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ショートストーリー:猿は振り向かない

僕は本当に平凡な子供だった。
読書が趣味だったから、勉強は得意って程でもないけど、普通程度には出来た。でも、運動に関しては、相当、劣っていると感じていた。つまり、運動音痴って事だ。他の子に比べ、不器用というか、球技なんて、なんでみんなあんなに当たり前にボールを打てたり、キャッチしたり出来るのか、さっぱり分からなかったし、ドッチボールなんて、逃げ回る競技だと思っていたぐらいだ。ボール競技がダメだからと言って、脚が速いわけでもなく、運動会では万年ビリ。リレー選手に選ばれるなんて、夢にすら出てこないシーンだ。

そんな僕だけど、別にクサることなく、逆に脚の速いクラスメイトやスポーツで活躍する友人達を応援することを楽しんでいた。つまり、自分は”応援する側”であり、”応援される側”って意味分かんない、ってのが僕のスタンダード。
多分、このスタンダードは、ある程度の年齢に達すると、世の中の人たちのほとんどではないだろうか?
そのスタンダードを受け入れ、それなりに家族や友人に恵まれると、別にこれといった不満もなく、日々は平穏に過ぎていく。

高校を一般的な成績と青春で卒業し、学校から紹介された地元の会社に就職し、奇抜ではない服装で出社し、上司を敬い、同僚とは友好関係を結び、仕事も指示されたことを真面目にこなし、飲み会ではちょっとはしゃいで、そう、僕は社会人になっても、平凡な普通のサラリーマンとして生きていた。

そんな僕だったのに、なぜ、40歳になり、こんな登り坂だらけの100キロウルトラマラソンを激走しているだ?
それも、猿耳付きの帽子を被って。手には握りやすいのか、握りにくいのか微妙な形状のバナナ型水ボトルが、僕の動きからコンマ0.1秒遅れでピチャピチャと音を立てている。

初めてこの大会に出たのは僕が28歳だったから、あれから12年という年月が過ぎている。本当は2年前に出走10回目を迎えるはずだったのだが、世界的に新型コロナパンデミックが起こり、大会が2年間キャンセルになってしまい、結果、40という大台で記念すべき10回目をチャレンジすることになった。38歳と40歳という差はあるのだろうか?
音的には、38歳はまだ若手って感じがするけど、昔は40で初老という表現を使っていたわけで、やはり、もう若手ってカテゴリーではない気がする。

だけど、僕はこの2年間という時間をただ若さを削ることに使ったわけじゃない。若さだけに頼らない盤石な肉体を作ることにそれこそ心血を注いだ。
それが今、活きているのを実感している。

僕が走ることになったのは、社会人になって何年目だろう?
25歳前後に、友人たちに誘われ、ノリで沖縄那覇マラソンを申し込むことになり、大会の数ヶ月前に流石に少しは走っておかないとマズイだろうって感じで、チョロ練をして、オチャラケで高校の文化祭でウケた猿の帽子を被って参加。
めちゃめちゃ、暑くて、苦しかったけど、沿道の声援が気持ち良くって、気づいたら、サブスリーでゴールしていた。

そこで気づいた。あれ、僕って、もしかして、マラソンの才能ある?
あんなに徒競走は遅かった僕なのに。

不思議な気分だった。初めて、運動で人より秀でていることに気づいた瞬間から、僕は長距離走の虜になった。
練習が楽しくて仕方がなかった。早朝は真っ暗なうちから走り、毎朝20キロ走ってから会社に出勤した。日中眠たくなるどころか、朝から目が冴え冴えで、長距離走の賜物か、単純作業に強くなり、仕事での忍耐力がついた。マラソンの力ってすごい。

何より、仲間が増えた。色んなランニングレースに出始め、顔見知りが増え、ランニングのイベントに顔を出すようになり、気がつけば、多くのラン友が出来た。大人になってから、まさか、こんな青春時代が待っていたなんて、誰が想像していただろう?

そんなラン仲間との切磋琢磨もあり、僕はどんどん速くなっていった。
だけど、同時にフルマラソンレースを走る度に、”上には上がいる”を実感させられた。
才能があるっていってもこの程度なんだな、と自覚せざる負えない気持ちになることも増えていった。
だとしても、僕は、唯一無二のキャラクターを確立していた。
それは、2時間40分を切って走る猿ランナー。
シリアスランナーに囲まれながら、一人、いや、一匹だけ、猿耳帽を被って、ガチに走る僕。それはまるで、スーパーマンやスパイダーマンが、変身すると、すごい力を発揮するのと似ているかもしれない。そう、僕は、猿になることで、普段の自分以上の力が発揮出来ると信じているようだ。

おっと、今は、レースに集中しろ。
マラソンに比べ、100キロと言うウルトラ距離は、集中力を保ち続けるのが中々、難しい。だが、僕はある時、発見したんだ。
自分はマラソンより、ウルトラ距離の方が才能がある、と。多分、こんな風に集中し過ぎているような、し過ぎていないような状態を保ち続けるのが上手いのかもしれない。伊達に、本ばかり読んで、妄想癖を作ってきてないぜ。と、まるで、過去にしてきた事全てが、ウルトラマラソンを走ることに繋がっているみたいに感じられる僕。思い込みって最強。

マラソンでは勝てないランナーに、ウルトラでは勝てる。

その集大成として、毎年走っているこの野辺山100キロレースで優勝したい。
それも、自分にとって、10回目と言う記念レースで。

その為に何年もトレーニングを積み重ねてきた。
今、走らずして、いつ走る?(これって、林修のパクリ?)

そうは思っても、前半は、キロ4分ではついていけない高速レース。なんとか、トップ集団の最後尾に必死で食らいつき、中盤で漸く、猿の本領発揮。
次々と落ちていく、トップ集団ランナーを横目にキロ4分ペースをキープ。
気がつけば、ひとり旅に突入。と、言っても、前に一人いる。
30歳そこそこの土方君。だけど、その姿は点ですら確認出来ない。
どんだけ前を走っているんだ。
前半から調子が良さそうだったもんな。

ちらりとガーミン時計を見る。現在、93キロ地点。後7キロでレースは終わる。7キロと言う距離はウルトラの世界ではもうゴール間近。
きっと、追いつけない。そうなんだよな、現実は甘くないのだ。
そんなの分かってる。僕は、子供の頃からヒーローを応援する脇役。
もうその役目はプロレベル。猿は結局はおちゃけな役目なんだ。

沿道の先に応援に来てくれているラン仲間の顔が見えた。せめて、名脇役のイメージで走り抜けようと笑顔を見せた。

「トップと2分差だよっ!」

大声で叫ばれた。笑顔が引っ込む。
その言葉の意味は、”お前なら追いつける。”だ。
なんだよ、自分が自分を諦めていたのに、ラン友は僕を信じているのかよ。

僕の切れかけていた集中力が急に高まり、あっという間にエネルギーがチャージされた。ラン友の言葉ほどエネルギーになるものはない。
くっそー、ラン友、サイコーかよ。

そんな事、言われて、走らない漢はいない。
いや、もとい、オス猿はいない。

僕は、一気に加速した。僕はただの猿じゃない。スーパー猿だ。その思い込みが僕のストッパーを外す。
肺が痛い。心臓も熱い。でも、気持ち良い。
よし、やれる。僕はまだまだやれる。走れ猿。行くんだ猿。

自分で自分を応援し、一度大きく深呼吸して、更に加速した。
猿の逆襲を見せてやる。

1キロ、2キロと全速力で進む。でも、中々、前が見えない。土方君も加速しているのかもしれない。
一瞬、萎えそうになる。だが、ヒーローはそんなことで諦めない、と自分に言い聞かす。
歯を食いしばり、坂道を一気に駆け上がる。

見えた。土方君の背中が。そして、どんどんと近づいてくる。

97キロ地点。残り3キロ。
一気に抜き去り、最後まで抜き返されずにイケるか?

考えるな。やるんだ。

僕は、更にスピードを上げ、土方君を一気に抜き去った。
土方君のギョッとした顔の残像を振り切るように、スピードを落とさず走り続けた。

残り1キロ。
短距離走が苦手な僕にとって、1キロは長いのか短い距離なのか。
僕より10歳近く若い土方君が後ろから必死に迫ってきているのは分かっている。どれぐらいの距離の差があるのだろう。
振り向きたい。

でも、振り向かない。
振り向く暇があれば、前に行け。

すべての音が消えた。
沿道の声援も、後ろから迫っているだろう土方君の足音も。

ただ、ひたすらに僕は身体を動かす。
前だけを見て。

ハッと目が覚めたような感覚に襲われた瞬間、目の前にゴールゲートが見た。え、まさか、

ゴールテープが僕を待っていた。

両手を広げて、ゴールテープを切った。
子供の頃、ずっと脚が遅いと思っていた僕が、リレー選手を応援する役だった僕が、1番でゴールテープを切った。

自然と涙が溢れ、なんだか分からないぐらいの興奮に襲われた。
本物の感動ってやつを、40歳にて初めて知った。

ヤバい、これは癖になりそうだ。
僕はその瞬間から、来年のゴールシーンを夢描いていた。

(完)















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