欲しいのは自分軸なんかじゃない。

欲しいのは核なんだ。そう気づいた。
自分軸っていうと、何があってもへこたれず動じず流されずそこに確固たる姿として地面にめり込む太い杭のようなものを持たねばならないと思っていた。でも今の私にはそんなものじゃなくていい。
何があっても私の大切な「そこ」は誰にも何にも触れられることなく脅かされることなく私だけが触り労り慰めることの出来るそういうものでいいと私は思ったのだ。

何があってもぶれない強さや芯の通った真っ直ぐな杭もない。すべてを剥がされてもそこにある「そこ」が私の基地であり居場所なのだ。

何かがある度ふらつく足元、哀しむたびに失われる愛おしさ、裏切られたと感じる度疼く心。壊されるたび私は真新しい「そこ」を作ってはいとも簡単に流され壊され自分でも踏み潰した。こんなやわなものでは駄目だと作り直す度心が冷える。
なんのために壊されてまた作り直さねばならないのか。私が大切だと思うものを少しずつ集めては塗り重ねたそれを、どうしてこんなもの、と言われ無に帰されるのか。大切だと言ってるのに、どこが?と言われる度やっぱりだめなんだと壊す自分が嫌いだった。

そうして作って壊してまた作ることが、それを壊されないよう生きることが固執なのであって、目に見えるそれに縋ることが私の弱さだ。
壊れる度作り直す時点で私の自分軸なんてものは消え失せてる。私は強くない。だから、「そこ」を作る。木っ端微塵に吹っ飛ばされようと「そこ」は残っている。私の大切なものを拾い集めてしまっている場所。

目に見えるものは流されても私の大切なものは、消えない。それが大切なんだ。
硬い地面に突き立てる太い杭はない。でも何処にいて何をしようとどれだけ傷つこうとも、私は私を失わない。誰も私を傷付けられない。
私はそれをちゃんと作り直して今度こそ守っていこうと決めたのだ。

どんなに愛する人もどんなに可愛い我が子にもすべてを明け渡さなくていい。
「ここにあるわたし」
それを守り愛おしみ生きていく。

明日どんなに傷つこうとも、「あそこにあるわたし」は傷付けられないのだから。

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