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自分がADHDやASDであることを"あまり信じない力"が大事な気がする話

どうも、くろろじ( @KUROROJI )です。

フリーランスで映像とWeb制作のお手伝いをしています。

今回は発達障害のADHD・ASDについて考えてみようと思います。やや批判的な内容も含まれますので閲覧はご注意ください。

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僕はADHDやASDといった発達障害的なものに当てはまるタイプの人間です。集中力は少ないし、微妙にこだわりが強かったりします。

が、その症状について悩んで心療内科にまで通ったのは確か8年くらい前で、先生からは「ADHDの傾向があるかもしれません。治療するなら薬出すけど、個性的なものかもですねー」みたいに言われて、特に何の成果も得られなかったような記憶があります。

ただ冷静に考えてみてください。

ADHDとかASDとかの急に生まれた概念に振り回されて生きるのはとても疲れることだなぁと。

僕は今でも集中力を欠くし、noteの執筆に関しては没頭するように集中力を発揮するしとてつもなく当てはまったりするんですけど、単に仕事が楽しくなかっただけかもしれない。パソコンに対しての向き不向きがあるのかもしれないなんてことを考えたりしてしまうのです。

というか、しばらくの間自分がADHDやASDであることを忘れていたような気がします。

で、ふと思い出すきっかけがあったのでこのnoteを書いているんですけど、気にしようと思えばいくらでも気にすることができるのがこのADHDやASDのようなものなのかなって気がしています。

要は、これは病気でも障害でもなんでもなくて単なる性格診断的なもので「集中力が無い人」が集中してしまった結果なのかもしれないし、ただ喋るのが苦手な人がまとめられてしまっただけかもしれません。

僕がここに書いていることは医学的にも科学的にも全く根拠のないことなんですけど、そもそもそんなことを気にする時間があるなら好きなことをどんどんやって人生を楽しんだほうがいいんじゃね?と考えたりもします。

今でも本は2ページ読んだらすぐ飽きますし、スプラトゥーンは2時間ぶっ通しで遊べますし、仕事も5分集中して10分倒れて休んだりもするんですけど、単に向いていないだけかもしれないし、体調が悪いのかもしれません。

なので、あまり深刻になりすぎないのも大事なのかなと考えています。

僕はただの個性っしょという楽観的な考えではなくて、そもそもこのことについて悩んでいるほど人生は長くないという考えなのです。

集中力がない人は大体色んなことに手を出していると思うし、逆にめっちゃこだわってしまう人は職人気質なのかもしれません。

こんなことを障害なんて言っていないで、いいから好きなことをやればいいのかなって思っています。

あえて超極端な書き方をしてみましたが、それでも僕は色々当てはまっている側の人間ですので、この考えから逃げるというのも人生の楽しみの一つなのかなと思っています。

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