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【読書メモ】人間の建設(岡潔、小林秀雄)【#85】

少し古い本ですが、今読んでも十分に刺激を受けます。知的なレベルが高い人同士というか、教養のある人同士の対談がこんなにも面白いということを知りました。

教養を雑学と勘違いした人たちが、東大生をクイズ王として消費し、一問一答の知識を溜めることに執心していますが、雑学王同士ではこんな知的なやり取りは生まれないと思います。自分の専門とする分野で深い思索を巡らせた上で、お互いのフィールドに関する教養も持ち、どちらかがマウントを取るようなこともなく、事なかれ主義で浅い話をするでもなく、それぞれの主義主張を持った骨太の対談が進んでいきます。

話されている話題は学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、本居宣長、ドストエフスキーとトルストイ、ゴッホやピカソ、非ユークリッド幾何学、プラトン、素読などなど、あちこちに飛んでいきます。こういう会話ができるというのが教養があるということなんだなと、改めて自分の教養のなさを反省しました。

特に心に残ったのは、最後の方で出てきた、数字を使って考える岡潔と日本語を使って考える小林秀雄が同じような思索の方法を行なっていたというところです。数字や数式が緻密で日本語は曖昧ということではなく、次々に論理が出てくる、言葉が出てくるというのは、表現形が違うだけだというところが興味深かったです。数字や数式と日本語という違いは瑣末なもので、根底では同じようなプロセスが走っているのですね。

ある言葉がヒョッと浮かぶでしょう。そうすると言葉には力がありまして、それがまた言葉を生むんです。私はイデーがあって、イデーに合う言葉を拾うわけではないのです。ヒョッと言葉が出てきて、その言葉が子供を産むんです。そうすると文章になっていく。文士はみんな、そういうやりかたをしているだろうと私は思いますがね。それくらい言葉というものは文士には親しいのですね。岡さんの数学の世界にも、そういう独特の楽しみがあるでしょう。

人間の建設 p123

岡潔の発言には若干時代的なものがありますので、あくまでも昭和40年に行われた対談であるということを忘れずに読んでもらいたいです。その時代の文系的頭脳の天才と、理系的頭脳の天才が対談しているということを頭に入れて読むと違和感もなくなると思います。

おわり


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