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【明日のライターゼミ 講義感想】どうしても書くべき言葉を持っているか【第4回 講師 田中泰延さん】

あぁ、本物の党首だ…。これが、あの党首だ…。

明日のライターゼミ。第4回は「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」。
講師は、青年失業家 田中泰延(ひろのぶ)さん。

電通時代から「街角のクリエイティブ」で原稿を書き始め、2016年に電通を退職、以降さまざまなメディアで文章を書かれている。Twitter上では「ひろのぶ党 党首」の二つ名のもと、狂信的な熱量を持つ「ひろのぶ党員」と、原稿の締め切りが迫る中、有意義なディスカッションを行っている。

何を隠そう、この僕は。ひろのぶさんが街角のクリエイティブで「フォックスキャッチャー」の映画評を書かれてからずっと大好きなライターさんなのである。なんなら、この御仁に影響されて転職決め込んだといっても過言ではない。そんなひろのぶさんを知るには文章を読んだ方が早い気がするので、お気に入りのコラムを列挙してみよう。

『左ききのエレン』1巻 刊行記念【連載】田中泰延のエンタメ新党 特別編
http://www.machikado-creative.jp/planning/64150/

バクマン。【連載】田中泰延のエンタメ新党
http://www.machikado-creative.jp/planning/17958/

【究極コラム】田中泰延のエンタメ分党
https://www.kyotogakuen.ac.jp/admissions/ITMT/hironobu/column04/

時に、単純に面白く。時に、根っこから優しく。時に、揺らされるほど激しく。時に、泣きたくなる。そんな文章に憧れてしまった。
もうこれは党員からの愛の告白だわ。

閑話休題。

肝心なのは僕のラブレターではなく講義の内容でした。

開口一番、ライターなんて食べていけないからね!と「明日のライター」を目指すために集まった皆さんに、「書く」ことの本質を語っていただきました。

「何が書いてあるか」より「誰が書いたか」

随筆。この言葉の定義をしてみよう、と。事象と心象の交わるところに生まれるもの。それが随筆。現実に起きた事実と、それに対して生まれる感情・イメージ。書く人、発信できる場所が増えた昨今において、随筆は誰が書いたかが圧倒的に重要。例えば、僕の書いたキムチの話は読まれないけど、防弾少年団の書いたキムチの話は何万人が読んでくれる。

じゃあ、文章を読んでもらうために芸能人になれるか、というとそんな訳もないので大切なのが「調べる」こと。自分の思うことを伝えるために、事象を徹底的に調べ、分かる事実を証拠としていく必要がある、と。

ひろのぶさんが調べることの大切さを身を以て教えてくれる記事はこちら。みんなもまずは、国立国会図書館に行こうね。(授業で教えてくれた内容。実は何気にコラムの中で書かれていたりするのであらかた再読しようかな)

秒速で1億円稼ぐ武将 石田三成
https://mitsunari.biwako-visitors.jp/column/

次は「文章を書く」ということについて。

①読みたいものを書く。

映画や本の感想文はたくさんある。同じポイントで感動して、詳しく解説してある文章があるなら、極論を言えば書く必要はない。自分の一番感動したポイントを書いている人がいない時、自分のために書き始めよう。

②重要なのは事実。

「調べる」でも出てきたが、自分の意見の根拠になる事実を深堀りすること。それはウェブに転がっているような情報ではなく、一次資料。映画であればパンフレットや監督インタビュー、IMDbといった公式情報を引用する。数字を扱う時は政府や省庁が出す情報をベースにしようって卒論書いた時も言われたことを思い出した。迷ったら国立国会図書館行こう。

③何を感じたのかを大切に。

映画や本の論評をする時に大切なのは、触れた時に沸いた感情。面白いはもちろん、つまらない、わからないも「感動」のひとつ。なぜつまらなかったのか、きちんと調べていけば、大半のことが「面白い」につながっていく。「つまらない」ことのほとんどが面白く感じるための知識不足なんだと感じた。「野球」や「サッカー」のルールがわからないのに観戦してもつまらないのと一緒で、映画を見るためにはテーマについてある程度事前知識がいるのは当たり前。

④文章は思考の過程

長い文章を書くということは、こんなことがあったから、こう思ったという思考の過程を披露するということ。つまり編集。「昨日何してた?」に対していちいち「歯を磨いた、トイレに行った」とは言わないように、情報を取捨選択して一番大事なことを伝える。

⑤書くことは、生き方を決めること

書く、ということは人間最後の職業。死刑囚ですら自伝を書ける。今から別の職業で有名になってからでも文章は書ける。それを仕事にするということは、生きる幅を狭めることになる。

5つのポイントを経て、「書く」ということについての講座は終わった。書くことのテクニック論でもありながら、なぜ人は書くのかという一番大切なものを伝えるための授業だと感じた。

書くという生き方。


……(上手くいっているかは別として)コピーライター/ライターとして5年働いてきた僕は、書くことを生き方にしていいのかまだ迷っている。

ひろのぶさんがTCC(東京コピーライターズクラブ)のリレーコラムに書いた文がある。ある人物と短い会話を交わした思い出を語った一節。

街の明りの下で書かされています
https://www.tcc.gr.jp/relay_column/id/3852/

「君らは、どうしても書くべき言葉を持っているか」

今回の講義でも、まだ僕はそれを見つけられていない。
見つかるかもわからない。
けど、書きたいという気持ちは、まだ収まらないらしい。
だから、もう少し懸命に頑張ってみようと思う。
それが見つかった時。
きっと思い出すのはひろのぶさんの横にいたリラックマ。


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