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後悔が自分を作る

最近、”後悔”も悪くないな、と思うようになった。

昔は、この↓心理カウンセラーさんが言うように、「後悔する暇があれば、反省して、前に進め」と思っていた。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/faa25ce9b425a171be401376cca59651d1339e41

(記事抜粋)
「反省」は、「改善点を探るため、過去の行いを振り返り、もう一度考えてみること」という意味です。これに対し「後悔」は、過去の失敗から改善点を探ろうとしているわけではありません。過去に起きてしまったことや取ってしまった行いについて深く悩み、「あんなことをしなければよかった」と囚われている気持ちが、「後悔」です。

要するに、
反省は未来に目を向けている行為であり、
後悔は過去に囚われている行為であるということです。
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”後悔”という言葉自体が、ウジウジしていて、後ろ向きで、何の生産性もない無駄な労力に感じていた。

だが、この歳まで生きてみると、今の自分を作っている核の大きな成分の一つは、”後悔”じゃないかと気付いたのだ。

一番最初に思い浮かぶのは、17歳の高校生だった私。
その頃、東北の地方都市石巻市内に、サンプラザホテルと言うシティ感(都会な雰囲気)満載なホテルがオープンした。家族旅館を経営していた我が家と買い出しに出かける商店街の間に位置しており、祖母は毎日、そのホテルの前を通って、買い物に出掛けていた。
当時、祖母は60代後半。口が達者(口が悪いともいう)で、働き者で、バリバリ稼ぐ癖に、破れた下着まで帆つって履き続けるレベルのシマリ屋さん。私が気付いた頃には、既に、脚が弱くて、杖をつきながら、びっこを引き引き歩いていた。そして、いつも着物にモンペと言うスタイルだった。

ある日、偶々、時間があった私は制服姿のまま、祖母の買い物に付き合って歩いていた。旅館までの帰り道、サンプラザホテルの前で、祖母が言った。

「コーヒーでも飲んでいっか?(コーヒーでも飲んでいこうか?)」と。

私は速攻断った。
だって、こんなカッコで、そんなキラキラしたホテルの道路に面したガラス張りのカフェレストランに入るなんて絶対ムリー!!。誰か(友人達)に見られたら、恥ずかしいじゃないっ!
そんな理由だった。多分、そんなことも分からない祖母に腹も立ったかもしれない。

それから半年後ぐらいだろうか、祖母は急に体調を崩し、入院。末期の胆管がんだったようだ。私の大学受験中に旅立ってしまった。

なぜ、私は、あの時、自分の一時の何の役にも立たないプライド?見栄を優先してしまったのだろう。

その時の祖母の思考回路、気持ちを想像する。
きっと、孫の私を喜ばせたかったんだろうな。
きっと、自分も行ってみたかったんだろうな。

私はその二つの思いを叶えてあげなかった。大した望みでもないのにね。

これは間違いなく、後悔だ。反省ではない。

ずっと、囚われている。

でも、囚われているから、すぐに思い出すのだ。同じような状況に遭った時。
その時、自分の中に最初に生まれた感情を見直せるのだ。
そして、自分に問いかけるんだ。

本当に良いの?それで、後悔しないの?、と。

反省は、自分に取って、有利な方向に進ませてくれるかもしれない。
後悔は、私に取っては、立ち止まって、考える時間をくれる。自分の一瞬の心地良さ、有利さよりも、大切なことあるんじゃない?などなど。

そうやって、私は今日もウジウジ生きていく。
歩みは遅い。
でも、景色は良く見える。









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