松村康貴様へ(往復書簡4)

⁡自他ともに認めるワーカホリックなので、休みの日になると何をしていいかわかりません。なのでなにしようかなと自転車に乗って街をウロウロすることがよくあります。よく行くのは市立図書館。今は情報がすぐに手に入る時代となりましたが、それはおそらく「自分が知っている知らないこと」でしかなく、それ以上には出会えないのではないか。でも図書館や本屋さんは少し趣が違って、「自分が何を知らないかを知ることができる」そんな場なんじゃないかと思い、よく足が向くのかも知れません。⁡

でも先日は久しぶりに目的ありきで図書館に訪れました。しかも普段はあまり目を向けない棚の方へ行き、身体を屈ませて、とある本を探していました。それはマッチ売りの少女という童謡の本でした。松村さんが僕とおばあさんのお話を聞いてから、マッチ売りの少女が頭の中で暮らし始めたとのことだったので、そういえばきちんとと読んだことないなぁと思い、探しに行きました。

童謡のコーナーのアンデルセン童謡集に書かれていたのを読み驚きました。あぁこういう話だったんだと。売ることを放棄した、「ありがとう」の機会を自ら手放さざるを得なかった少女は、最後まで関係を求めていた。悲しいお話ですね。現れた幻影は、どうしておばあさんだったのか。それはおばあさんが少女にとって唯一の帰ることを望む安心できる場所だったから。「いま、ここ」という確かな温もりを確認できる世界の可能性を捨ててでも、少女はそこに回帰しようとした。そこには大晦日の夜にたった一人でこの世を去ることになった少女の絶望があったのでしょうか。

⁡⁡僕のことをお父さんと呼ぶおばあさんがいました。新人時代、最初に担当したおばあさんです。名をサトさん(仮)といいます。どうやら僕のことを旦那さんだと思い込んでいて、いつもお父さん、お父さんと僕を呼んでくれていました。最初はとても嬉しかったのです。新人ですから、組織の一員としては正直あまり役に立てていない。そんな時に僕を必要としてくれたものですから、それはそれは嬉しい思いがしました。何より僕の言うことをよく聞いてくれました(笑)。

最初はそれでよかったのですが、次第に雲行きが怪しくなってきました。僕が担当しているフロアではなく、違うところで仕事をしていると、遠くの方から大きな声で僕を呼ぶのです、それも何度も何度も。しまいにはほとんど歩けない身体をどうにかして壁伝いに歩き、僕を自分の所へ帰ってこさせようとするようになってしまいました。こうなるといわゆる転倒のリスクが上がってしまい、実際にサトさんは転倒を繰り返すことになるので、周りからのなんとかしろよ、という視線が痛かったのを覚えています。⁡

実は最初からお父さんだったわけではなく、ある時を境にお父さんと呼ばれるようになりました。まだ出会って間もないある日のこと、サトさんは排泄を失敗していました。しかし、そのことにサトさんは何故か気づいておらず(それまでは排泄行為は自立していて、失敗もほとんどなかった)、ダダ漏れ状態で食堂へやってきたのです。いち早く気づいた僕は、なるべく周囲に悟られないようにそっとサトさんに告げました。ところがサトさんはそのことに対して怒り狂ってしまい、「違ったらしょうちせえへんで!」と僕を脅しながらトイレへ向かいました。しかし、サトさんはトイレで僕の言っていることが事実だったと分かると、一変して僕に謝罪してきました。そこから、信頼を勝ち取ることになったのか、はれてお父さんの座を手にしたのでした。⁡

周りからの冷笑に気づかないフリをしながら、他の男性職員と仲良さげに話している場面を見て嫉妬しながら、どうにかサトさんとの関係を続けていましたが、段々と、あることが気になってきました。それは、「なぜ僕をお父さんと呼ぶようになったのか」そのサトさんの内的世界のことでした。当然ですが僕はサトさんの旦那さんではありません。ご家族にお伺いしても、まったく似ていないとのこと。認知症に伴う心理的症状、いわゆる人物誤認といえば簡単ですが、なぜ僕なのだろうか。なぜお父さんなのだろうか。⁡答えはサトさんの中にしかないのでわかりませんが、仮説としては、「僕が交換可能な頼れる存在だったから」なのかもしれません。認知症の方の被害妄想の対象は、その時一番頼れる人が対象となりやすい、ということは介護の世界ではよく知られています。お世話されることになった自分、その自らの無価値感を覆すために、もっとも親しい人の価値を下げようとする、というロジックで行われているのではないかということです。サトさんは僕に被害妄想を突きつけることはしませんでした。代わりに、生涯でもっとも信頼していた存在を僕にあてがうことで、その無価値感を軽減させようとしたのではないか。そしてそれは頼れる存在、いわゆるお父さんの代わりになり得る人なら、誰でもよかったのでした。自らの「いま、ここ」に合うなら。それは少女が〈ここも家も寒いのには変わりないのです〉と結論付け、売り物であるマッチ(商品)に火をつけてたことに通底しているのではないかと思います。等価交換が原則とされる市場経済原理の世界では、もはや少女もサトさんも生きることができなくなったということなのかもしれません。⁡

やがて僕は、そのサトさんの背景に思いを馳せ、孫より歳の離れた男性をお父さんと呼ばざるを得なくなった世界に、少しでも寄り沿ってみようと思いました。とは言うものの、サトさんの介助に入る度、渾身の、その身が震える程の「ありがとう」を僕にくれるサトさん。僕が献身的であればあるほど、それはサトさんの中で積み重なっていきます。僕はまだまだ介護職として本当の意味で未熟だったのです。⁡そこで僕は、サトさんに僕の肩を揉んでもらうことにしました。「あぁ凝ってるねぇ!!」嬉々として揉みはじめたサトさん。その目は輝いて見えました。虚構の中で続けていた関係に、今自分が役に立てるという思いが芽生えたのです。ありがとうを生業とする僕ら対人援助職は、時としてそのありがとうの裏に隠された真意に気づかなくなります。それは、一方からだけのありがとうという言葉は、支配的権力関係の間隙に棲まうということ。僕らは簡単にその権力関係の闇に堕ちることになりうるのです。僕の肩を揉むことは、介護が措置から契約関係となった今の介護サービスの論理としては、どこか歪なのかもしれません。それは等価交換ではないからです。しかし、介護とは本来関係なくして語れないもの。僕はようやくサトさんに「ありがとう」と言うことができたのです。そして、それから少しずつ、僕のことをお父さんと言うことは少なくなっていったのでした。

⁡⁡随分と過去のお話なので、色々齟齬があるかもしれませんが、サトさんとの思い出は、僕の介護職人生の中で、今もその根幹部分に深く根ざしています。それからサトさんはよだかや少女のように、少しずつ幼き頃に、そして産道体験にすら回帰していくような経過を辿ることになります。よだかや少女は比喩としてですが、サトさんは本当に僕らの前で回帰していき、母を求めていくようになりました。最初は旦那さんに、次に子どもたちに、そして最後は母に居場所を求めていく様は、世界から拒絶された少女が、温かいもの温かいものへと幻影に身を寄せる様と重なりますね。僕らはその幻影に付き合いながら、こちらの世界も満更ではないぜ、ということを介護を通じてサトさんに知って欲しかった。それだけでした。

⁡母を求める方がこれほど多いとは、介護の世界に入るまで知りませんでした。男性女性問わず、そのボケが深まった方であったとしても、最後に母を求める姿に、ホッと安心する思いと、どこか畏怖する気持ちが自分にあるのがわかります。それは今自分の母を思うことへの、反抗期さながらの嫌悪感みたいなものもありますが、人が母へ求める期待感や拠り所にする思いの重さに、まだ了解しかねるという感が自分にあるのかもしれません。近代的個人主義にどっぷり浸かって育った自分たちが、いざ歳をとり、病を患い、死へと向かうことが実感として生じた際、どのように感じるのか。その時きちんと母を求めることができるのか。そこへの関心が強くあります。松村さんが、人は母を求めることをどう思うかも凄く気になるところです。⁡それは、マッチ売りの少女の目の前に現れた幻影が、何故母ではなくおばあさんだったのか、ここにも繋がるような気がするのです。僕はサトさんから「交換可能な頼れる存在」となりました。つまりお父さん役は僕はじゃなくてもよかった、ということです。それはサトさんにとって贈与の対象となる人、負債をどうにか返戻できそうな人なら誰でもよかった。「頼れる存在」なら誰でもよかったと言えます。「本当に頼れる存在」でなければ誰でもいいのです。だからこそサトさんも最初は僕を母としてではなく、お父さんという役割をあてがったのではないか。ここでいう「本当に頼れる存在」というのが、マッチ売りの少女でいう母であり、最終的に人が出会うことを渇望する母だと思うのです。そしてこの存在は容易に他者と交換可能となってはならないからこそ、ボケの深まった方が最後に介護職に求めるものだと言えます。この辺りはまだまだ僕も消化しきれておらず、言葉にすることが難しいですが。

⁡これはまた、松村さんが酔いどれるのを首を長くして待つしかありませんね。でも松村さんはすぐに酔っ払う居酒屋の哲学者なので安心しております。

⁡⁡素敵な詩をありがとうございました。僕もさらっとそんな素敵な詩が書けるようになりたいです。そのあたりもまたお話うかがいたく思います。⁡

鞆 隼人⁡

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