クラブ活動は「演劇クラブ」に迷いなく入りました。演劇好きの先生がその年にスタートさせたクラブで、5人の児童が一期生として冬に狂言「蝸牛」を体育館で公演しました。嬉しい事に主役をさせていただけたのですが、大きな拍手を貰えてとても嬉しかったのを覚えています。

その頃の僕の将来の夢は「小説家」。ハリーポッターやロードオブザリング、ダレンシャンやセブンスタワー、ナルニア国物語といった西洋ファンタジー児童書を読み漁っていたので、自分もこのような物語を書きたいと思ったものです。

今こうして振り返ってみると、自分の子供時代は、常に物語がそばにあったように思います。歌だったり踊りだったりというパフォーマンスよりも、何よりも「物語」でした。

しかし、新たな出会いが訪れます。中学3年生の6月、とあるニュースが流れたのです。あの「マイケルジャクソンの死」のニュースでした。その日以降、僕はマイケルジャクソン狂となったのでした。毎日PVを観ては踊って歌を歌い、ライブ映像を繰り返し観ては、その演出のかっこよさ、編曲の巧みさに興奮しました。

中学生という多感な時期、悩みも多い時期でしたが、家に帰ってマイケルと向き合う時間が僕をポジティブにしてくれました。

僕が大人になった今「公演事業」に拘る理由は、マイケルのエンタメをどっぷりと浴びたこの経験が大きいように思えます。

「物語」「音楽」「ダンス」「演出」。ジャンルレスなマイケルワールドは、多感な若者を救いました。これこそが僕が「公演事業」に拘る理由です。残念ながら生公演のマイケルとは出会えませんでしたが、画面越しでも凄まじいエンタメパワーでした。

ここで問いが生まれます。
僕は「公演」と言い続けているが、自分のやりたい事業に、映像・音声作品も含めるのか、という事です。

「生公演」ならではの破壊力(いい意味で)、これは誰もが納得するものでしょう。映像作品にはない魅力が生公演には詰まっています。
しかし僕の思い出には、映像越しのマイケル、テレビ越しのトニー賞パフォーマンスもしっかり焼き付いているのです。

だからこそ、僕は生も映像も大事にしたい。
僕が目指すものは、ジャンルレスなショー。ワクワクして前向きになれるエンタメ。

マイケルがそうであったように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?