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にゃるらさんがイケメンだった件、からのおじさん呼称輪廻問題

こんにちは。
発達障害の話はあまり適当に書けないので、ちゃんと内容をチェックしながらの投稿にいたします。

私はにゃるらさんの記事が好きで、最近はほぼ毎日読んでいます。
そして今日、最新の記事でにゃるらさんの写真が載っており、そのイメージとの差に軽くショックを受けたのです。
そもそも私はにゃるらさんのことをnoteでしか知らず、加えてググるという行為があまり好きじゃないのもあり、「面白い文章を書く人がいて嬉しいなー☺️」と微笑ましい顔で毎日投稿される記事をかいつまんで読んできました。
たまに出る固有名詞にもなんのこっちゃだった為、とりあえずスルーして読んできました。
フォロー自体はnoteをはじめてごく初期の頃、半年ほど前にしていたと思うのですが、本格的に読むようになったのは最近になってから。
半年前からずっと「面白い文章を書く人がいて嬉しいなー☺️」ではあったのですが、note自体離れていた期間があるため、最近になってまとめて記事を読んだりしていたのです。

話の内容からして、まずパッとしない外見なのだろうと勝手に思い込んでいました。外見を知らない人は記事だけを読んでほしい。あまりに自虐的な文章と、滅茶苦茶な私生活を連想させる話ばかりだから。
しかし、最新の記事で顔が出ているではないですか。
まさかこの人なわけないよね?
私はググりました。ググるのが嫌いだということも忘れてググりました。顔が出ました。綺麗なお顔でした。

ただそれだけの話なのですが、しかしその前提で考えると、極端なまでに鬱屈した内容をあけすけに語れる姿勢も、ある程度の知名度ありき、人気ありきだったからなのかもしれない、と邪推が入り込んできてしまいそうで…。
…別にそれでもいいんです。
…話が面白いのは変わらないのだから。

これが嫉妬か…。
そうかもしれないな、と感じたおっさんのどうでもいい心情なのでした。
ごめんなさい。
ただただにゃるらさんに失礼な話でした。


しかしここで少し脱線。
にゃるらさんの顔にも驚いたのですが、若さにも驚きました。
Wikipediaによると現在29歳とのことです。
歳に関しても勝手に、もう少し上、なんなら同世代だと勝手に思い込んでいたのです。
また更に失礼な話です。

そして、少し前の記事を読んだら自分の事を「おっさん」(かおじさんかは定かでない)と呼称する箇所があったのです。
それは自分より若い人へ向けての内容だったので、そういう意味で「おっさん」を使うのはわかります。
私も自分の事をよく「おじさん」と自虐的に呼びます。
40くらいになればそれは自虐でもなんでもなく、事実だろうと頭では思うのです。
しかし、内心はやはり自分が「おじさん」である事を受け入れたくない自分がいます。
だから、30手前で「おっさん」と言われると40手前の「おじさん」は立場がなくなるのです。

そしてふと思いました。
50手前の「おじさん」もそう感じているのではないかと。
世間がどう思おうが、自分から見る自分がいつも年相応とは限りません。
「俺はもうすぐ50だけど、心はいつまでも19歳だぜ」という人が案外多くいるかもしれません。
その人から見たら、私が40手前で「おじさん」と言い始めるのを、内心おいおい…と苛立った目で見ているかもしれません。
じゃあ50の男性が60手前になったら心持ちは変わるのでしょうか?
変わる人もいれば、まだまだ変わらねぇという人だってまだいるでしょう。
そうなり出すともうキリがないのでは!?と思ったのですが、おそらくさすがに年齢と共に自己年齢もある程度落ち着いていくのでしょう。
でないとさすがに、しんどいじゃないですか。

しかしネットの世界にはティーンが多く集まる場というものも存在します。
そこでは、なんなら10代後半で「おじさん」(おばさん)を名乗らねばならなかったり、20代にもなればガチの「おじさん」(おばさん)を自認しないことには痛いやつになってしまいます。
そういう世界から見た場合、確かに30手前は確実に「おじさん」なのですが、そんな事情なんて知らない40手前の「おじさん」が30手前の青年が自分を「おじさん」と呼ぶのを見たら、やはり少しだけ心が傷つくのです。

だから、自分より若い奴が「おじさん」と言いはじめると、それに続く年長者全員が少しずつ傷ついていき、みんなが不幸になるのではないかと、この短時間で突然閃いてしまった次第なのです。
恐ろしい法則です。
憎しみの連鎖がどこまでも続きそうな、呪いの法則です。

しかし現実にそこまで「おじさん」たちが傷付いている様子でもないのを見ると、これは単なる杞憂なのでしょう。
「おじさん」はやはりどこかで自分が「おじさん」だと認める時が来るのです。
そうでないと今頃高齢者がみんな内田裕也みたいになってしまう可能性もあり、そうなれば困るというか怖いというか大変な事態ですからね。

「おじさん」を認めないおじさんの行き着く果てが内田裕也なら、「おばさん」を認めないおばさんの果てはどこにあるのでしょう?
私は叶姉妹を思い浮かべましたが、彼女たちはちょっとレベルが違いすぎて、持つ少し現実感のある候補が欲しいところですが浮かびません。
マドンナはいい例かもしれないけど、極端なお金持ちなのは一緒ですね。
誰か、浮かんだらコメントしてくれると嬉しいです。

にゃるらさんの話からわけのわからない「おじさん」話へと脱線をしてしまいました。
私はまだ自分を真に「おじさん」と認められるほど成熟してはいないようです。
あと「おじさん」と当分もう打ち込みたくないです。

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