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ゼロから始める!廃線跡探訪のススメ


前回の記事では(奥)能登地方の道の駅をピンポイントに取り上げましたが、今回は地域を限定しない記事になります。日本全国に点在する廃止された鉄道の跡、「廃線跡」について、その魅力と見方を紹介していきます。かなり長いですが、一番最後に家にいながらできる廃線跡探訪の仕方も紹介していますのでご覧ください。

※なお廃線とは廃止された鉄道のことを指すのが一般的ですが、ここでは実際には使用されなかった鉄道の構造物の跡についても廃線跡に含むこととします。なんだよそれ、と思われるかもしれませんが、案外これに該当するものも日本にはちらほら存在します。いわゆる「未成線」と呼ばれるものです。具体例はのちほど解説します。また特記なき場合は私の撮影した画像ですので、二次利用はお断りします。

廃線跡の魅力

では、廃線跡の魅力とはどんなものなのか、一端に触れていただきましょう。おそらく廃線跡にハマるのは、高速道路や工場に惚れる構造物フェチや、地形に興奮するタイプの方なのではないかと思います。

まずは廃線跡として今一番有名であろう、北海道のタウシュベツ川橋梁を紹介します。私自身は行ったことがないので、以下の二枚はWikipediaより画像を借りています。

タウシュベツ川橋梁は、北海道の士幌線(廃止)の橋です。この橋自体は1955年に使われなくなっており、もう60年以上たっています。ダム湖にあり、時期によって完全に水没することもあり風化が激しくなっています。

うまく言葉にできないのですが、昔はここを鉄道が走っていたんだ!と想像するとなんか良くないですか?!(ボキャ貧) 私自身はこの写真見ながらうっとりしているところです……。

続いて自分で訪れたところとして姫路市営モノレールを挙げます。1966年の開業からわずか8年で休止、1979年に廃止された幻の鉄道です。現在でも橋脚や軌道桁が各地に残っています。50万都市の街中にもかかわらずいまだに残されているということは、撤去して得られる利益よりも撤去にかかる費用が高く、すなわちモノレールの強みである「広い面積を要さず建設できる(したがって撤去しても得られる更地が少ない)」ことを表しているのかもしれません。

往年の姿がそのまま残っています。今にもモノレールの車両がやってきそうなところに、廃線跡の魅力が詰まっています。

モノにもよるのですが、廃線跡は戦後のものが多いため(1987年の国鉄民営化前後に廃止された鉄道が多いです)、明治維新や戦災の影響を受けておらず、たとえば城跡などと比べてはっきりと残っているものが多いのも特徴かもしれません。


廃線跡のパターン

廃線跡の魅力は伝わったということで(?)、ここからは廃線跡をある程度パターン分けしながら見ていきます。ひとくちに廃線跡といってもいろいろあるわけです。

まず大きく分けて、昔そこに線路があったと「見てわかるもの」「見てもわからないもの」にわけられます。たとえば上のタウシュベツ川橋梁は構造物が残っているので「見てわかる」一方、当然ですが構造物がなければ「見てもわからない」。ある意味当然の分け方です。

しかし「見てわかるもの」のいっても、たとえば線路がそのまま残っているものなどは「明らかに鉄道があったとわかるもの」ですが、たとえば線路のあったところがそのまま道路になっているものなど、「鉄道があったと知らなければ見てもわからないもの」もあります。そしてこれらの間には「よく見るとわかる」「知らないとわからない」などグラデーションがあるわけです。

そこでこの記事では、上のように「見てわかるか」を一つの基準としながら、廃線跡を大きく5種類に分けてみます。①放置 ②遊歩道・公園 ③道路・住宅地 ④更地 ⑤再開発 の5種類です。この分け方は決して一般的なものではないですし、また見てわかるかどうかの度合いと完全に一致するわけではないこともご承知おきください。なおこれらのほかに廃線跡を鉄道として活用している例(嵯峨野のトロッコなど)もありますが、ここでは扱っていません。


廃線跡パターン①放置

放置とはその名の通り、鉄道が廃止されて(ほぼ)そのままの状態で残っているものを指します。鉄道の廃止後、その設備を撤去して更地にするのには当然お金がかかります。わざわざ撤去し土地を再利用しない場合に、この放置のパターンになります。なお、ほぼすべての場合において再利用が可能で価値の高いレールは撤去されていますが、レールが撤去されているケースもこの放置に含みます。

例として、島原鉄道線を挙げます。島原鉄道線は長崎県にあり、現在でも運行されている路線ですが、末端区間にあたる島原外港~加津佐駅間が2008年に廃止されました。2019年2月に訪れたのは、このうち島原外港駅から1駅隣の秩父が浦駅。住宅も点在するエリアに、ポツリとホームが放置されています。

また踏切もご覧の通り。

線路がここにあったんだということが見てわかるタイプというのがお分かりいただけるかと思います。


放置のパターンはほかにもあります。ここまではっきりはわからないものの、宮崎県の高千穂鉄道高千穂線をご紹介します。もと国鉄の路線として開業し、JR九州、第三セクターを経て、2005年の台風で大きな被害を受けて2007年から2008年にかけて廃止された鉄道です。今回紹介するのは2018年2月に訪れた延岡駅周辺の様子。


道路(上の地図の県道16号線)を挟んで手前と奥にある台形のような土地。これが鉄道の盛り土です。

同じ地点から反対側を撮った写真。長く連なっているのがわかります。これがここから400m程離れた延岡駅まで続いていきます。

こちらは延岡駅に近づいたところにある踏切。盛り土を乗り越えるため斜面のようになっています。

踏切上部の様子。アスファルトで埋められていますが、まっすぐ伸びていくバラスト(線路の砂利)は、昔底に線路があった名残です。奥にあるのは今も使われているJR日豊本線の線路。

逆から見るとこんな感じ。左側から中央奥に向かって線路跡が伸びている様子がわかります。

ここでは二例の紹介にとどめますが、放置パターンは多くの要素が残されている点で廃線跡の中でも花形といえるかと思います。もっとも見てわかるタイプの廃線でしょう。


廃線跡パターン② 遊歩道・公園

放置と同等に「廃線跡」であることはわかりやすいものの、わかりやすい要因が人為的に作られているパターンです。すなわち、廃止された鉄道の跡地を積極的に活用しているタイプを指します。たとえば鉄道公園のように廃止された駅や線路が活用されているケースです。

たとえば山野線。熊本県の水俣駅から鹿児島県の栗野駅までを結んでいましたが、1988年に廃止。その後、熊本県内の区間は線路跡を舗装し、全長13081mの歩行者自転車専用道路「日本一長い運動場」となりました。2019年2月に訪れたのはこのうち水俣駅~東水俣駅間。新幹線の新水俣駅でレンタサイクルを借りて走りました。

水俣駅の北側、現在は第三セクター肥薩おれんじ鉄道線(旧JR鹿児島本線)となっている脇に遊歩道があります。運動場というだけあって準備運動の看板もあり、実際ここを走っている人は何人かいました。車がいないので安全に走れるいいコースですね。

右の道路が山野線跡、奥に向かって左カーブする線路が肥薩おれんじ鉄道線、奥にある高架橋が九州新幹線。廃線・在来線・新幹線がそろい踏みする珍しい光景。

東水俣駅跡。建物は当時のまま。左側の道路が旧線跡です。

左側の階段は、鉄道が走っていたころ道路からホームに繋がっていた階段。このあたりは「放置」の要素も入っているかもしれません。


山野線のほかに紹介するのは2019年2月に訪れた高森トンネル。これは廃線ではありません。熊本県の阿蘇地方、立野駅から高森駅を結ぶ南阿蘇鉄道高森線は現在も運行されていますが、高森トンネルは終点の高森駅から少し東に行ったところにある、建設はされたが使用されていない未成線の一部です。これは先ほども紹介した高千穂線とも関係があります。かつて、熊本県の高森駅と宮崎県の高千穂駅を結ぶことで熊本駅~立野駅~高森駅~高千穂駅~延岡駅(~宮崎駅)を一本で結ぶ計画があり、高森トンネルはその一部として建設されていましたが、建設途中に出水事故が起きたことで結局計画は断念に追い込まれました。現在トンネルは高森湧水トンネル公園として整備されています。

地図でも線路の延長上に細長く公園があるのがお分かりいただけるでしょうか。

トンネルの中には水が流れています。

途中にはトンネル作業員の退避スペースのようなものもあり、鉄道トンネルとして整備された面影があります。

最奥部。壁からは大量の水があふれています。トンネルを断念に追いやった出水は今なお続いていて、南阿蘇鉄道のHPによればその量は毎分32トン。


もう一つ遊歩道・公園パターンを紹介するのは、島根県の大社線大社駅。これは上の二つに比べると「保存」の要素が強く、①の放置のパターンとの中間くらいに位置するのですが、跡地を積極的に活用しているということでここで紹介します。大社とは出雲大社のこと。かつては出雲大社の玄関口として日本全国から大社駅行きの列車があったという大きな駅でしたが、出雲大社から若干遠く、別の私鉄やバスのほうが利便性が高いということで1990年に廃止されました。廃線跡はあまり残っていないのですが、大社駅はしっかりと保存されています。

バスの通る道を一本入ると重厚な駅舎がお出迎え。

駅舎の中もしっかり保存されています(駅員を模したマネキンも置かれています)。時刻表には、見えづらいですが出雲市駅で接続する列車も書かれていて、特急おき号小郡行き、急行だいせん大阪行きなど今はなき列車や駅名も残されています。

駅舎の外にはホームも残されていました。線路や機関車まであり、公園と呼ぶにふさわしい演出。かなり一般受けするタイプの施設ではないかと思います。

遊歩道・公園タイプについて3パターン紹介してきました。日本一長い運動場については地元の運動スポット、高森湧水トンネルについてはライトアップもされていてデートスポット、また大社駅については観光スポットと、鉄道とは縁がなくても楽しめるような場所に転換されているところに、放置パターンとの違いがあるといえるでしょう。


廃線跡パターン③ 道路・住宅地

これまでの二つに比べて一見するとわかりにくいのがこのパターン。線路の敷地をそのまま別の用途に転用したものです。典型的には道路になっているケースが多いです。上の遊歩道タイプとの違いは、遊歩道は基本的にもともと鉄道があったことを活かした人集めスポットとすることに主眼が置かれているのに対し(例外あり)、道路は廃線を意識せず利便のために道路に転用しているということでしょう。

実はあまり例はありません。廃線跡は細長く、遊歩道にはなっても車道にするには幅が足りないことが原因でしょう。ただし道路として活用されている例としてはバス専用道路があげられます。福島県の旧白棚線、茨城県の鹿島鉄道や日立電鉄の跡地の一部はバス専用道路に転用されました。以下は白棚線で、Wikipediaから借りた写真です。

このバス専用道路への転用は、東日本大震災で不通となった東北の一部路線でも活用されています。2018年3月に訪れた気仙沼駅の写真です。

線路幅くらいの道路が伸びているほか、残存している線路と並走していること、バス停がホームの形状をしていることがわかります。鉄道に比べ車両コストや運転者の育成が容易なこと、需要に合わせた柔軟な運行ができることがメリットです。

【2019年4月27日追記】4月20日に石岡市の鹿島鉄道跡を訪れました。こんな感じでバス専用道になっています。

またイレギュラーな例としては線路跡が住宅地に転用されたケースがあります。JR常磐線亀有駅近くにある、かつて日立の工場への引き込み線があったところです。こちらは航空写真が最もわかりやすいかと思います。

左側の亀有駅と右側の中川のちょうど真ん中あたりに注目すると、

ほかの住宅の並びと明らかに異なる並びをしている住宅があるのがお分かりいただけるでしょうか?南西から北東方向に住宅が連なっている様子がわかります。これはもともと鉄道があったところにそのまま住宅ができた跡です。あまり多くないケースですが、線路があったことをうかがわせます。


廃線跡パターン④ 更地

鉄道の施設をすべて撤去したもののそのあと土地を利用しなかったケースです。わざわざ施設を撤去する以上、土地を利用しないということはあまりありませんから、これは実例が多くありません。放置との違いは明白ではありませんが、放置は路線の跡がはっきりわかるのに対し、更地は跡がわかりにくいという差はあるでしょう。適当な例がないので、ここの紹介はのちほど。


廃線跡パターン⑤ 再開発

いわゆる「跡形もない」状態。鉄道が廃止されたあと区画整理が行われたり大規模に開発されたりして、鉄道の面影がなくなっているものを指します。大都市圏などで多く見られます。実際に訪れたのは沖縄県営鉄道。2019年3月に訪れました。戦前の沖縄には鉄道が走っていましたが、沖縄戦の前に休止、その後沖縄戦や米軍の接収で破壊され、今はほとんど痕跡がありません。

米軍嘉手納基地のすぐそばにある県営鉄道嘉手納駅跡。

嘉手納駅跡、という石碑のみが目印で、周囲は土地利用も含め変わっており、面影はありません。石碑がなければ訪れることも難しいでしょう。


各パターンの混同

さて、ここまで5つのパターンに分けてみてきました。そもそも5つのパターン自体分け方は曖昧ですが、同じ路線でも全ての区間が一つのパターンにあてはまるわけではありません。ある部分は放置、ある部分は遊歩道など、様々なパターンが混同しているものもあります。ここではのと鉄道能登線を例に挙げます。能登線は石川県の穴水駅から能登半島の先端・珠洲市の蛸島駅までを結ぶ旧国鉄で、JR西日本を経て第三セクター化し、2005年に廃線となりました。

まずは珠洲市の鵜飼川にかかる橋梁付近です。

航空写真でもはっきりと見て取れる橋梁。典型的に放置のパターンです。橋の上は雑草が生い茂っています。橋の前後も線路跡が放置されていますが、橋の南側には家が建っており、部分的には住宅地への転用も行われているようです。

続いて旧珠洲駅。

こちらは駅のホームが残っている、典型的な公園パターン。このホームに隣接してかつてのロータリーがあるほか「道の駅すずなり」も併設されています。道の駅すずなりについては前回も少しご紹介しました。

一方ホームから東側に目をやるとこんな光景も。

ご覧の通り更地です。よくよく見てみると、写真の真ん中あたりに黒っぽい棒が立っているのがわかるかと思いますがこれは鉄道の信号。わずかな遺構から、ここが鉄道の跡地だったとわかります。これは珍しい更地のタイプ。

とこのようにいくつかの要素が混ざって一つの路線の廃線跡を構成していることがわかります。


家でもできる、廃線跡探訪

ここまで書いてきたのは廃線跡のパターンと具体的な例についてです。私自身まだまだ実地で見たものは多くないのですが、代わりに普段からやっていることがあります。それは航空写真による廃線跡探訪です。

すでに若干紹介していますが、廃線跡は航空写真でたどることができます。とくに放置されていたり遊歩道・道路として転用されていたりするケースであれば、路線の形がそのまま航空写真で確認できます。わかりやすい例として、高千穂線を挙げてみましょう。まずはご自身の地図アプリ等で延岡駅を見つけてください。大きい駅なのでわかりやすいかと思います。航空写真を見てみると、駅の北側で鉄道らしきものが二手に分かれているのがわかるでしょうか?この西側が旧高千穂線の廃線跡です。途中わかりにくくなるところは地図を拡大するとわかるかと思います。

こんな感じ。

今回紹介したものだと、山野線やのと鉄道、島原鉄道などもわかりやすいです。地図で廃線をなぞるだけですが、ハマると結構時間食われます。


最後に

廃線跡の探し方について最後に紹介しておきます。私はだいたいWikipediaで廃線記事を探してMapでなぞってみて、という順番でやっているのですが、たまたま街を歩いていたり、マップをスクロールしていたりする中で、もしかしてこれは廃線ではないかと気づいて調べるのも謎解きのようで面白いです。

なお、廃線跡は鉄道会社の私有地であることも多いですので、立入可能かしっかり確認しましょう。またカメラを向ける際もトラブルにご注意ください。

ご支援賜われましたらこれ以上の喜びはありません!