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Guzzle Pittのこと、その五


バンド内プレゼン始まる

そんなわけで2008年くらいからpyongchangが社会復帰してきたのですが、具体的にいつからかという記憶がいまいちハッキリしません。(汗)
で、このnoteでGuzzle Pittのことを書き出してから資料的にとても役に立っているのがmixi日記で、例によって遡ってみると2008年のジャポニカ忘年会にpyongchangが久しぶりに登場していました。
そのちょっと前からウチのホームパーティなどに顔をだしてちょいちょい会っていたはずですけど日記には記録がなかったです。まあリハビリ期間だったのだと思います。

そしてこの時期になるとオリジナルメンバー3人によるGuzzle Pittの活動も再始動、ニューアルバムの制作を見据えてメンバーそれぞれが新曲を持ち寄ってバンド内プレゼンが始まりました。

演奏は決して上手く無いというかぶっちゃけ下手くそなGuzzle Pittですが、ありがたいことに楽曲の良さだけは唯一よく褒めてもらえたり、カバーしてもらったりしてます。
でもそれって何故かな?と考えるに、発表に至るまでにボツになった曲がたくさんあって、いまいちな曲はライブでやる前にバンド内プレゼンではじかれる。実はライブで新曲を初披露するより一番緊張するのがこのバンド内プレゼンだったりします。ここで他のメンバーが気に入ってくれた曲は自信を持って表に出せる。これはバンドやってて良かったことの一つです。

そしてこの時のバンド内プレゼンでpyongchangが作ってきた「逃れの邑」と「ユメノウチ」を初めて聴かされた時はなかなかの衝撃で「すごい曲を作ってきたなあ」というのが最初の印象。派手さはないけど曲も言葉も強くて、pyongchangのオリジナルの中でも今でもトップクラスに好きな2曲です。姿を消していた時間は無駄じゃなかったなと。

homelessレコーディング

mixi日記によると2009年2月24日からニューアルバム「homeless」のレコーディングがスタート。この時は音楽仲間の山口紗希栄が小さなスタジオを持っていて全ての録音をこのスタジオでさせてもらいました。
今は無くなってしまったこのスタジオ、いろいろと懐かしいです。
もちろん今回もプロデューサーはDr.HB。この時期の画像ってPCがご臨終した関係でmixiやブログにアップしたものしか残ってなくて、、、でもゲストの録音風景が何枚か残っていました。

「おやすみのうた」のウクレレはとんちピクルスさんに参加してもらいました。
神奈川からたむさんを「そろそろゴマサバ食べたくない?」と召喚。たむさんは前回のnoteで書いたRainbow Music Expoで知り合い、その後全国のイベントにキャラバン隊のように出演してた頃に仲良くなったギタリストです。
そしてスタジオの主、山口紗希栄は「ありふれた出来事」のデュエットパートを録音。彼女との出会いはジャポニカで。プロの歌手でしたが今は元々の出自であった古典芸能の世界へ。

Dr.HB氏の何度かの来福を経てニューアルバム「homeless」が7月に完成。
これまでの「HOME」「君に届かないラブソング」「永久電池」はそれまでのライブである程度アレンジの下敷きはできていた曲が多く、いかにそれをブラッシュアップするかという作業工程だったんだけど、今回はレコーディングのために0からアレンジした曲がほとんどでこの経験も新鮮でした。
ただその分、Dr.HBはじめサポートミュージシャンの負担が多くなり、メンバー3人でのライブでは再現不可能な曲が増えてきてしまいました。この問題についてはまた後述します。

homelessレコ発ライブ

最近メンバーと「昔ガズルのライブに来てた人たちどこに行ったんやろうね」という話をしました。
当時よくライブで使っていた照和は50人規模の会場。なのに今では20人規模のブギを埋めるのもなかなか難しい状況。(汗)
そしてこのhomelessのレコ発はSound Summit等で使っていたブードゥーラウンジで開催したのですがココは100人規模。もちろんある程度余裕持って席を配置してたとはいえ、今では考えられられません。

レコ発ライブなので出来る限りCDの音を再現しようということで、サポートメンバー含めた7人編成のスペシャルバンドで豪華にやりました。

このレコ発ライブはまだYouTubeに全くアップしてないのでいずれお披露目しますね。
この時作ったバンドTシャツ、なかなかストレート!w

REOのパートがベース→ウクレレに

遡ること数年、Guzzle Pitt結成時は博多に住んでいたREOですがその後熊本→地元小倉と引っ越しを繰り返した後、また博多に戻って来てバーのスタッフとして働く様になります。2006年頃でしょうか?
その頃遠距離で付き合っていた私のパートナーが大阪から博多に引っ越して来て一緒に住む様になります。そしてその新居で定期的にとんちピクルスさんが「とんちウクレレ教室」を出張レッスンすることになりました。生徒は私のパートナーとREOの2人。
いつの間にかこの教室は消滅していましたが、この時からREOはウクレレを本格的に弾き始めるようになります。私のパートナーはすっかりやめちゃいましたが。(笑)
homelessのレコーディングやレコ発ライブの時にはまだREOはウクレレを披露してませんでしたが、それ以降のライブから積極的に使う様になりました。

homelessリリースから一年後の2010年、YouTubeにアップしている結成10周年ライブでREOは半分以上の曲でウクレレを弾いています。

この2010年〜2012年くらいまでがGuzzle Pittとして一番ライブの数もこなして歌も演奏も充実していた時期だと感じています。
ギター、ウクレレ、パーカッションを基本セットとし、ハーモニカやリコーダー等を曲によって使い、技術的に難しいことはせずともアンサンブルを工夫することでCDとはまた別の良いバージョンが出来上がっていたと思います。
ライブでは再現できないと諦めていたサポートメンバー頼りだった楽曲を、自分たちの手に戻して新たに命を吹き込んでいく様なこの作業は楽しかったです。
自分的にはむしろこっちの方が本来のGuzzle Pittで、レコーディングした音源の方が別物だと思っています。音源の方は言うなればGuzzle Pitt Projectという別ユニットくらいの感覚。
残念なのはこの3人のオリジナルメンバーだけによるアレンジを音源に残せてないこと。それと2012年5月にブギでやったワンマンライブが、そのオリジナルGuzzle Pittの集大成だったのだけど、このライブの映像を残してないこと。この2点がめちゃ残念!
というのがこのライブを最後にGuzzle Pittは10年間の沈黙の時期に入るからです。
次回はこの沈黙の10年の間の出来事を書こうと思います。

移転前のブギでやった2012年5月のワンマンライブ。いろいろ試した結果このpyongchangセンターバックのスタイルに落ち着きました。スリーピースバンドスタイルですね。


おまけ、、、

先週ブギに現在東京に住んでいるGuzzle Pitt初期メンバーの大輔と、最近ちょいちょい飲みに来てくれるシゲちゃんが来てくれました。大輔と会うのはそれこそ10年ぶりくらいで、近くに住んでるpyongchangも呼び出して昔話に花が咲きました。pyongchangと大輔にいたっては20年ぶりくらいだったみたい。

大輔は変わってないなー、シゲちゃんは変わりすぎだけど。w

濃い一時期を過ごしたこのメンバーが集まると一気に時間が20年前に戻る。
で、Guzzle Pitt結成のプロセスの自分が覚えてなかった細かいことを大輔がよく覚えていたので、ちょっとここで補足します。「Guzzle Pittのこと、その一」と合わせて読んでもらえると幸いです。

最初Fish barというバーのカウンターで大輔がnao♪さんに「バンドやりたいです」とい話をしたらnao♪さんが「そうかそうか」といいつつ酔っ払ってチューして来たりでまともに話にならず終了。w
その次また大輔とnao♪さんがそのバーで会った時に、やはりバンドの話をしていたら隣に自分が座っていて「それ俺もかたりたい」って話になったらしい。全然覚えてなかった。
そしてコレも覚えてなかったんだけどこの3人で当時自分が住んでいた長浜の公団に楽器持ち寄って集まって歌本とか見ながらセッションして遊んでコレでバンドできる手応えを感じたらしい。コレも忘れてた。(^^;;;;
なので次にpyongchangを誘いに行った時にはpyongchangいわく「もうすでにバンドやる話は出来上がってた」そうな。
そしてpyongchangが「コーラスやりたい」って子がいるんだけどと連れて来たのがREO、その後2〜3回目のライブの後やはりFish barで知りあったシゲちゃんが参加、という流れでした。
いやー、覚えてないこと多いなー。

大輔はまた最近音楽を始めていて配信してる曲も大輔らしいキャッチーな良い曲です、聴いてやってください。

そんなわけでオマケというか第一話の補足のお話でした。次回は2012年以降のお話です。

つづく

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