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訪れに想うこと。

クリスマスが近づいてきて、我が家もクリスマスツリーを飾りました。やっぱり、あった方が私はいいなと思った。
冬が来たなぁ、クリスマス、来るなぁとほんの少しのワクワク。
今さらサンタさんから何ももらえない歳になったけど。

5年くらい前までツリーは無くて飾ったこともなかったのですが、末っ子の「ツリーの飾り付け、してみたいなぁ」にほだされ。

無くても困らない。でも今はある方が冬らしい。厚い布団をしまってタオルケットをだし始めると夏の訪れを感じる。それに似ている。何かの訪れを感じる。それが多分いいのだ。

訪れ、というものがいつでも心を踊らせるし待ち遠しくなる。

冬の厚いコートをしまう。窓を開けたときの風が少しずつ冷たさをなくして柔らかく感じるとき、そろそろ春が来る。そう感じるとき、春が待ち遠しくなる。

スーパーに素麺が積まれだすと夏の気配を感じる。そんな風に季節の訪れを感じて季節に合わせて暮らしも変えて。

冬の今はストーブをたいて、やかんでお湯を沸かして。ホイルに包んださつまいもを焼いて。暖かいコタツに肩まではまってYouTubeを見て。厚いコートにマフラー、手袋。今日の寒さを占うかのようにふーっと息を吐いて白くなるのを眺める。そんないま。

ツリーのライトが点滅する様は冬しかない風景。なにかを待ち遠しく感じることは今年も幸せに暮らせたという証のようで、そして今年も頑張って来たんだ私、という証のようで。

気に止めなければ流れ続ける毎日。でもふと何かを感じたり立ち止まったり見つめたりすることで流れ続けていた日々の中にも山があり谷があり、小さな花が咲く。
頑張ってきたこと、頑張ってきた自分、頑張ってきたみんな。過ごした日々とこれから過ごす日々のことを想う。

いちいち訪れを感じていよう。そんな風に想う。いちいちほだされよう。いちいち立ち止まろう。風の匂いも花の色もわからないまま過ぎるにはもったいなさすぎる。

今年もサンタさんは来るのだろうか。

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