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「ついでだから。」という考え方

私は、職場でも家でも「あ、この人絶対これやって欲しいと思ってるな。」と思う瞬間がかなりある。
気づいたらやってあげればいいじゃない。とすぐ思える人は心が広いのだと思う。私は、まず初めに「いや、でも私がやる必要は無いし。」という考えになる。

そこから、私の中で「やる・やらない」の葛藤を繰り広げ、「でも気づいたのにやらないなんて心狭すぎないか。」という結論になり結局やるのだが、最初から「やる」という判断には絶対にならない。もちろん、葛藤した結果「やらない」という判断になることもある。

これは完全に私の性格で、今更どうすることも出来ないのだが、きっと「心狭すぎでしょ。」「優しくないなぁ。」なんて周りから思われる違いない。

今朝も朝ご飯を彼より先に食べ終わり、先に自分の分のみ食器を洗っていると、彼も食事を終えて席を立った。テーブルには彼の使用済コップが置きっぱなしになっていた。そこで葛藤が始まる。「洗うべきか…いや、でも私は今日朝早く出勤しなければならない。彼にはまだ1時間ほど余裕がある…。なら、私がわざわざ気を使って洗う必要は…。」なんて考えていた。

そんな時、ふとこう考えればいいのではと思った。

「ついでだから。」

そう、「わざわざ」や「しょうがないから」ではなく「ついでだから」と考えるのだ。洗い物が1つ増えたくらいで私が遅刻する原因になる可能性は限りなく低いし、手間というほど手間でもない。せっかく洗剤のついたスポンジを持っているのだからこのまま洗ったほうが効率も良い。

仕事でもそうだ。相手が修正を行いたいファイルを私がたまたま開いていたら、そのまま修正点を聞いて修正してあげれば良い。

「わざわざ」や「しょうがない」というマイナスな考え方で行うと憂鬱な作業も、「ついでだから。」と考えることで、葛藤なくチャチャッと行うことができる。

それで相手に感謝されたら、なお気持ちがいい。
なんだ、全部「ついでだから。」でいけばいいのか。

もしかしたら当たり前にできることなのかもしれない。当たり前の考え方なのかもしれないけれど、そう気づいた今朝はいつもより少しだけ晴れ晴れとした気持ちで始まった。


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★PICTURE★
place:珈琲亭 ルアン
drink:ホット・モカ・ジャバ
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