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映画『哀れなるものたち』〜男が狂うベラの正体(ネタバレ)

映画『哀れなるものたち』は、橋から身を投げ自殺したベラ・バクスター(エマ・ストーン)の脳に、天才外科医のゴッドウィン・バクスター(ウォレム・デフォー)が赤ちゃんの脳を移植して生まれ変わらせ、彼女が少しずつ成長しながら世界を旅するという...筋書きを書こうとするとなんとも奇妙な映画だ。

ヨルゴス・ランティモス監督のことも、美術のことも、衣装のことも、カメラワークのことも、モノクロとカラーの使い方のことも、音のことも、書きたいことはいっぱいあるのだけど、そこは高名な映画評論家の方々に任せるとして、僕がここでどうしても書いておきたかったのは、ベラという女性とそのまわりにいる男たちのこと。

さらに突っ込んで言うと、ベラの生き方を見て

「これ、私のことだ!」

と感じた女性と、ベラに振り回される男たちを見て

「あ、俺にも同じ苦い経験がある...」

と感じた男性。

この両者の観客と思いを共有したくてこのnoteを書いてる。一見「イビツなもの」の美しさと力強さを確認したくて書いてる。

ベラを理解できない男

ベラは、思ったまま、感じたままに行動する。

口に入れたものがまずければベーっと吐き出すし、会話が退屈なら相手につまらないと伝えるし、腹が立てばわめきながら皿を割りまくるし、うるさい子供がいれば殴りにいくし、音楽にあわせて不思議なダンスをするし、マスターベーションをして「幸せになる方法を見つけた!」とはしゃいでみせる。

そんな「奔放」な彼女を、男たちは「閉じこめ」「コントロール」しようとする。

ベラは、彼女に思いを寄せる若手の医者と結婚の約束をするものの、突如現れた放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ) と旅に出てしまう。ダンカンはベラを愛人として囲い、自分の意のままに操ろうとするが、彼女はことごとく反発して言うことをきかない。

ダンカンは、ベラを魅力的な女性だと感じたから旅に連れ出した。同時に、彼女を支配することで自己満足感を高めようとするものの、反発をする彼女に苛立ち、怒り、突き放すが、やがてベラを「狂うほど」愛してしまう。

なぜ、そんなことを言うんだ!
なぜ、そんなことをするんだ!
なぜ、俺の言うことをきかないんだ!

なぜ、俺はこんな女を狂うほど愛しているんだ!

彼にはベラの言動がまったく理解できない。やがて、ベラどころか、自らの気持ちまでアンコントロールになってしまう。

ベラの心の真実

赤ちゃんの脳をもったベラには、常識もなければ偏見もなければトラウマもない。自分が見たり、触ったり、感じたりしたことがすべて。

男たちから見て理解に苦しむようなベラの言動だが、彼女にとってはなんら不思議なものではない。彼女は自分の心のなかの「真実」に従って行動してる。

結婚を約束した人がいるのに、ダンカンと旅に出たのは外の世界を「知りたい」という好奇心に従ったからだし、売春宿で働き始めたのはセックスでお金を稼げることを「合理的だ」と考えたからだし、恵まれない子供たちにお金を配った(実際は水夫に騙しとられた)のは残酷な世界のなかで恵まれない人を「救いたい」からだし、結婚式当日に前の夫の元に戻ったのは自分の過去を「知りたい」からだ。

彼女はいつだって、まっすぐに自分の心の真実に従って行動している。一般論、常識、マナー、そして自分を「閉じ込めよう」とする男。そんなものには従わず、自分自身の心に従ってる。

だから、男にとって彼女は不愉快で、腹立たしくて、奇妙で、理解不能で、狂うほど愛しい。

この映画は、何ものにも支配されずまっすぐ生きようとする女性と、彼女を支配しようとして無残に砕け散る哀れな男たちの物語だ。

「ベラは、私だ!」

たぶん...この映画を観て「私は、ベラとおんなじだ!」と心の底から感じた女性がいるはずだ。数は少ないと思うけれど、いるはずだ。

たぶん...この映画を観て「俺も、女に狂わされたことがある」と心の底から感じた男性がいるはずだ。数は少ないと思うけれど、いるはずだ。

「ベラと私は同じ」と感じた女性は、彼女の様子を見ることで「自分が周囲から理解されない理由」がほんの少しわかったかもしれない。

「俺も女に狂わされた」と感じた男性は、この映画を通して「女性を支配しようとすること」がいかに醜いか知ったかもしれない。

この映画は、人によってはセックスと内臓と嘔吐にまみれた、喜劇のようなホラーのようなファンタジーのような奇妙な映画かもしれない。

でも、「ベラは私だ」と感じた人にとっては「生きるって、やっぱりそういうことだよね」と自分を肯定してくれる美しい映画。女性が

「世界を知りたい」

と思って掴み取っていく強さ、美しさ、エレガントさ。

彼女は船旅ではじめて世界を見たときに、貧困で死んでいく人たちがいることを知って大いなるショックを受ける。

だからこそ、映画のラストで彼女は自分を殺そうとした元夫アルフィーの命を救う。自分を殺そうとしたことと、アルフィーを放っておくと死ぬことは、彼女の中では切り離されている。

死なせることが「正しくない」と思えば、どんなロクデナシであろうと命を助ける。そして、ロクデナシだからこそ脳を羊に変えてしまう。

彼女は最後まで、社会の良識ではなく、自分の心が感じた「真実」に従った。真実は、外から見たらイビツだ。でも「私」にとってはまっすぐで、強くて、太いものだ。だからこそ美しい。

まっすぐ見つめるベラと、男たち








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