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坂本慎太郎の詩の凄さ

こんにちは。
私は坂本慎太郎というミュージシャンが好きでずっと聴いています。
もともとはゆらゆら帝国というバンドのフロントマンだったので、そちらの方が認知度は高いでしょう。
バンドが解散してからはソロで活動していて、去年も久しぶりのアルバムを出すなど現役のアーティストです。

私は日本のバンドの中ではゆらゆら帝国が大好きです。
一番好きかもしれません。
日本で一番好きなバンドなんて今まで特に意識してこなかったので厳密に一番好きかどうかは今考えている所ですが、他の好きなバンドを思い浮かべてみても彼ら以上にピンと来るバンドも他にないので、恐らく一番好きなのでしょう。
話が回りくどいですかそうですか。

とにかくその流れで坂本慎太郎のソロもずっと追って聴いてきたのですが、ゆら帝にしろソロにしろ、詩がとてもいいんですよね。
音楽的には好みが分かれるというか、あまり一般受けするタイプの音楽ではない。
ただ熱烈なファンが多い。好きな人は好き。というタイプ。
ゆら帝に関してはそれなりに売れましたが、ソロに限ってはもう売れようとする気力をあまり感じません。
いや本人がどう考えているかは分かりませんが、音楽を聴いている限りではやはり感じません。
よくある、バンドをやめて好きな事を思い切りやるタイプのソロですね。

で、話を戻すとゆら帝時代から作詞は坂本慎太郎がやってきた訳なんですが、もう一度言いますが詩がとてもいいんです。
コーネリアスの小山田圭吾が「詩が耳に残る」みたいなことを言って、デビューアルバムの「3×3×3」を何かの雑誌で年間一位に選んだところから注目度が上がったようですが、そこに関してはまさしくそうだな、と小山田氏に同意します。

これから好きな曲を紹介したいのですが、書き出すと止まらなくなる恐れがあるので泣く泣く曲を絞って紹介します。
坂本慎太郎の書く歌詞の特徴のひとつは、そこに漂う生と死の曖昧さにあると私は考えています。
生きているんだけど死の匂いを感じる、生の世界と死の世界の境界線が曖昧、死者からの視点を感じる、そういった雰囲気を随所で感じ取れます。
先ほど挙げた「3×3×3」に収録されている「3×3×3」という曲があります。
曲調は暗くて少しグロテスクで、まあサイケデリックに分類されるんでしょうけど、歌うというよりはトーキングブルース的に詩を早口で呟く部分が特徴的です。
この曲の歌詞で

別にどこへも行きたくないけど
別に行きたくないけど

という一説があります。
初めこの部分を聴いた時から、どうしても

別に生きたくないけど

に聞こえてしょうがないんですね。
これは言葉遊び的な部分もあると思うのですが、そういう死を匂わせる歌詞がデビューから去年出た最新作に至るまで割と頻繁に感じ取れる。
これが私にとってはとても魅力的に感じられるのです。
好みと言えばそれまでですね。
でも技術的な所を見ても、なかなか普通のロックバンドではあり得ない歌詞を、とても上手に曲に乗せているのです。
そのセンスは凄いなとずっと一貫して思います。

もう一つの大きなテーマとしては創作や自分の頭の中について歌った詩が多いところ。
同じアルバムの中の「昆虫ロック」という曲の一節です

ぼく本当はいろんなこと
いつも考えてたのに
なぜか最近頭の中
誰もいない部屋の中
雨が降る日は何もしない
髪がベタベタするから
風が吹く日も何もしない
どこか消えたくなるから

この人の書く詩の多くは基本的に自分の事を歌っているのだと私は受け取っています。
この詩に関しても考えをうまく形に出来ないジレンマのようなものを感じませんか。
それに加えて「ぼく」という少年言葉によって純粋さと幼さを感じさせている。
ジレンマを自分の中の少年の部分に歌わせる事で、独特の悔しさみたいなものも感じられる。
最後のどこか消えたくなるから、の一節に関しては先程挙げた死がすぐ近くに漂うような儚さがあって、この曲の詩が好きだというゆら帝ファンは多い気がします。
根拠は一切ありませんが。
強いて挙げるなら私が好きだから、です。

次にソロです。
こちらもデビュー作から取り上げます。
音楽の方向性は大きく変わっていますが、詩の世界観はより洗練されていると言って問題ないでしょう。
バンドデビュー時から漂っていた生と死の曖昧さですが、ソロになってからより顕著になったように思えます。
アルバムタイトルは「幻とのつきあい方」
その中からまたも表題曲の「幻とのつきあい方」という曲を紹介します。

自分の姿が 自分で見えない
自分の心が 自分でも分からない
他人の姿が 他人に見えない
他人の心が 他人とは思えない
自分でも分からない

幻を扱う仕事には気をつけよう
時に幻は姿を見せる
夢や幻と向き合う時には覚悟を決めなよ
時に幻は君を飲み込む

幻を扱う仕事には気をつけよう
時に幻は姿を見せる
夢や幻と向き合う時には覚悟を決めなよ
時に幻は君を飲み込む

この曲は基本的にフィクションを創作する上での危うさを歌ったものだと私は解釈しています。
私は音も含めてこの曲が大好きなんです。
フィクションの創作、という部分でははい同業者としてよく分かります、などとは口が裂けても言えないけれど(そもそも一ミリも同業者ではない)、それでも何故か言わんとすることが分かるような気がして、初めて聴いた頃からずっと好きなんです。

いや、実際口にするのも恥ずかしい事なんです。
なんですが恥ずかしげもなく口にすると、私程度のちょっと調子に乗って小説書いてみました程度の人間でも、フィクションを扱う危うさというのはちゃんと感じてしまったのです。
小説を書く事にのめり込んだ時、確かに幻に飲み込まれそうな感覚というのを感じました。
そこに生活を捧げてもいい、という気持ちが生まれて夢と現実の堺が少しだけ曖昧になってくる。
私程度の人間でも、口に出すのは本当に恥ずかしいけれど、そう感じたのです。

だから改めて、作家は偉大だな、と思ったわけです。
想像力の中に飛び込んで泳ぐのは、泳ぎ方を覚えたらとても楽しい。
しかし泳ぎ続けるのはきっと凡人にはできない。
もし自分の想像力に飲み込まれてしまったとき、人として破綻してしまう危うさを秘めている。
抽象的ですが、作家や芸術家というのは、頭の中と現実を区別できる人、とも言えるのかもしれません。
例えギリギリのラインであったとしても。

最後の方は少し痛い文章になりましたが、とにかくこれを読んで少しでも興味が湧いたらゆらゆら帝国坂本慎太郎を聴いてみてください。
興味を持った方のために紹介した曲のリンクを張っておきます。


曲はこちら


他にも紹介したかった曲をいくつか貼っておきます



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