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わたしを嫌いなひとなんている訳がない

 梨紗子はね、と必ず自分で自分の名前を口にするクラスメイトが、高校の時にいた。少し鼻に掛かった声で、当然みんなに受け入れられている前提でものを言う。特別可愛いわけでもなく、艶のない髪と、しまりのない足首をした平凡な子なのに、自信満々なのは何故か不思議だった。好かれてもいないが、嫌われてもいない、なんとなく力のある子の側にいるせいか、治外法権的に存在を許されているような感じだった。
 一度、女子高生にありがちな、たわいもない恋バナで盛り上がっている時、でも、彼には好きな子がいるんだよね、というクラスメイトの言葉に、「取っちゃえば?」と、当たり前のように言ったのが、忘れられない。まだ略奪愛などという言葉も無い頃で、その場にいる全員が、え、という顔をした。
 産休に入る先生に花束とカードを送ろうと言う話になった時、花束係を買ってでた梨紗子が綺麗でしょと持ってきた花束は、菊やマリーゴールドなど、色とりどりの花を一本ずつ束ねたもので、仏花そのものだった。家に仏壇が無くて知らないのだろうとも思ったが、高校生にもなって仏花を知らないと言うことは常識知らずにもほどがある。それを指摘するのも、なんだか年寄りじみている気がして、知らんふりをした。花束を先生に渡したのかどうかは、記憶にない。
 真里子を見て思い出したのは、何故か梨紗子のことだった。真里子はママ友の友達で、パン作りだか、アロマのサシェ作りだかを講師を呼んで習うという父母会の企画で一緒になり、家が近いことから親しくなった。
 四十代にして輝くばかりの美貌と抜群のスタイル、安物でもおしゃれに着こなすセンス、気遣いやマナーは完璧、人当たり良く、時折見せる抜けたところも可愛い。夫は優しく子供は出来が良く、最近は発酵食品を生活に取り入れる資格を取って講師となった。これから講座を開き、啓蒙活動にいそしむらしい。あのひと完璧すぎてなんか苦手、本音が見えなくて付き合いにくい、と言う人もいたが、非の打ち所がない、というのはこのことか、と感心するほどに完璧だ。それなのに、何故か梨紗子のことを思い出させる。
 そんな真里子がストーカーにあっていると聞いても、そうだろうとしか思えなかった。SNSで丁寧に対応しているうち、もしかして自分のことが好きなのか、と勘違いした男から脅迫めいたメッセージが来ていると聞いた。それを教えてくれたのは、真里子と仲良くしている別のママ友の一人で、なんか彼女、素直で人を信じやすいから心配だよね、今までも何度かそんなことがあったようだしと、さも案じてるふうに言いながら、好奇心が隠しきれていない。
 そもそも、新米の講師とはいえ、何故一般人の真里子がSNSに顔出しをしたり、個人情報を載せたりしたいのかわからないし、自宅は持ち家で、これから引っ越す予定もないのに、家でお教室始めるから来てね、などと誰にでも言えるのか良くわからない。
 「真里子さん、大丈夫なの?」
 偶然、駅前で週末に行われる青空市で真里子に会った。シンプルなシャツにジーンズでもスタイルの良さは際立っているが、疲れているのか目の下に隈が見えた。噂を聞いてから二週間ほど経っていた。その頃には真里子の講師デビューとストーカーの話がワンセットになっていて、周りで知らないものはおらず、更にそのことについて、父母会長の男性に個人的に相談してるらしく、たびたび夜の街で二人を見かけたと、ダブル不倫疑惑まで囁かれているのを知らないのは、本人だけだった。
 「あ、あのこと?うん、平気だと思う」
 「あまり無理しないで」
 「ありがとう。でも自分でなんとかできるから」
 「そう。それなら良いけど」
 「私を嫌いな人がいる訳ないんだよね」
 「え?」
 パンがなければケーキを食べればいいんじゃない、と言った女王のようだ。あまりにも無垢な表情はやはり梨紗子に似ている。
 青空市をどうやって後にしたのか、記憶が無い。
 庭の蜜柑の木がたわわに実を付けている。義父が生きていた頃は手を掛けていたが、今では手入れもせず、酸っぱいのでカラスも食べない。数日前、外国人女性がやってきて、落ちたものをもらっていいか、と聞いてきた。丁寧な英語だったが、英語圏の人ではないようで、スカーフで髪を覆っていた。どうそいくらでも、と私は言った。果汁を絞って赤ん坊に飲ませるという。そのときは一人でいたが、毎日カートに赤ん坊を載せて、このあたりを散歩しているらしい。そろそろまた、彼女が通るのではないか、少し蜜柑をもいでおいてあげようかと思って、ビニール袋を持って外に出た。知らない老婆が腰を曲げて無心に蜜柑を拾っている。わたしは怒りが込み上げ、老婆を捕まえて蹴り飛ばした。(了)

   

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