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3.桜上水ロンリネス

やってしまった。いつかやるだろうと思ってはいたが、ついにやってしまった。
上り方面の最終電車である各駅停車の桜上水行きに飛び乗ったはいいが、しこたまお酒を呑んでいた所為もあって爆睡してしまい、終点の桜上水駅にて駅員さんに叩き起こされ、無情にも駅から閉め出された僕は分かりやすく頭を抱えた。桜上水なんて縁もゆかりもない。知り合いもいないし、何処になにがあるかもわからない。どうしよう。
タクシーを使うか。いや、ただでさえどれくらいお金がかかるか未知数な上に深夜料金まで取られちゃうなんてリスキーにも程がある。給料日前である。死ねというのか。またバンドメンバーに金を借りろと言うのか。情けなさ過ぎて、もう一週回って誇らしくもある。でもダメだ。却下。
じゃあ漫画喫茶で夜を明かすか。それもいいんだけど、明日もバイトがある。多少寝なくても大丈夫だけど、しんどいのはしんどい。どんなに帰るのが遅くなっても出来れば家の布団でちゃんと寝たいし、家でお風呂に入りたい。これも却下だ。
となると、やっぱ、歩くしかないか。幸い僕は男の子なので夜道を歩くことに抵抗はほとんどない。でもこういうご時世である。数千円の為に刺されて死んじゃう事件だってある。まぁ最悪、暴漢に襲われそうになったら、こうやって、こう捌いて、そんで上手いことこうやって、最後にとどめをドンでフィニッシュだ。シミュレーションはバッチリだ。妄想の中だけでは僕はスティーブンセガール並に強いので大丈夫だ。ガリガリのくせに。(今は違うけど当時はね)
自宅の最寄り駅であるつつじヶ丘駅まで七駅分。東京の一駅区間は短いのでなんとか歩けなくもない距離……なのか?わからないけど、とりあえずここで頭を抱えて蹲っているよりは遥かに建設的だとは思う。やむなし。採用。
「……よし」
もはや誰もいなくなった桜上水の駅で独り言ちた。それは覚悟と、諦めと、ほんの少しの冒険心が声となって零れ落ちたものだった。



道なんか当然わからない。地図も当然持ってない。まぁ線路に沿って歩いていけばなんとかなるだろう、という短絡的発想だけを頼りに夜道を歩く。深夜一時を過ぎた頃、隣駅の上北沢まで到達した。やはり意外と近い。季節は秋から冬へと移り変わろうとしている時期で、じっとしているには少々肌寒いが、こうして体を動かしている分にはちょうど良い。

東京都内とは言え、都心を少し離れるとそれなりに街並みも落ち着く。駅から遠ざかると更に静けさを増した。夜の街を僕の足音だけが響く。携帯を見ると時刻は早くも一時半に差し掛かろうとしていた。付き合っている彼女は寝ているのだろう。先ほどから返信がない。友達もほとんど寝ているはずだ。親も兄弟もそうだろう。自分以外に歩いている人もいない。今この街についている数少ない灯りも、その中に居る人も、誰も僕なんかに興味はない。

独りぼっちだ。

真っ暗な東京の夜で僕は独りぼっちだ。
なんだか唐突に孤独感に襲われて心細くなった。頼りない街灯の光が余計に寂しい気持ちに拍車をかける。自分でも不思議なくらい足が進まなくなった。立ち止まったってどうしようもないのに。自分は強い人間だと思っていたのに、たったこれだけのことでこうなってしまうなんて。それとも、今まで平気なふりをしていたけど、ただ単に気を張って無理をしていただけだったのか。
少しだけルートを変更しよう、そう思って大きな通りに出た。車が少ないながらも通っている。これで少しはマシなはず。

ポケットに手を突っ込んで、狭い歩道を歩きながらとりとめのない思考をいくつも展開させる。
なんだかんだ言って上京してきて数年間、なんとかなってきた。当初、全財産として十三万円しかなかったときは「これ、生き延びれるのか……?」なんて思っていたけど、とりあえずはなんとかなってきた。それはひとえに親から不定期に送られてくる物資の援助や、同居している友人やバンドメンバーの精神的な支えもあってのことだけど。それでも一応それなりに一人でやってこれたつもりになっていた。
それなのに結局このザマだ。深夜に夜道を歩いているだけで心細くなって、他人の運転する鉄の塊に安心感を覚えている。
ふと考える。
今、この瞬間に僕と同じように暗く長い夜に孤独感を覚えている人がいるかもしれない。この夜を越えられるかどうかの瀬戸際で歯を食いしばって、涙を堪えて踏ん張っている人がいるかもしれない。
そうだ、そんな人の為に僕は歌おう。そんな人の為に創作をしよう。
僕ならそんな人たちの気持ちもよくわかる。
無責任に背中を押すでもなく、冷たく突き放すこともしない。ただそっと寄り添い「独りじゃないよ」って言ってくれるようなものを作ろう。僕がそうして欲しかったように。僕が今そうして欲しいように。
今になって思えば「若気の至りだな」「おこがましいな」なんて思うが、そのときは本気でそう思った。

さっきまでと同じ夜道を歩いていたのに、ほんの少しだけ月灯りが明るくなったような気がする。沿線をつかず離れずで歩き続けて仙川駅が見えた。あと一駅。
「まだ頑張れる」
そう自分に言い聞かせた。


この数年後に僕は心身共に限界を迎えて音楽を辞める。
そして夢半ばにして力尽きた弱い自分に失望し、弱い自分を見切り、全部を捨てて逃げる。
それでもあの心細い夜道を歩きながら心に誓った想いは、武器を変え、形を変えて今も続いている。

……と、自分では思っているんだけど。どうなんだろ。



お金は好きです。