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幸運の総量は一定なのか?

Youttubeを開いたら、西野亮廣さんの、運についての動画がおすすめに出てきた。

きっと昨日、西野さんの本について少し書いたから、AIが拾ってきたのだろう。

この偶然もきっと運だ。(「運が9割」を前提に人生を再設計する、という動画です)


さて、昔天空のエスカフローネというアニメがあった。

そこに「幸運加速装置」というものが出てきた。

chatGTPに裏をとってもらったら、幸運加速装置でなくて「運命改変装置」だったらしい。


はて、そうだったか?確かに「幸運加速装置」も出てきたような気がしたが。

(詳しい人、教えてください。)

私の記憶が正しければ、幸運加速装置は、自分の持っている幸運を前借りして幸運を使用し、戦闘に勝利するために幸運を使う、というストーリーだったはずだ。先に幸運を使用してしまうのだから、後から不運が塊になってやってくる。その場の戦闘には幸運で勝利するのだが、その後不運にも命を落としてしまう、みたいな設定だったと思う。


最近、運を味方にするとか、運を技術で良くする、みたいなことを言っている人が結構いる。

幸運を導いてくれるのは努力だろうか?それとも全体量は変わらず前借りしていることになるのだろうか?


人間万事塞翁が馬のように、良いことが起こったら悪いことが起こり、その逆もあるだろうか。


最近考えていることです。

結論は出ていません。きっと一生考えていくことでしょう。

運の正体がわからない、得体の知れないものなので。

皆さんはどう考えますか?

毎日投稿23日目


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