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森を見ないで木を見よう~ちょんまげツンさん流ボランティア

「知ってますよ。サッカーの日本代表の応援してて、慈善活動してる人。(ちょんまげ姿の)目立つ格好だから有名です」
 即答だった。
 インタビューさせて頂くことが決まった時に、「サポーターのツンさんって人、知ってる?」とサッカー好きの知り合いに聞いた時の答えだ。ちょんまげに甲冑で無かったら、そこまで印象に残っていただろうか。ドンキの仮装コーナーで売っていそうなカツラと、手作りに見える甲冑は、周りに強烈な印象を残している。

 ツノダヒロカズさん、ちょんまげサポーター、通称ツンさん。QatarワールドカップFIFA公認ファンリーダーという肩書を持つ。組織委員会から東アジア(日本・韓国・中国)からただひとり招待され、 複数回カタールに滞在。現地の魅力や、観戦をする人のための有益な情報をSNSで発信し、ワールドカップを盛り上げている。更に、2011年の震災以来、サッカーのネットワークを生かした被災地支援や、海外の貧困な地支援、障がい者支援、講演会活動などをしている。
 本業は千葉県の靴屋さん。早口だ。声に張りがある。日焼けした顔色に、豊かな表情。ごく標準的な良きお父さんといった感じ。
 ところが、ツンさんの頭の上には、ちょんまげのカツラ。頭をぶんぶん振り回し、身振り手振りを交え、時に画面からはみ出そうな勢いで、「ワールドカップ」「支援」などの言葉を繰りしてくるので、こちらもつい前のめりになって聞き入ってしまう。ちょんまげとパワーワード。それがツンさんの戦略でもある。
 知ってもらうために目立つ。固定したグループを作らずにその都度、SNSなどからの呼びかけに共感した人を集め、終われば解散。活動資金はほぼ寄付のみ、という独特な形の支援活動は、国内に留まらず、ネパールなど、いまや海外にまで広がっている。

「ボランティアなんて、なんか嘘くさいとか偽善だろうとかって。(略)高校生とか大学生がキラキラしてやるもんじゃないですか」
 東北の震災がきっかけだった。靴店を経営していたツンさんが、現地に靴がないなら、持って行けば良いじゃないか、と積めるだけの靴を車に積んで向かった。
―当時は偽善という言葉を使いました。
照れ隠しでなく、一度きりの善行位の気持ちだったという。
 現地の子どもたちは、一日おにぎり一つで過ごしているような時期だった。たった一度、良いことをするつもりが、また来るよ、と言ってしまっていた。「目の前のお困りごとに対処していたら、気が付いたら十一年たってしまった」という。
 
 ところで筆者である私は、頻繁に泣く。
 ああ、かわいそうに。気の毒に。
 50を過ぎた辺りから、涙腺が壊れたのかと思うほど泣く。テレビやネットの記事で涙することがあまりにも増えた。子供や動物が絡むと、もう駄目だ。 
 親の介護や子育てが一段落した、と思った途端、世の中の理不尽さや不幸が、実感を持って襲いかかってきた。毎年の様に自然災害が起こり、戦争が起こる。あの子供達も、あの人たちも、あの犬も猫も、私は救えない。
次から次へと災害や事件は起き続け、助けを待っている人も動物も、続々増えていく。ツンさんが何故気持ちを保っていられるのか、不思議だった。
 「どうやってモチベーションを保っているんですか」
 「森は見ないで、木だけ見ようよ、って言ってます。知り合った子供や親子を笑顔にするんです」被災地の子供を元気付けるために数人の子供たちをワールドカップに連れて行ったりすることを、不公平では、という声も出たそうだ。「個人レベルで出来ることは限界がある。出来ることをやっていくしかない」とツンさんは言う。
 世界の紛争地帯などで活動されている国際協力団体の方の対談を聞いたことがあり、同じ質問に「たった一人でも救えれば」と、答えられていた。命懸けの任務でたったひとり。やりきれないだろうな、と思う。同じことなのだろう。やはりこうした辛さを抱えながら、自分を奮い立たたせるようにして、ツンさんは目の前の出来事に対峙しているのだろう。
「わたしが何かしたところで、きっと何も変わらない」「それならやらない」「見なかったことにする」という無関心を、ツンさんは恐れる。災害はいつか自分の身に起こることかもしれないし、事故にあって障がいが残るかもしれない。すべては他人事ではない。まさか自分が、という壁を壊したい、「支援の最大の敵は無関心です」と、ツンさんは断言する。
 
 家族も本業もある大人の男性であるツンさん。ご自身の年齢や体調も考慮すべき年齢になり、今後どのようにボランティアとして活動をされるのだろうか。
 ツンさんの今後の目標の一つは、やってきたことを自分だけの思い出にしないで、ボランティアの敷居を下げる為に言語化して残すことで、これは現在書籍を準備中とのこと。
 もうひとつは、誰でも出来るボランティアをやってみること。
 「募金だって良いんです。体という対価で払うのがボランティアで、お金という対価で支払うのが募金ですから」「一番良いボランティアは家族でゴミ拾いなんですよ。スキルもいらないでしょう」
 時折、ボランティアは若い人か、リタイアをした世代の方が多く、真ん中の世代が抜けていて、上の世代の高齢化で立ち行かなくなってしまう支援活動もあると、聞くことがある。動き始めた頃のツンさんのようなミドル層はどんな関わりが出来るのか。
 私自身、あまりの無力感に打ちのめされながら、それでもわずかな金額を募金したり、先方がお金に変えられるものを寄付したり、署名運動を拡散したりする。でもそれはどこか空しいことだった。やはり、身を粉にしてしないと、本当とは言えないのでは無いか。
 息子の同級生達が、年下の友人達が、さっと災害の現地に向かったり、きちんと学んだ上で、国際貢献のために海を渡ったりする。眩しい。それを眺めつつ、自分はお金を出して満足しているだけではないか、と言う気持ち。
 「募金でも良い」と、ツンさんは言う。正直、私は救われた。罪悪感を持たなくても良いんだ。自分で出来ることを、出来る範囲でやっていこうと思った。募金でもゴミ拾いでも、関わり方は色々あるとツンさんが提示することで、ボランティアの裾野を広げることに繋がるのだろう。
 「あと10年くらいは飛び回れるかな」とのことなので、その先に、また新しいツンさんが生まれるのかもしれない。

 しかし、その前に、大きなプロジェクトが待っている「トモにカタールへ」だ。女川・宇和島・球磨村などの災害を経験した学生達を、今年11月にカタールで行われるワールドカップに招待し、被災地の今を伝え、世界中からの支援に感謝する企画だという。今まで、「トモにブラジルへ」「トモにロシアへ」という企画が実行され、世界中から注目されるワールドカップの効果もあって、多くの取材を受け、反響があったという。被災地のことは時間が経てば忘れられてしまうし、継続した支援が必要と頭では分かっていても、どうしても関心が薄れていくことに対して、揺さぶりを掛けることが大事、そのためにはちょんまげと一緒で、注目を集めることが必要、というツンさんのボランティアに対する一貫した信念が形となっている。十一月に向けて、現在も支援を募集中とのこと。
 全ての子供達には夢を持って欲しい。辛い思いをしてきた被災地の子供なら、なおさら。ツンさんと共に現地に行ける子供達だけでなく、国内で経験を共有する子供達が、ひとりでも夢を持って、笑顔でいてくれて欲しい。私も胸を張って、出来るところから初めてみよう。

トモにカタールへ!!! | Smile for Nippon (wordpress.com)

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