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平和な国の不幸な僕たち

不景気、イジメ、凄惨な事件、芸能人の不倫、テレビやネットはたくさんのネガティブな情報を垂れ流し、それっぽいコメンテーターがそれっぽい事を言って称賛を浴びたり、炎上したり、もはや人の不幸はエンタメ産業だ。

それは、身近な社会、小さなコミュニティの中でも同様で、人の失敗や不幸話はいつだって暇人達の話のネタと化し、気がつけば怒りのエネルギーに飲み込まれ、もはや怒りの矛先はどこの誰に向かっているのかも分からなくなっている人達がいる。

そうした、インスタントな怒りの感情は、自尊心を保つための防衛反応であり、心理的に満たされていない人達はその感情を抑えることができない。むしろ、誰かを傷つける事で負の感情を他者に植え付け、そこに快楽を見出しているのではないだろうか。

原始の時代において、元来動物である僕たち人間は、肉食動物から身を隠したり、食料を捕獲したり、様々な危険の中で生命を繋いできたはずだ。そして、怒りや不安はその危険を回避するための本能である。

しかし、この国は平和だ。生死が隣り合わせに感じられない現代社会においては、動物としての本能から起因する漠然とした不安だけがつきまとい、それが何処から来ているものなのか説明がつかない。だから、弱い人たちはターゲットにされ、その怒りの矛先を向けられる事があるのだろう。しかしこれはループしていて、怒りは常に円を描いてまた自分自身に帰って来る。

願わくば、僕はこのループから抜け出し、肉体から開放され、日々穏やかに暮らしていきたいものだ。

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