宇宙の灯台守
宇宙の灯台守
栗山 心
「緊急事態、緊急事態」
「地球に巨大な惑星が接近中。衝突推定時刻は五日後の午前九時四十五分」
サイレンが鳴り響き、無機質な声が異常事態を告げる。
「艦長、どういたしましょう」
「ええと、君は誰だったかな」
「クルーの田中です、艦長」
「うむ、田中くん。君のような女の子じゃ話にならんな。上の人を呼んで来なさい」
「私がこのエリア担当ですが」
「そうか。仕方ない。ひとまずここに乗組員を集めなさい」恰幅の良い体から押し出される、低く通る声。有無を言わせず相手を従わせることを日常にしている者だけが持つものだ。
「わかりました。皆さんこちらへ」
窓の外の地球を見ていた者や、部屋の中央の机でモニターを眺めている者、自室に居た者たちすべてに、ドールやクルーは次々声を掛け誘導した。田中は上司の安田を呼び、乗組員全員が揃った。
「艦長、安田が参りました。このままでは地球が爆発します。我々は何をすべきでしょう」
「激突だ」
「それは、この船ごと惑星に追突し、惑星の軌道を変えるしか方法は無い、ということですか」
「そうだ」
「宇宙防衛隊として、地球を守るのが我々のミッションです。喜んで犠牲になりましょう」
「そうだ」
「あと五日。そのために我々がすべきことは、心身共にベストな状態を保つことではないでしょうか」
「そうだ」
「そのためには、今、ラジオ体操の指示を」
「そうだ」
「分かりました、艦長。ラジオ体操第一開始」
激突まであと五日。デジタルの数字がゼロに向け、カウントダウンを始める。
「ラジオ体操第一、お疲れさまでした。汗をかいたところで、ドリンクwpxzをお飲みください。本日は火星のサボテン風味になっております」
「べええ」
柳田乗組員が一口飲んで吐き出した。異変を察して、一体のドールが素早く近づき、手早く処置をしているところに、wpxzで体が冷えたのか、ゆるゆると立ち上がり、トイレに向かう鈴木乗組員の後を、別のドールが追いかける。ドールには性別が無い。開発された当初はあったが、異性のドールに良い顔を見せようと争いが起きたり、性的な嫌がらせが多発したりし、ドールは性別を感じさせるもの一切が無くなった。今は型を抜いて作ったジンジャーマンクッキーのようなものが一般的だ。
「スペースシャワーのご用意をしております。順次お声掛けします。それまで、各自任務におつきください。シャワーのあとは、コールドスリープのモニターとして、キャビンに入って頂きます」
「コールドスリープ?」石井乗組員が声を上げた。
「眠ったまま、長い距離を移動できるようにする研究が現在進んでおります。それが可能になれば、宇宙の果てまでも行けるようになるのです。ぜひご協力を」
「息子の役にも立つのかい?」
「石井乗組員の息子さんは、コスモス銀行木星支店にお勤めでしたね。優秀な息子さんで何よりです。もちろん、息子さんの役にも立ちます。それにコールドスリープが可能になれば、もっと頻繁に面会に来てくれますよ」
「そうか、今すぐ、俺を寝かせてくれ」
傍に控えていたドールが、石井乗組員の手を取ってスリーピングエリアに誘導した。
「私は、夫に聞いてみないことには」車椅子の花岡乗組員が、小さく手を上げた。
「大丈夫です。ご主人から許可も頂いております」安田が見せるタブレットには、「妻はコールドスリープのモニターに参加可」と、夫のサインがあった。夫はとうに亡くなっているが、彼女の中ではまだ生きていて、財布を握り、妻の生活を管理している。彼女は未だに、夫に伺いを立てないと何も決められない。
「では皆さん、来るべき激突の日まで、規則正しい生活を送り、万全の体制で務めましょう。シャワーとスリープが終わったら、栄養補助のための食品PMLAを補給させて頂きます。本日はミーティングを挟んで、夕食は十七時、就寝二十時となります」
「ちょっと、安田さん、ファストパスを出したから、今週の艦長は私よ」派手な部屋着姿の老女が、しゃがれた声を張り上げた。
「山本さん、お出し頂いてはいますが、五分前に着替えてスタンバイしないと、パスはキャンセルになるのがルールです」
「聞いてないわよ」興奮した老女は、引き下がる気配がない。
「今日のところは、もう無理です。来週のクールは山本さんで行きますから。そうだ、水曜日の宇宙海賊ゴールド、やりません?それとも女海賊レッド?」
「ゴールドか、悪くないね。八十年不自由してきたんだ。女をやるのはもう、うんざりだよ」
「わかりました。ぐっと盛り上がる場面ですからね。お願いしますよ」
宇宙船の中って、本当にこんな感じなのかな。ああ、昔のSFに寄せてるのか。こっちから見ると、マジックミラーの向こう側は映画みたいだな。
「失礼いたしました。ちょっとした行き違いがありまして」安田と言う男は、ツーブロックの髪に手をやり、派手な火星柄のネクタイの位置を直した。コロナ前は飲食店のマネージャーだったという。夜の匂いがする。宇宙船内部に目をやりながら、イケアの応接セットに座る中年夫婦に向き直った。父親に介護が必要になり、慌てて見学にきた。父親は「介護は嫁の役割で施設なんてとんでもない」と思っているので、黙ってやって来たという。
「当施設はテーマパークにある、ファストパスのシステムを導入し、世界に、より没頭したい方は、待たずに参加できるようになっております」
「そうなんですか」
「ええと、どこまで話したんでしたか、最初からもう一度お話しますね」
家庭内殺人が多発した。嫁が舅を、息子が母親を介護の苦しみの末に殺した。家族が家で介護を担う、というのは法律で禁止され、自力で暮らせない老人達は、身の丈に合った施設を探して入る以外無かった。各介護施設は、慌てて定員を増やした。
主にバブル期以降に青春を送った彼らは、豊かさ故に選択の余地が多く、共通の体験や思い出、歌などを持たない。寅さんのDVDを観て、民謡や唱歌を歌い、塗り絵や手遊びをする昔ながらの老人ホームのスタイルでは入居者が集まらなかった。
一方、元々はラブホテルを経営し、やがて吸血鬼やドラキュラ、童話や神話と言ったコンセプトカラオケ、コンセプトカフェ、コンセプトレストランと呼ばれるテーマ性を打ち出した店舗をヒットさせたⅩ社は、コロナ禍の十年、客離れに歯止めがかからず、苦戦していた。テーマパークの元キャストや、仕事にあぶれた俳優たちを雇い入れ、リアル脱出ゲームなどの体験型アトラクションのノウハウを元に、小規模なコンセプト老人ホームを作ったところ、キャンセル待ちがでるほどの大人気になった。
「この世代の方は、テーマパークが日本に出来た頃に青春を謳歌していますからね」
「はあ。こちらを選ばれるのは皆さん、ご自分、それとも家族のご希望で入居されるのですか」
「半々ですね。自立した生活の出来る方は、やり残したことや、やってみたかったことを求めて入居されます。VRと経験豊かなスタッフ、真心の籠ったドールの手によって、このような施設が可能になりました。お手元のタブレットをご覧ください」
―思い出してください。あなたの夢は何ですか?―
「子供の頃の夢は灯台守でした。大人になる頃にはすべての灯台が無人化し、仕事に就くことが出来ませんでした。しかしここで、その夢が叶ったのです」宇宙空間を背に、灯台守としての生活を楽しんでいる、という老人の短い動画が流れた。
更に、クルーズ船、ゾンビとのバトル、ディストピアな世界、インドの王宮、大航海時代や江戸時代の暮らし、キャンプ場、カジノ、図書館、農園、オリエント急行、マンハッタンのコーヒーロースター、アメリカの学園ドラマ、返還前の香港、田舎の夏休み、古都、台湾夜市、バブル期のディスコ、ヨガスタジオ、リゾートスパ…。脈略無く次々現れるイメージ動画は、まるで映画配信サイトのトップ画面だな、と夫は思う。しかし宇宙の灯台守ってのは不思議だな。
「これが現在、日本中で展開しているすべてコンセプトホームです。中古住宅をリノベしているので小規模で、目が届きやすいのが特徴です。コロナの流行以降、海外旅行に行けなくなりましたからね、最近は、自発入居者様には、実体験の有無に関わらず、バックパッカーの宿を再現したホームが一番人気です」
「わざわざ安宿に?」
「ええ、リノベした建物を香港のチョンキンマンション風に汚しているので、実は手間がかかるんですよ。リアルでしょ?ええ、舞台や芝居のセットを作っている会社がやっています。入居者様には好評で、若い頃反対されて、一人旅ができなかったという女性や、ここからユーラシア大陸に旅立つから体を鍛えよう、なんて方がおられます」
「お元気ですね」
「そう、意欲的になられます。ずっと同じ世界にいるのは飽きてしまう、という方には、若干お値段は変わりますが、期間を決めてホームを変わるプランもございます」
「ご家族の希望で入居される方は?」
「もう一度生き生きした姿が見たいと、過去にお好きだったもの、得意だったものを選ばれます」マジックミラーの向こうでは、艦長役の老人が、一足早くコールドスリープから目を覚まし、車椅子の上で、ぎこちなく指を曲げ伸ばす動作を繰り返している。
「激突に向けて、上手く宇宙船を操縦出来るように、と自主錬されています」
あ、失礼、安田は船内でパソコンを覗きこんでいた老女がふらりと立ち上がったの見て、すばやく別室に誘導した。昔のホームの様に団体行動を強制しません、今の方は数学の専門家でしたので、衝突の軌道を計算していただいています。結婚と出産でキャリアを諦めることになったそうです。数学のことは正直、自分には全く理解出来ませんが。戻ってきた安田が笑みを浮かべた。
「五日でストーリーが終わるのは?」
「認知症の方は毎日忘れてしまいますが、そうでない方は話が進まないと飽きてしまうんですよ。スタッフが、新鮮な気持ちと緊張感を保てるからでもあります」
「なるほど。参考までに、ご夫婦で入居される方は、同じホームに入られるんですか」父の入居の次は、すぐに自分達の番だと思っている。妻もそう思っているだろう。
「いいえ、圧倒的に別々のホームへ。何故でしょうか、この年で独身の私にはわからないのですが」夫婦は気まずそうに俯いた。
「もしよろしければ、また見学にいらしてください。明日は先週亡くなった乗組員の宇宙葬、水曜日には宇宙海賊の襲撃、そして木曜は内部分裂騒動、金曜日はいよいよフィナーレ、激突となります」
「あの、本当に激突するわけではないですよね」唐突に妻が聞いた。
「もちろんです。医師の指導によるカリキュラムを、心拍数などを管理しながら、ナースの立ち合いの元にVRでリアルに体感できますが、一切危険はございません。ここは御覧の通り、民家をリノベした施設ですから」グーグルマップには、二年前の、外に洗濯物を干した古い一戸建ての姿が残っている。
「理解しているつもりなんですが、どうにも」
「ですよね。こんなご経験はありませんか。ホラー映画を観終わった後に、今生きていることにやたらと感謝したくなる」
「あ、あります」妻はホラー映画好きだ。
「振り幅が大きければ大きいほど、戻った時の気持ちの動きも大きいのです。それを日常に取り入れてみたのが、当ホームです」
「はあ」
「エンディングで流れる映像を見ると、毎週胸が熱くなります。テロップに並ぶ皆様の名前。皆様が地球を救ったのだと。誇りを取り戻してもらうのがうちの願いです」
あ、お帰りなさい、園田さん。ゾンビと、かなりやりあったそうじゃないですか。ナイスファイトです。ドールに付き添われて、外から来た老人に安田が声を掛けた。老人がどんな表情をしたのか、夫婦には見ることが出来なかった。(完)
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