さよなら我が家

ブログに書くほどのことじゃないけど、ちょっと文字に起こしておきたいなとなったので久々にnoteに書いておく。

なんとなく「引っ越したいな~」と物件情報を調べているときに「そういえば以前住んでいた家は今どうなっているのだろう」と思い調べていると、生まれ育った家の解体工事の入札結果を告示しているページに辿り着いた。

生まれたときから二十歳過ぎまで、つまり大人になるまでずっと過ごした我が家。
築年数は何年だったかな、確か母と同い年くらいなのでそろそろ60年くらいだったはず。完全に教科書に載るような「バブル時代に建てられた団地」の手本のような我が家。

それがついに取り壊しになるらしい。

「我が家」といっても、ここを離れてもう気付けば12年が経った。ただ、このnoteの中では我が家と呼ぶことにしたい。

家を離れた理由は転職。
新しい職場は我が家の最寄り駅から一本で行けるものの、本数と混雑を考えるとなかなかにしんどく、転職したばかりなのに「ああ、行きたくない」と甘えたことをTwitterに呟いたことがキッカケだ。
それと見たフォロワーが「うちから通った方が楽だし、うちに住めば?」という突然のルームシェアの誘いに乗ったことで、我が家を離れることになった。
このときは最低限の荷物だけを持ってフォロワーの家に転がり込んだので、我が家を離れたと言っても「帰れば今まで通りに過ごせる」状態だったし、あまり離れた気はしなかった。
実際、1~2ヶ月に1度はふらっと帰っていたし。

そんな離れた我が家にも、実はその後2ヶ月くらい戻っていた時期がある。
ルームシェアの間に結婚を決めたからだ。
結婚を決め新居を探しながら我が家にある荷物も片付け更に持っていくものを考える必要もあったので、ルームシェアを解消し我が家へ戻った。
親からすれば、なんなら我が家からしてもなかなかに勝手な息子で住人だと思う。突然出ていって突然帰ってくるのだからだいぶ迷惑だったはずだ。

持っていくもの、捨ててしまっていいもの、そんな感じで荷物を整頓した後、我が家は実家なので「あとは勝手にやっといて」と、持っていけない机やラックはそのまま置いて我が家を去った。
これが住人としての僕と我が家の最後の思い出だ。

僕が我が家を後にして間もなく、家族にも色々あって我が家を離れることが決まった。
僕は僕で新居と結婚と、まぁ新生活に手一杯だったし、我が家を離れるときに「あとは勝手にやっといて」と出ていったわけだし、なんなら実家に戻ることはないだろうと考えていたので我が家を家族が出ていく、すべて空っぽになる日のことは知らない。

我が家を離れた後の家の話をすると、僕も家族も全員が「このあたりが地元」なので、そこからはあまり離れていない場所に越している。
だから日常的に我が家の近くの道を通るし、長く住んだ我が家だけあって僕らよりも近くに住む知人から「そういえば」と我が家あたりの話を耳にすることも珍しくない。

これは僕が我が家にまだ住んでいた頃の写真。
左下の建物が我が家。
見ての通り「昔ながらの団地」。ここに写っている棟のほとんどが昭和30~40年代くらいに建てられたヤツ。

いかんせん古いので我が家に住んでいた頃から「そろそろ○号棟が取り壊しになるらしい」なんて話を耳にすることはあった。
ただ、僕が我が家を離れるまでには取り壊されることはなかったんだけど、時々近くを通るときにふと見ると「あ、○号棟なくなったんだ」「新しいの建ってる」と変化に驚くことはあった。

これは去年の夏くらいに我が家のあたりに行ったとき、取り壊された棟がどこか確認したヤツ。
「子供会の打ち合わせをした集会場がなくなってる!」とか「○○くんが住んでた○号棟もない!」とか「大好きだった○○ちゃんの家もないや……」みたいな。
亡くなった祖父が遊びに来る度にお小遣いを渡されて駄菓子を買いに行った酒屋さんが入っている棟もなくなっていたし、見ての通り「昭和の団地」がどんどん取り壊されているのが我が家を取り巻く状況って感じ。

それだけ取り壊しが進んでいても、それでも残っていたのが我が家。
だけど冒頭にも書いたように遂に取り壊しが決まったらしい。
最後に我が家の前まで行ったのは去年の夏前。

小学生の頃、いわゆるピンクチラシが問題になった頃に学校で配られたシールはポストに貼ったまま残っていたし、僕ら家族より前からずっと住んでいるお隣さんはこのときも住んでいた。

だから取り壊される前にもう一度だけ我が家を見ておこう。





















え、ないんだけど。

我が家、ないんですけど。



おかしいな、この間まであったのに。
最後に見納めておかないと!と思ったのに。

具体的な取り壊しがいつ行われたのかはわからないけど、最後に我が家を見てから半年も経たないうちに取り壊されたのかな。
更地になったところに全然雑草が生い茂ったりもしていないし、最後に我が家を見に行ったとき、まだ更地だった場所に新しい棟が建っているし。

我が家の下の駐輪場には、飼っていたハムスターと何世代にも渡って買い続けたカブトムシたちが埋まっていたので、それもまとめていなくなってしまった。
駐輪場の建て替えのとき、まだ固まっていないセメントにくっきり残してしまった(後に交通事故で亡くなった)幼馴染みの靴の跡も消えてしまった。



上にも書いたけど、我が家が空っぽになる出ていく日には僕は我が家にいなかったし、今も住んでいるのは我が家からそんなに離れていないところだし、だから我が家はいつまで経っても我が家で、住んでいなくても帰れる場所のような気がしていた。
いつか取り壊される日が来るとはわかっていたし、いざ取り壊されてなくなってしまうとすごくすごく心にぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感がある。

身長を測ってもらって印をつけた柱も、開け方がわからず力尽くで開けようとして壊した通気口の窓も、ちょっとだけあった反抗期に家具を蹴飛ばしてつけた床の傷も。
全部全部なくなってしまったんだなぁ。

アレは杉だったかな。目の前の大きな公園の立派な(多分)杉の木が、大雪で真っ白に染まるのをベランダから見るのが好きだった我が家。
その公園のお祭りの様子も直接見られるのは我が家だけの特権だった。
幼稚園バスだって我が家の下が集合場所だったし、子供会の集会場だって我が家の下だから「誰かもう来ているな」って見つけるのも簡単だった我が家。

正直古臭くって早くイマドキのマンションに越したいと何度も思った我が家だったけど、なくなってしまうとこんなにも寂しいとは思わなかった。
住んでいたのは約22年。きっと我が家の築年数が60年くらいだとしたら、その1/3は僕が住んでいた我が家だし、両親が暮らし始めた頃も含めたら我が家の半分くらいの時間は僕ら家族が住んでいたと思う。
僕らが我が家を離れた後もポストに「ピンクチラシお断り」のシールが貼られたままだったってことは、その後に誰も住んでないんだろうから、我が家に一番長く住んでいたのは僕ら家族だったはず。

正直まだまだ我が家の思い出はあるんだけど、書き出すと止まらなくなっちゃうのでこのへんにしておこう。

我が家。僕がハイハイもできない頃から、大人になって自分の家族を持つと決めるそのときまで、僕の帰る場所であってくれてありがとう


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