月子とケイタ・そんな始まりもある

ケイタ君と電話で話してひと月後、月子さんは犬に触りたくて、触りたくて、たまらない禁断症状に襲われ始めた。

ああ、あの温もりが恋しい。

いてもたってもいられなくなり、ケイタ君に電話して、週末ボランティアに登録した。最初は、犬舎の掃除、そして、餌やり。慣れてきたら、散歩も任されるようになった。暴れん坊女将軍のソラを手懐けただけあっって、月子さんは、どの犬にも冷静に、そして、辛抱強く、温かく接し、気がつけば、どの犬達も月子さんが大好きになっていった。
月子さんも、次の週末が待ち遠しいといった様子だったが、月子さんが来ない平日中に引き取り手が決まるケースもあり、さよならを言えない別れも経験し、寂しさも感じたが、それは、犬たちにとって幸せな事なんだと、自分に言い聞かせた。

東野さんは、こんな気持ちをずっと感じているんだろうか。何年も。何十年も。それとも、慣れるものなのだろうか。
そういえば、ソラは特別だったって言っていたな。つまり、それだけ、ソラが私に引き取られた時、辛かったのかもしれない。
ここでボランティアをする前は、犬猫のお世話をするスタッフ側の気持ちなんて全く考えたことがなかった。引き取られて、良かったとしか感じていないと思っていた。でも、今なら分かる。その子の幸せのために、自分の中に湧き起こる寂しい気持ちを封じ込めるんだ。

週末ボランティアをして、2ヶ月が過ぎた土曜日の夕方、作業を終え、犬舎を出たところで、ケイタ君と鉢合わせをした。

「あ、今日もボランティア、ありがとうございました。すっかり慣れましたね。」
ケイタ君が、にこやかに話しかけてきた。ずんぐりむっくりの髭面の容貌は、熊にも見えるし、セントバーナード犬にも見える。
出会った頃は、柴犬っぽかったのにな。

最近の月子さんは、どんな人間もついつい犬に見立ててしまう癖がついている。

「東野さんのお陰で、ソラとの別れも徐々に受け入れられるようになりました。そして、やっぱり、動物のお世話をしていると、癒されますね。触っているだけで、自分の心の傷が癒えていくみたいな気がします。」

それは良かった、という表情で、ケイタ君は何度も頷いた。

月子さんは、ハッと気づいたように、焦ったように話し出した。

「あ、そういえば、私、ずっと、東野さんにお礼をしないと、と思いつつ、いつも言うのを忘れるというか、タイミングを逃していたんです。もし、良ければ、一度、何かご馳走させて頂けませんか?あ、もしかして、東野さん、ご家族がいらっしゃるなら、お食事なんてご迷惑ですよね。じゃぁ、何かお礼にプレゼントさせて下さい。確か、クライアントさんからの差し入れの、井村屋のどら焼き、大好物っておっしゃってましたよね。そうだ、それがいいですね。今度の週末、お持ちしますね。」

一人で、話を完結させようとする月子さんを、ケイタ君は、目を丸くしながら、急いで制止した。
「いや、誰も、迷惑だなんて、言っていませんよ。喜んで、です。ちなみに、僕、未だ、独身です。そして、早速ですが、今日はまもなく上がりです。月子さんは、この後、何か予定ありますか?」

出会った頃、26歳と32歳だった二人は、ソラと過ごした15年という年月を経て、41歳と47歳になっていた。
26歳だったケイタ君から見た月子さんは、狐顔の美人と言えば美人の部類だが、ひんやりと冷たそうで、性格は変人っぽいし、ある意味、苦手な部類の年上の女性だった。一方、月子さんから見た、26歳のケイタ君は、正義感は強い、押し付けがましい青二才。童顔だったこともあり、青年というより犬好きの少年が、頑張っているなーぐらいにしか思えなかった。

それが、15年という時間が、こんなにもお互いの印象を変えたとは。
ソラとの時間が、月子さんを柔らかく、寛容な女性に変えた。吊り上がり気味の目は、年齢と共に下り、今の性格とぴったりの優しげな表情だ。

素晴らしい飼い主とペット達の出会いと共に自分とペットの別れも、たくさん経験しただろうケイタ君は、何にも動じないような安心感を与え、元々ある温かいオーラが、全身から溢れている。

他人から見たら、イケてないおじさんとおばさんだろう。
でも、二人にとっては、魅力的な人間だな、と思わせる要素が揃っていた。

6歳差が大きく感じた20代と30代。それが、40歳を過ぎると、不思議と感じなくなっている。同じ”もう若くはないけど、年寄りでもない”という年代。まさに、”オトナ”同士。

恋から始まるのが、若い時の恋愛だとすれば、愛から始まるのが大人の恋愛かもしれない。自分が愛する犬を愛する人に愛を感じる。

そんな始まりも悪くない。











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