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そば発祥の地で新そばを/発見された江島の墓/伊那市

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★城郭 高遠城

 高遠というと城跡の桜が有名だが、ここはあえて蕎麦を取り上げたい。それは高遠を含む伊那が、和食を代表する食べ物、蕎麦の発祥地だからだ。
 高遠の桜はコヒガンといい、群生地はここだけ。ソメイヨシノより濃いピンク色の花弁が美しい。春の桜祭りは大変な人出だが、毎年秋には城址公園で「新そばまつり」が開かれる。発祥地の新そば。蕎麦好きには見逃せない。
 現在、文字での日本そば(蕎麦切り)の最も古い記録は、高遠のある伊那谷から山一つ隔てた木曽谷の大桑村のもので、1574年と特定できる。他の伝承などからも、麺状の蕎麦は南信州で16世紀ごろ生まれたらしい。
 平安貴族には「食べられたものではない」と酷評された蕎麦だが、麺になると武士の間でもてはやされ、江戸時代初期に高遠藩主となった保科正之は特にこれを好んだ。のち正之が山形藩主や会津藩主になると高遠のそばを持ち込み、このため今でも会津の大内宿には「高遠そば」が名物として残る。大名の転封や参勤交代が、江戸時代に全国に蕎麦を広める契機になったようだ。兵庫県の出石そばも、上田から転封された仙石氏が持ち込んだともいう。

展望

       城から見える中央アルプス

 本来の高遠そばは焼き味噌とおろした辛味大根、刻みネギを合わせたものに蕎麦切りを浸して食べる。江戸時代以降に醤油が普及する以前の食べ方を残すもので、高遠の山間部では今もこのように食べる。
 「新そばまつり」では多くの出店が出て、城内の一角の高遠閣などで新そばが振舞われる。目の前で打ったそばのゆでたてが出てくるのだがらうまくないわけがない。高遠城下など周辺には10軒ほどの蕎麦屋があり、そこで高遠そばを食すこともできる。
 実は蕎麦祭りは「高遠城址もみじ祭り」のイベントの一つ。桜に劣らず高遠城址は紅葉も見事なのだ。紅葉を楽しみながらすする新そば。代え難い幸

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