忍び寄る風邪に、僕は何度も
久々にやってしまった。
思いっきり風邪をひいてしまった。
娘から始まったこの風邪リレーのバトンは、次に嫁の手に渡り、そして満を持して僕が最後のアンカーを務めさせていただいた。
完全に走り切った。感無量である。…いや。何が感無量だ。二度とごめんだ。ちくしょう。
もう咳は止まらないし、鼻水は止まらないし、熱は出るし、体の節々は痛いし、寒気はするし、頭は回らないし。
もうまさに盆と正月が一緒に来たようだった。(使い方違う)
ところで、何故人は風邪をひくと心まで病んでしまうのか。
僕だけだろうか?
なんか、こう、必要以上に卑屈になってしまうのだ。
そうじゃなくても僕はそこそこのネガティブ思考である。
もはやネガティブ思考がチェックのシャツを着て歩いているようなものだと言っても過言ではない。
三十五年と少し生きてきて自己分析はそれなりに出来ているつもりではあるが、僕は追いつめられると開き直る。
そこからある程度は諦め「もういいや」と楽観的にもなれるのだが、そこに辿り着くまでが兎に角長い。
ウジウジ悩んで考えすぎるくらい考える。
こればっかりはもう性分ではあるし、どうにかできるものならしたいが多分無理だろう。
そしてそれに加えてやたら屁理屈をこねる。
屁理屈がチノパンを履いて歩いているようなものだ。年中似たような格好しててすみません。
人生が常に輝いて見えているようなポジティブ様に
「止まない雨はないよ☆」
とか言われれば
「でも降らない雨もないじゃん…」
なんて思ってしまい、
「明けない夜はない!」
なんて言われようものなら
「更けない夜もないよね…」
なんて思うし、更に
「明日があるさ♪」
なんて言われた日には
「明日もあんのか…」
と勝手に落ち込む。
非常に面倒くさい人間だ。
我ながら超鬱陶しい。
なんなんだこいつは。
しかし、よく考えてみて欲しい。
人生というものの大半は苦しいことや辛いことや面倒くさいことが占めている。
あなたが過ごした今日という一日もきっとそう。
笑ったり幸せを感じたりする瞬間も多々あるけど、その倍以上の時間は嫌な気持ちだったり、もしくは良くも悪くもない完全なる無の状態だったりするものだと思う。
「そんなことないよ、今日も一日すごく幸せだったもん」
なんて反論してくる方もいるかもしれないが、
そんな奴は、なんというか、多分だけど、
明日骨折する。
多分だけど。する。
というか、して。骨折。お願い。
世の中いい事ばかり続くわけがないのだ。
この考え方がそもそも僕の歪んだ人間性の根本なのではないかともちょっぴり思うが、でも限りなく真理に近いとも思う。
だからこそ。
そんな毎日だからこそ。
日々の小さな幸せを見つけ感じられるように出来ているのだとも思うのだ。
小さな幸せであったとしてもそれだって幸せには違いない。
毎日毎日つまんねー事やめんどくせー事も多々ある。
悲しい事や辛い事、ムカつく事もいっぱいある。
しかし、大人になってしまった僕たちは、そのすべてを華麗に躱し、受け流していくしかない。
もう溜まりに溜まった僕のストレスをdポイントに換算すると、完全無料でiPhone11に機種変できちゃうくらいなのは間違いない。(なんて現代的な例えだろう)
それでも帰宅して、お風呂に入り、家族で食卓を囲めば全部リセットだ。
そのポイントは翌日にも多少は持ち越されるけど、でも一旦リセットだ。
例え
「パパ、おしりたんてい、みえないよ!そこどいてよ!」
と娘に叱られようとも、
「パパ、髪の毛ちゃんとドライヤーで乾かしなさいよ!何度も言わせないでよ!」
と嫁に叱られようとも。
笑顔でそれに「はいはい」と応える。
そして「はいはい、じゃない!」と余計に叱られる。
それでいいんだ。
幸せは途切れながらも続くのです (スピカ / スピッツ)
その通りだと思う。多分。
さて。薬飲んで寝よう…。
お金は好きです。