喜怒哀楽の総量
人間の一生は1日として同じことが起こることはなく、その生涯はすべて偶然である。今、運に恵まれているからといって、それが一生続くとは限らない。なので、その人が幸せだったかどうかは、その終わり方を見るまでわからない。
だからこそ、人間死ぬまでは、「幸運な人」とは呼んでも、「幸福な人」と呼ぶのは差し控えなければならない、と。
ヘロドトス「歴史(幸福問答)」より
やはり人生は、「喜楽」もあれば、「怒哀」もあったほうがいい。ゲラゲラ笑ったり、腹を立てて怒ったり、悲しんだり、喜んだりと、喜怒哀楽がたくさんある人生のほうが、はるかに面白いし、たくさんの思い出とともに、人生を豊かにしてくれる。
「嬉しいこと+100」が、「悲しいこと△100」でオフセットされるのではない。絶対値を足して200となるという考え方。
麻雀をやる人ならわかるだろうが、半荘を何回かして、ボロ負けして悔しい思いをする方が、勝ちも負けもしない1日よりも刺激的で楽しいと感じるのは共感出来ると思う。
終身雇用制度が撤廃され、尋常ではないスピードで変化する環境の中、混沌とした人生が待ち受けているのではと不安に駆られる我々中高年サラリーマン。
もちろん、オフセット出来ないマイナスもありますが、その変化の総量を絶対値として合算し、糧としてとらえ、人生を楽しんじゃいます。
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