見出し画像

村上春樹:タイランドの「石」について考えてみた。

通っている読書教室で、物語のキーワードである「石」について書くという宿題が出ましたので、こんな感じに仕上げてみました。

カウンセリングのように、過去の辛い体験を誰かに語ることで、その語り手は癒やしを得ることが出来ると思うのだが、ニミットはさつきが話すことを許さない。これは一体どう理解すべきなのだろう。

僕なりに解釈してみた。「言葉は嘘になる」、そして「言葉は石になる」。つまり発した言葉は嘘、すなわち言葉通りのものではなくなり、それが石のように心の奥底に残り続けてしまう。言語化することによって、魂のレベルで考えている怨念とは違う別の怨念の感情(嘘)を生み出してしまい、それが(石のように)末永く心に残り、かえってさつきが苦しむのをニミットは懸念した。

つまり強烈なトラウマを抱えていたとしたならば、思考回路は正常ではないはずだから、ややもすると過大に過去の出来事を再定義してしまい(つまり嘘として)、そしてそれが心に居座り続けることで精神状態を悪化させ、余計に傷つくことになると考えたのではあるまいか。そうであるならば、語ることなく魂レベルにそっと仕舞っておき、長い時間に身を委ね自然に癒やさるのを待つべきなのだということなのだろうか。

これは神戸の震災で被災した人々へのメッセージであると解釈することもできる。大変な思いをして辛いけれど、今は多くを語らないで心を落ち着かせ、時が癒しを与えてくれるのを信じて待つことが必要なのだと。物語最後でこのメッセージをさつきに語らせているようにも思える-「とにかくただ眠ろう。そして夢がやってくるのを待つのだ。」-

しかし、やはり他者に語ることによって癒しを得る人(自分もそのうちの1人だ)もいるだろうにと思うのだが、魂が揺さぶられるような強烈な体験にかんしては、村上春樹は言語化されるとフィルターがかかり、その人の魂から発せられた真の想いとはイコールにはならないと思っているのかもしれない。深い井戸の奥底にあるものは、けっして言葉に変換できないのだ、みたいに。

村上さん、一体どういうことなんですか?僕にはさっぱり分からない。小学校の国語の授業で一番の謎だった「このときの作者の気持ちを考えてみよう」という問い。「作者に聞かなきゃ分からない」といつも思っていた。村上春樹に会って聞く機会は果たしていつか来るのかしらん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?