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城崎温泉・豊岡旅行記 その3 出石編−2

↑前回の記事

出石編の続きである。

さて、家老屋敷を出ると、この日のメインである城攻めである。
筆者の地元付近にも城跡はあり、これまでの旅行でも数々の城跡を見てきた。楽しみである。
筆者は、一路橋を渡り門をくぐり石段を登り抜き、かつてその土地の象徴的存在があった高台へと向かったのだ。


稲荷神社脇から出石を一望できる
出石城跡の説明書き
稲荷神社への階段

出石城跡
1604年、小出吉英によって有子山の麓に築城された平山城です。但馬の小京都と呼ばれる出石は、この城の築城とともに整備され、五万八千石の中心として発展してきました。野面積みの石垣は当時のまま残り、隅櫓、登城門、登城橋が復元されています。城郭の最上段からは、出石城下を一望することができ、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は一面の雪景色と、季節ごとにさまざまな景色を楽しむことができます。

豊岡市観光公式サイトより


まさに伊豆市の中心地として構えていたのが出石城。本来は城の背後に聳える有子山に山城が建てられていたようだが、後に山の麓に移し替えたようだ。今でも有子山城跡として観光地の一つになっているが、そこはもちろん山道を登っていかなければ辿り着けない。半日観光で行くような場所ではない。
とはいえ、出石城跡地もそこそこの階段を登らなければならないが。
城の脇には、城よりも高台にある稲荷神社に続く階段があり、これも結構な体力を求められる。その代わりに、出石景観を一望できる。そこまでの階段も、山道と幾つもの朱色に染まる鳥居のコントラストが少し異界に迷い込んだかのような不思議な空気を醸し出し魅力的にも感じられる。非常に爽快な眺めと位階に紛れ込んだかのような雰囲気が交わるエリア。体力を削ってでも行く価値はある。

かなりの階段を登ることになるが、むしろこの階段を登らなければこの景観は拝めないわけであり、拝む価値は十分あるものだ。夏場の階段はかなりきついものがあったが、涼しい時期を選んで高台から一望して国をとった気分に浸って欲しい。


辰鼓楼

出石のシンボルにもなっている辰鼓楼。
時計台である。明治4年に建てられた時はまだ太鼓で時を案内していたが、明治14年になり蘭方医、池口忠恕によって大型時計が寄贈されたとか。
この写真の時計は3代目である。


皿そば巡り
一軒目 近又さんの皿そば
近又
二軒目 官兵衛さんのそば
官兵衛
三軒目 如月さん
そばボーロが付いてきた
この通貨一つで1店舗3皿楽しめる

そして、出石といえばなによりも、『出石そば』だろう。

出石そばの歴史

江戸時代中期の宝永3年(1706年)に出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)がお国替えとなりました。
その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生しました。

現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われています。

その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立されました。

今では、出石は約40軒ものそば屋が並ぶ関西屈指のそば処として知られています。

但馬國出石観光協会HPより

出石そば、つまりは皿そばだ。
皿そばとは、手のひらサイズの小さな小皿に一口〜二口程度のそばが持ってあり、最初にその小皿を何枚かオーダーする形式である。もちろん、途中で追加してもいい。わんこそばとは違って、自分のペースで食べられる。人によっては30以上食べるようであり、最初に入ったお店では隣にいたお兄さんは30皿達成してお店に名を残せていたようだ。
(おそらく、最高記録はもっとすごい数字だろう)
他のそばと同じでつゆにつけて食べるのが基本だが、その他に塩や卵、とろろにつけて食べたりもする。
筆者も初めて塩だけでそばを食べてみたが、これが案外いける。つゆをつければ当然つゆの味が勝るが、塩だけだとそば本来の味が生きてこれもまたアリに思えた。とはいえ、筆者の好みはとろろだが。卵はもちろん美味いが、早めに使うと胃が重たくなるので、たくさん食べたい人は塩で攻めるのがいいかもしれない。
また、出石にはずいぶん多数のそば処が出店していて、各店舗でからさなど出汁の味が違うようだ。観光案内所ではそば巡りの専用硬貨が売っている。1店舗3皿を楽しめ、3店舗まで選べる。もちろん、3皿の後に追加オーダーしても構わない。筆者は最初の店で5皿追加した。

最初に訪れた近又さんは人気店らしく、行列もできるみたいだ。並んでいない時間に行けたのは筆者の運の良さか。
しかし、件の通りに各店舗でだしの味が違ってくる。それぞれに好みがあるだろうから、そば巡りサービスを利用して幾つか巡ってみることをお勧めする。


出石資料館
この日は浮世絵が展示してあった
欄干の上には富士山が聳え立つ
大きなのっぽの古時計
蔵まである
蔵の中も展示品が並べてある
老舗の酒蔵『出石酒造』の外観



そばを食べ終えた頃には、もう15時を大きく回っていた。
この日も夜には演劇鑑賞の予定があるため、もはやゆっくりとはしていられない。
急いで残りの目的地に向かう。
出石資料館だ。

ここは、明治時代に生糸を商った豪商の旧邸を利用した資料館。出石藩ゆかりの様々な資料を展示してある。
入って炊事場のような場所から上がり込んでみると、まず出迎えてくれたのが広々とした畳の間に並ぶ浮世絵の数々。襖一枚分の大きさであり、それがずらりと並ぶ空間は圧巻であった。
また、この邸宅も非常に広々としていて現代の一軒家と違い遥かにゆとりがあり、いるだけで落ち着く。

2階 襖を開放するとこんなに広々としている

さすが豪商の邸宅だ。
欄干には見事な富士山が彫られており、立派な時計も設置されている。また、大きな蔵までが備わっている。当時のお金持ちの暮らしが想像できる。


最後に出石酒造酒蔵にも訪れてみた。
ここは、中に入るわけでなく外観だけを眺めてみる。土壁独特の色合いが味わい深い。どうやら、この土壁は天候によって見え方が変わるらしい。この日は曇り空だったが、晴れていたらまた違った光景がそこにあったのだろう。

そうこうしている間にも、時刻は16時。
そろそろ出石を離れなければならない時間が近づいていた。
観光案内所でお土産を眺めつつ(涼みつつ)、バスの時間まで調整し、再びバスで豊岡駅まで戻る。


そして、昨日に続き芸術文化観光専門職大学へ。
この日の演目は、範宙遊泳の『バナナの花は食べられる』でしたが、それはまた別の話。


ちょっと健康を意識してる

観劇後はホテルに戻り、手っ取り早くコンビニ飯。
そして、長い1日が終わるのである。



2回にわたる出石編、どうだっただろうか。出石藩の家老や豪商の暮らしがうかがい知れ、なおかつ城跡の上から出石を一望し土地を取ったかのような気分に浸り、そばに舌鼓を打った。おまけに美術鑑賞まで。
江戸時代におけるその土地の暮らしぶり(主に武家の暮らし)が実にうかがい知れた一日である。
旅というのは非日常を味わうことに醍醐味がある。江戸時代の暮らしは過去の日常であったものの、現代人にとってはもはや非日常。そんな非日常を存分に味わえる街である。
更には、見どころがコンパクトにまとまっているうえに充実しているところが非常に観光地としてポイントが高いのではなかろうか。
豊岡観光をするならおすすめの場所だ。

4日目につづく


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