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3行日記(須田剋太、矛盾の結合、本当の下手)

九月十八日(月)、晴れ。
白露、玄鳥去、つばめさる。

先日、少しだけ書いた須田剋太のことを書こうと思う。そのときに出会った言葉をいくつか。

他人の中に這入って行く事が、矛盾の結合の一歩なのです。

本当に下手でないといけない──本当の下手こそ──下手とは、純粋で正直で、稚拙で嬰孩性の事です。実はこれが本当の書だと云っています。私は感動しました。本当の下手とは、他とくらべられないものだからと云う。これが上手なら、優等生として成績がいいと云う見方をします。一体この優等生は、何を、何処を、根拠にしているのですか? 王鐸ですか? これでは皆均一になってしまいます。ある展覧会では全員が──十五才も四十才も皆王鐸、優等生になって、均一になって並んでいる。近代文明は皆均一にしてしまう。恐れあり。便利でいいのだが──これでは生きている楽しみはない。オブジェでない。

オブジェになる為には、まず嬰孩性(チャイルド)で体験そのものであり、また下手(稚拙・プリミチーブ・primitive・原始の、根源の、未発達な、粗野な)で、そして神の実体が内在されなければならず、その上、物語的主題を否定します。この五つが結合した物質こそ──オブジェなのです。オブジェ論です。オブジェとは抽象絵画の実体なのです。抽象である事が、オブジェの事です。

矛盾の結合は本当に可能なのか? …… チャイルドで体験し続け、物質になり切って、造型性そのものになり切って極め尽し、稚拙で、神の如く純粋になり切って仕事をやってのけてしまへばいいのです。仕事に追われているのではなく、今すぐやってのけてしまう事です。この自分とのめぐり逢えた事は、千万人の人に出会った事より強いのです。激しいのです。これ以上の感激はない。仕事しかないのです。解決のつくまで、作品出現に向ってまっしぐら。上手下手も善悪も、チャイルド、アダルトの区別もないのです。今の瞬間こそは、過去、現在、未来、老人も荘子も、佛陀も道元も、同時に生きています。結合した場です。体験の場です。感激の場です。愛情の場です。愛情こそは人間の凡て。愛情(嬰孩性)を取りもどせ! 矛盾の結合は、この愛情でしか創り出せない。

こどもで/げんきで/ものになりきる/下手で/かみさまで/いますぐ/やってのける

宇治川の葦原を塒にしていたあの燕たちは、もう去っただろうか。

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