見出し画像

#12 エジプト珍道中 マシンガンの導き

ルクソールは、人を狂わせるほど、暑かった。

エジプトでは終始おだやかにすごしていたのだが、一度だけ声を荒らげてしまった。ナイル川にそって走る大通りで、歩道を歩けばタクシーの客引きが、川に逃げればファルーカとよばれる小さな帆掛け船の客引きが、ひっきりなしに声をかけてくる。さらに、馬車にも並走され、乗ってけ、乗ってけ、乗ってけてけてけの大合唱。えんえんと追いかけられたときのことだ。

乗らんよ! もう着いてくんなや!

カイロの客引きには、ありがとう、乗らないよ、と涼しげな顔で一言だけ伝えて、あとは気にせず無視をしていたのだが、このときはそうできなかった。というのも、突き刺さるような攻撃的な陽射しと、アスファルトにじりじりと焼かれる熱で、頭がくらくらして冷静にいられなかったのだ。考えるよりもさきに口がうごき、気づけば、日本語で怒鳴っていた。気まずい沈黙がはりついたあと、そんなん言わんでええやん! と妻に叱られた。

古代エジプトで太陽は、生と死、さらには再生の象徴だ。南北につらぬく巨大な川をはさんで、陽がのぼる東岸は神を祀る神殿がおかれる生者の町、陽がしずむ西岸は歴代のファラオが眠る死者の町とよばれる。

荘厳な柱が並ぶ神殿や、色鮮やかな壁画が残る岩窟墓など見どころが多く、ルクソールは観光客に人気のエリアだが、いずれも炎天下の試練をのりこえなければたどり着けない過酷な場所にある。贅肉をたっぷりと溜めこんだ欧米からの観光客は、白い肌を火傷のように赤く腫らせ、今にも倒れてしまうのではないかと心配するほど、ぶあつい肩を大きく揺らし、ぜいぜいと荒く息をしていた。

この日の午前中は、東岸にあるルクソール神殿に向かった。前日に西岸をめぐって思いのほか体力を奪われたので、この日は最大限の対策をして熱中症に備えることにした。

考古学者が遺跡を発掘するときに身につけていそうな鍔広の帽子をかぶり、濡らしたタオルを首に巻きつけ、塩分を補える飴をポケットにしのばせ、さらには、「ホルスの逆襲」により大半を鞄のなかにぶちまけてしまった日焼け止めの、痩せ細ったチューブから絞りだした貴重なクリームを、こんがりと焼けた肌に塗りつけ、万全の態勢を整えた。

それにもかかわらず、外にでると一分ももたずして汗が吹きだし、身体に蓄積された熱で意識がぼんやりとしはじめ、心に余裕がなくなった結果、冒頭のように、しつこい客引きにつらく当たってしまったのだ。私は行き場のない気まずさをにじませながら、わずかな日陰をさがして壁にはりつくように歩いて、ようやく神殿の入口らしきところに着いたのだが、そこには物騒なものを持った男が立っていた。

りっぱな口髭をたくわえたその男の、全身まっ白い制服の半袖からのびた毛深い腕の先には、サブマシンガンが握られていた。初めて間近に銃を見た私は、先ほどまで暑さで意識が霞んでいたのが嘘のように、緊張感でぴりりとはりつめた。男性の腰のベルトにはトランシーバーが刺さり、左肩には「POLICE」と書かれたワッペンがある。どうやら地元の警察官らしい。

なかに入って良いものかと私がまごついていると、男は彫りの深い眼の奥に優しさをにじませ、ようこそ、さあ中にお入り、と手招きをしてくれた。靴を「靴おじさん」に渡し、男にうながされるまま奥に進む。かちゃかちゃとサブマシンガンが揺れる音が、気になってしかたがない。自然と背筋が伸びた。

礼拝堂にたどり着くと、覗いてみろよ、と男が銃の先でとある窓を指す。なにもそんな物騒なもので指さなくても、と苦笑いしながら、いそいそと妙に素直にしたがって窓枠から身を乗りだしてみると、下にはルクソール神殿の中庭が広がっていた。なるほど、ここからなら一段高いところから、神殿の柱が並んでいるのが一望できる。しかも、日陰で涼しいし、こんなところからゆったり見られてラッキーだ。笑顔でふり向き親指を立てると、男は満足そうに口元をゆるめた。

お前たちは結婚しているのか、男が眉間に皺をよせながら確認する。そうだと私が答えると、男は少し間をとったあとで何度か小刻みに頷いて、さらに奥の部屋に通じる扉を開けた。その部屋は、外の空間とくらべて異様なほど涼しく、静かに感じられた。

その部屋の壁には、無彩色の壁画が刻まれていた。どれほど前に彫られたものだろうか。場所によってはずいぶん傷んでいる。かなりの年月がたっているのだろう。私と妻は、壁に肩がふれるくらい近づいて、互いに向き合って立ち、ここをさすれ、と指示を受けた。またもや殺傷能力をもつ鉄の筒で男が指し示したものは、「T」のうえに輪がのったような模様だった。見覚えがある。たしかこれは「アンク」、命の鍵、生命の象徴だ。私と妻は、男の導きにしたがって、壁に刻まれたアンクをさすり、その手を、互いの頭、胸、下腹部にあてて、やさしくさすった。意味するところはわからないが、言葉を慎む、神聖な時間だった。

私は感謝の気持ちを伝えて去ろうとすると、きょう一番の笑顔を見せた男からバクシーシを要求され、案内役の警察の男に、付き添いのおじさんに、靴を預かってもらったおじさんに、一ドルずつを握らせたのだが、去りぎわに、またもや男がサブマシンガンを振りかざし、隣の敷地を指してこう言った。ルクソール神殿の本当の入り口はあっちだ。

どうやら場所を間違っていたらしい。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?