見出し画像

【意見】自説は一面的なモノの見方に過ぎないというわきまえこそが、負い目のなさになり自信となる

世の中には、多種多様なモノの見方があります。

その見方の数だけ意見があるとも言えるでしょう。

それらの意見は、どれが正しくて

どれが間違えているのでしょうか。



ある一つの事象があります。

多くの人たちが、その事象について

虚心坦懐に同じ方向から見ることができれば

大抵の人たちの見方は一致するでしょう。



ただそこから、それぞれの人たちの

育ってきた環境、経験、それに基づいて養われた性格などの

諸々の要素によって、事象は一つでも、無数の意見が生じてくることになります。



また、現実には事象について

「こちらの方向からは特定の条件を満たす人しか見れない」

という制限があり、事象を多角的に見るということは

とても難易度が高い行為と言えます。



人の数だけ個性があり

人によって、事象を眺めることができる方向も限られています。

これは人の数だけ、その人が信じるに足る「事象に対する意見」があることを意味します。



人が完全に客観的な視点を得ることができれば

万人が普遍的に「正しい」とされる意見を共有できるのかもしれません。



ですが人は、それぞれが主観から世界をとらえて

とらえた世界を自身の内面で再構築して

それを眺めることでしか客観的な視点を得ることができません。



つまり「主観を通して得た、擬似的な客観性」でしか

客観的に世界をとらえることができないのです。



事象について、科学的な値が算出されていることでも

それをとらえる人の分析力や知識、値の意味づけの仕方などで

多様な考え方が生まれてきてしまいます。



上記のことを踏まえるに

地上の人間には、神の視点から見た客観的妥当性など知ることができず、

ひたすら己の信じていることを「正しい」とすることしかできない

と言えるでしょう。



どの意見が正しくて、どれが間違えているということではありません。

それぞれが、事象を様々な角度でとらえていて

そのどれにも、ある一面の真実が含まれているということなのでしょう。



神が見た真に正しい意見というものがあっても

我々には分かりませんしね。



なので、人が意見をぶつけ合わせる時には

「自身の意見とは、あくまで一面的なものだ」

というある種の謙虚さを持ち合わせることが大切になってきます。



それは、なにも自分の意見に、自信をなくせ…ということではありません。

一面的な意見しか持ち合わせていないというのは

相手も同じことなのです。

相対的には、みんなすべて分かっていません。

でしたら、あなただけ意見に自信をなくす必要はないでしょう。

ですが、同時に「一面的である」ということもわきまえていなければならないのです。



逆説的ですが、自身の意見について「一面的」と自覚していることで

「自分は自説についての妥当性を正確に把握しており、この議論に挑むに一切の負い目はない」

と自信を深めることもできます。



議論において問題なのは、自説について

「私の意見は、客観的に見ても一切の間違いはない」

と根拠のない確信を持っている人がいる場合です。



根拠がない…と書きましたが

その人は、自説に確固たる自信をもっています。

かつ、それが万人から見ても妥当なものだと思い込んでいて

根拠は十分…と信じ込んでいます。



ですが、人が世界のある一領域からしか事象を観察できない以上

意見には、必ず客観的な妥当性を欠く部分がでてきます。



にも関わらず、自説のみが絶対と正しいと思い込む

これこそが「間違えた」意見なのではないのでしょうか。



意見について「正しい」「間違えている」とは

事象そのものについて、正確に把握して

理知に基づき、隙のない意見を組み上げられたかどうかではなく



自説について

「この意見は、あくまで一面的なものである」

という暗黙の前提をわきまえているかどうか

ということなのだと思います。



意見そのものが「正しい」か「間違えている」かではなく

主張する人の問題ですね。



「議論とは、誰が、ではなく、意見そのものが大切だ」

という考えもあるでしょう。

もちろん、意見も大切です。

ですが「自説はあくまで一面的なモノ」というわきまえた考え方がないと

議論は無駄に紛糾する可能性があります。



「ここでぶつかっている意見は、すべて一面的なものであり、それぞれが少しずつ真実を含んでいる」
という前提を持つ者同士が話し合ってこそ、

一面的なモノの見方しかできない人間たちが

有意義な結論を導きだすことができるのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?