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エジプト珍道中

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エジプトでの旅日記です。2023年5月の連休に。
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記事一覧

#16 エジプト珍道中 スークを北へ

サイイダ・アイシャ通りを北へ歩いている。 未舗装の道、続く渋滞。車列のわずかな隙間に滑りこむバイク、小刻みに連打されるクラクション。排気ガスとともに憤りが散る。店から漏れる陽気な音楽、バイクのエンジンの破裂音、食材をまとめ買いしようと値段交渉に熱をいれる客。喧騒に包まれる。前から後から、右から左から、意味不明の言葉が突然、飛びこんでは遠ざかってゆく。猛スピードで。 布のパラソルを広げた屋台が並んでいる。じゃがいも、トマト、オレンジ、すもも。座りが良さそうなものはピラミッド

#15 エジプト珍道中 夜の遊園地

もう帰るわよ! いやだ、まだ帰りたくない! 本当にそう言っているかは知らないが、男の子が泣き叫びながら、母親の追走をふりきって逃げている。その広場にいる全員が注目するほどに大きな声で。 「ファラオ村」のゆるさにつられて気が緩んだのか、深い睡魔におそわれ午睡をし、真昼の炎天下をやりすごしたあとに寝ぼけ眼でむかった先は、市街地のはずれにあるアズハル公園だった。公園の芝生の丘には、敷物を広げて輪になって座ったり、寝そべったりしてリラックスしている家族が大勢いた。そのあいだを縫っ

#14 エジプト珍道中 ファラオ村

エジプトの旅で、妻がいちばん行きたいところに挙げたのは、ファラオ村だった。ナイル川の中洲にあるテーマパークだ。 鼠をモチーフにしたあの人気キャラクターがいる夢の国では、入園後に乗りたいアトラクションをめがけて走りだす人もいるらしいが、ファラオ村に入ってまずやることは、待つことだった。 最初のアトラクションでボートに乗るのだが、できるだけ多くの人をまとめて相手にしたいらしい。だが、いくら待っても誰もやって来ない。待合所でマンゴージュースを飲みながら待つこと十五分。平日の午前

#13 エジプト珍道中 汽笛とともに

日没がせまる夕方、エジプト中部のその主要駅の前には、人が群がっていた。バックパック、ボストンバッグ、スーツケース。いろんな荷物がある。 旅の中盤、拠点のカイロからルクソールへ向かうときは、「ホルスの逆襲」に遭いながらも飛行機で一気に移動したが、帰りは一転、のんびりと寝台列車で戻ることにした。 だが、混雑で駅舎に入れない。というのも、中に入るために荷物検査をしなくてはいけないのだが、機械が一台しかなく、乗客全員がその一列をめざしてごった返していたのだ。出発の時間までにまだ余

#12 エジプト珍道中 マシンガンの導き

ルクソールは、人を狂わせるほど、暑かった。 エジプトでは終始おだやかにすごしていたのだが、一度だけ声を荒らげてしまった。ナイル川にそって走る大通りで、歩道を歩けばタクシーの客引きが、川に逃げればファルーカとよばれる小さな帆掛け船の客引きが、ひっきりなしに声をかけてくる。さらに、馬車にも並走され、乗ってけ、乗ってけ、乗ってけてけてけの大合唱。えんえんと追いかけられたときのことだ。 乗らんよ! もう着いてくんなや! カイロの客引きには、ありがとう、乗らないよ、と涼しげな顔で

#11 エジプト珍道中 ホルスの逆襲

鼻息を荒くして、あるビルの前に立っている。ハヤブサの頭をもつ天空の神、ホルスのロゴを冠した敵の本丸、エジプト航空の事務所だ。 ことの顛末はこうだ。旅の中盤、拠点のカイロを離れて、エジプト中部のルクソールへ行くことにしたのだが、計画のさなかで移動日を一日早めたときに、あるトラブルが発生した。 航空会社のウェブサイトで、すでに予約した航空券の日程を変更しようとしたが、なぜかうまくいかない。こうして手間取っているうちに、刻一刻と空席が埋まってしまうことに焦りを募らせ、とりあえず

#6 エジプト珍道中 ニノのサンドウィッチ

ニノの店は、味だけでなくなにより、安心できる、戻りたくなる場所だった。 エジプトといえば誰もがすぐに思いうかべるあのピラミッドがあるギザの、観光客でにぎやかな通りから横にそれると、馬糞がそこらじゅうに散らばり、砂埃が舞う未舗装の裏通りとなるのだが、一気に地元住民の日常へと迷いこんで少し不安になりはじめたころ、ニノが立っていた。 ニノはきょとんとしている私にむかって、ステンレスのへらを握って近づくと、受け皿のように差しだした私の手のひらに、何かを転がした。炒めた鶏肉だった。

#5 エジプト珍道中 おしゃべりタクシーにご用心

おしゃべりタクシードライバーには、気をつけるべし。 もちろん、ただの陽気な人であれば、偏見の眼差しを注いでしまってたいへん申し訳ないのだが、数少ない経験をもとに、自分を守るために導きだした結論はこうだった。そして、火曜日の朝に乗ったタクシードライバーの男も、やはり、おしゃべりだった。 この日は、土産物を探すために大型モールへ行く計画を立てていた。観光客の集まる市場に並んでいるいかにもエジプト土産といったものでなく、地元のエジプト人が買う日用品をお目当てに。 タクシーが到

#4 エジプト珍道中 ハイジと出会った夜

アッサラーム・アライクム。 アラビア語で「こんにちは」を意味する言葉で、よく交わされる日常のあいさつだ。旅のさなか、何度も口にした。タクシーに乗ったとき、すれ違う人と目があったとき、レストランで注文するとき、誰かに近づいた瞬間、すかさず自分から先に言った。というのは、なんとなく、怖さをまぎらわすために。 日本にいるときに私も経験があるが、日常の風景のなかに異国人を見かけると、あまりじろじろ見るのはよくないと思いながらもつい、ちらりと視線を送ってしまう。ここエジプトの観光客

#2 エジプト珍道中 飴玉少年の悲劇

一枚の写真を見てほしい。 注目してもらいたいのは、年季のはいった赤と黄色のパラソルでも、その下で買い手を待つ鶏でもなく、左端にいるバイクにまたがった少年だ。満面の笑みをうかべているが、ほんの数秒後、この少年は大号泣することになる。 この写真は、「靴を瞬時に記憶する男」が門番をつとめるモスクから、観光客を相手にした土産物屋が集まるハンハリーリ市場へと抜ける通りにある、地元の人が多く集まる市場を歩いているときに撮った一枚だ。じゃがいも、トマト、茄子などの野菜や、バナナ、オレン

#1 エジプト珍道中 靴を瞬時に記憶する男

外からやってくる人に目を光らせる男がいる。カウンターに頬杖をついて気を抜いているようだが、眉間には深い皺が刻まれ、眼光は鋭い。 エジプトの首都カイロ、イスラーム地区にあるモスクのひとつ、Al-Rifa'i Mosuqueだ。モスクはイスラム教の礼拝所のことで、いくつかのルールを守れば、観光客も見学することができる。そのルールのひとつは靴を脱ぐというもので、脱いだ靴を手に持ってそのまま中に入ることもできるのだが、エジプトではただでは転ばない。 エジプト人に根ざしたものの考え