キャンサーギフトな毎日

セミリタイヤしてほぼ3年の月日が流れた。
2020年11月半ばに、約20年勤務していた会社から、突然、ポジションクローズでレイオフと、Zoom画面越しに通告された。
某日系商社でレアメタルの貿易の仕事をしていたのだが、新型コロナウィルスの影響で、100%自宅勤務になり、仕事量が激少。他の部署でも次々に同様にレイオフ行われていたので、まぁ、さもありなん、という具合であった。

ショックじゃなかったか?
と、問われると、確かに、ショックではあった。
でも、理由は皆様が、想像しているのと違い、”え、予定が10ヶ月程、前倒しになってしまった。”からである。
実は、次の9月の自分の誕生日に、退職をして、セミリタイヤ生活をしようと5年前から準備をしていたのだ。

”最後までちゃんと働きたかったかなぁ。”

というのは、レースのフィニッシュラインを踏めなかった感覚と似ているかもしれない。まぁ、それがショックの原因というわけだ。

ただ、現実には、レイオフになったお陰で、退職パッケージや失業保険も貰え、業務引き継ぎもゼロ。なんてたって、モラハラ・パワハラ上司との縁もすっぱり切れるといういいこと尽くしなので、文句はない。

さて、いよいよ本題であるが、なぜその5年前からセミリタイヤライフを計画していたか?という話だ。

一言で言えば、”がんになって人生観が変わったから。”

自分で言うのもなんだが、私は仕事をするのが好きであった。
学生時代のバイトに対しても、なぜだが、やりがいとお金を稼ぐと言う行為に割り切りを持てるタイプで、自分の仕事の対価としてお金を貰うのが好きなのであった。
きっと、一生仕事をするタイプ。会社を通じて社会とつながっているのが好きな人間。
と、自分で思っていた。

でも、違った。
がん治療に専念する為、会社を半年間休職した。
その時、自分でもびっくりしたのだ。
全然、働かなくても、会社に行かなくても、ヘーキだって。

それどころか、社会というか世界は、全く違うものとして自分の目の前に存在していることに気づいてしまったのだ。

朝日、日中の日差し、夕方の空気、雲の形、風のそよぎ、雨の飛沫、そこいら中にある陰と差し込む光。平凡に見える毎日は、何一つ同じもの、同じ瞬間は存在しないという事実。

刺激的な日々はもういらないな。
そう思えたのだ。

贅沢な暮らしを望んだり、維持するのは大変だけど、そうじゃなければ、なんとかなるのではないだろうか? 
自分の今、手の中にあるもので、暮らしていければ、それでいいんじゃないだろうか?

ラッキーなことに、私は貴金属類やブランド品がないと生きていけないわけじゃないし、新作の電化製品やITデバイスを試したい欲求にも駆られないタイプである。
ランニングは趣味だが、6メジャー制覇とかのタイトルにも全く興味がない。基本、コレクター的要素ゼロ。
せいぜい、近所のお気に入りのベーカリーで新作が出たら、絶対、食べたい、ぐらいだ。

そして、実際にセミリタイヤライフを始めて3年。
うん、悪くない。
いや、悪くないどころか、かなり気に入っている。
時間がたっぷりあるのだから、もっと、生産的なことをしても良さそうではあるが、毎日の生活は、ほぼ、犬のくるみと同じ。
起きて、ご飯を食べ、散歩に行き、また、ご飯を食べ、寝る。
そこの合間に、家事やランニングや読書やyoutube鑑賞が入るぐらいで、基本、犬の暮らしと同じパターン。

会社から離れると、社会との繋がりがなくなるのが怖いって聞くけど、私はさっぱりそれも感じていない。
だって、毎日、アパートのスタッフ、ご近所さん、犬の散歩で会う犬友、セントラルパークでたま一緒に走るラン友、バイト先のメンバー、そして、乳がん患者会のがん友たち、と、会社で働いている時以上に、バラエティに富んだ人間関係がある。それも、利害関係がないので、ストレスフリーだ。

ああ、がんにならないと、今の生活はなかったなぁ。

と、思うと、本当に不思議だ。
がんにはならない方が良いし、常に、再発を恐れる自分もいる。
それでも、がんになったからこそ、得られたものを感じるのだ。
それがキャンサーギフトと言うならば、私は人生でものすごく大きなギフトを貰ったといえよう。





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