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FMに憧れる童貞田舎野郎としての自己

こんにちは。

一度投稿すると、あれも書きたいこれも書きたいとなり、つい連投してしまいます。
これもADHDの特性のせいかもしれませんね。

とか言って、なんの診断を貰えなかったら笑うしかないですが。


なんか、昨年末はやたらとJWAVEを聴いて過ごしていました。
と言っても首都圏住みではないので、radikoのエリアフリーでの視聴です。
FMは、後ろで流しているのに丁度いいんですよね。
別に他の局でもいいんだけど、最近は気にいる番組が多いのがJWAVEみたいです。

しかし、もういい歳なんですが、いまだに、FMラジオへの憧れというか幻想というか、おしゃれであるという思いが消えません。
いっそ、ラジオ番組に相談メールを送ってしまおうか。
FMラジオっておしゃれですか?って。


恐らく、FM放送がおしゃれという概念は、FM放送がわりかしまだ珍しかった時代なら成り立つと思うのですが、どうでしょうか。
今日日そんな事思ってFMを聴いている人が、どれだけいるのだろう?
そもそも、これまでの人生でラジオをよく聴く人と仲良くなったことがないから、FMに対する生の市民感覚がわからない。
いやそもそも、自分がそこまでしょっちゅう聴くわけですらない…。

車を運転することはずっと多かったから、カーラジオでは昔からよくFMを聴いていました。
でも家に帰ってまでゆっくり聴くかと訊かれれば、たまに、という程度である。
私にとってのラジオとは、なにかしながら聴くものであって、熱心に好きな番組を心待ちにしながら聴くものではなかった。
例外はありますが、基本的には。

だから圧倒的に「ながら聞き」するのが、私にとってのラジオとの距離です。
でも、その距離感が、すごくちょうどいいんですよね。
運転なり作業をしながら、たまに面白い話が聞こえてきて、ハッと頭が冴えて、とてもいい話が聞けたなー、というのがあると、記憶力が死んでいる私でも、ちゃんと頭に残る。

あとは、単なる時間をもたせるためのBGMとして、自分の後ろで流れているものがラジオ。
無音は嫌だけど、特に聞きたいものもない時に、4番手くらいで回ってくるのがラジオ。
それでいいんです。
実際年末も、そんな感じでJWAVEを部屋で垂れ流していたら、たまに面白い話が聞こえてきてハッとした。
テレビを流していても、面白い話なんて滅多に聞こえてこない。
でも、ラジオはちゃんと面白い話が流れてくる。
YouTubeやネットメディアは、ある程度自分で選んで「聞きに行く」メディアなので、あんまりそういう意外性は期待できない。
あくまで受け身で聞ける。チャンネルだけを選んだらいい。

面倒くさがりで、選択の苦手な自分には、もってこいのメディアだなーと、常々思います。


でも、それがなんでおしゃれと結びつくのか。
この辺は、世代的な感覚と、地方の田舎で育ったという、バックグラウンドの為せる合わせ技なのかもしれないですね。
FM放送の、ジングルとか、やたら英語をネイティブに発音する感じとか、流れるPOP音楽とか、BGMに使われるテクノ音楽とか、そういう要素がなにかしらの憧憬と結びついて、自分の中でオシャレという像を形成しているみたいです。
全然共感できないですよね。
ははっ。

要するに、田舎っぺ童貞少年の自分が、私の中にずーっと居るのではないでしょうか。
歳の頃は多分中学生くらいで、疑いなく東京に憧れている。
彼はFMで聴ける東京の話を聴きながら、いつか自分もそこで生活したいと考えている。

その少年は、まだ私の中で生きているのですね。


なんでこんな、ただただ恥ずかしいことを書いているんでしょうね…。
最近はnoteで自分語りばかりしています。
そろそろ、恥ずかしいという感覚を抱くようになってきました。
もう少しだけ、内容のあることを書けたらいいんですけど…。

まあどうせ、元々がADHD的衝動に任せてくだらない文章を書き出しているだけなのです。
いつも見切り発車で書き始めて、まともな場所で停車できた手応えなんて、ほとんど感じた事もないのです。
どうせ誰も読まないし、いいじゃないですか。
いくらかでも読んでほしい文章は、そうとわかるように書きます。こんな文章、読む価値なんてないのです。
だめです。今日はメンヘラデーです。列車はどこにも辿り着くことなどできません。
脱線して杉林の奥の湿地にでも沈んでゆくでしょう。


なんにせよですね、FM放送は作ってる側の意識が高くて、新しく使われ始めた言葉をいっぱい使っていて、例え本当はそれが鼻について心底軽蔑していたとしても、一方でなんだか聴いていて少しだけ気分が良くなるのです。
そして仮に、AMで同じ話をしていても、聞こえ方が少し違う。

要するに雰囲気なのです。ただ雰囲気を吸いたいだけなのです。

こんなこと、自分でもくだらないと思う。
でも別にそれでいいじゃないかと思います。
それも、ラジオの立派な存在意義だと思います。
誰かの意識を刺激して、なにかしらの虚像を意識の底から引っ張り出してくれる。
私にとってのFMラジオはそういう存在なのです。
私はFMラジオが好きなのです。
これからも田舎っぺ童貞少年であり続けるのです。

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