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チキンレース


一生分のチキンはもう切ってしまっただろう。

バイトしていた弁当屋では“チキンレース”と呼ばれる仕事兼イベントがあった。
その店の主力メニューがテリヤキチキン弁当だった。いくらだったかもう忘れちゃったけど、とにかくよく売れた。本当のテリヤキとは違うみたいで、照り焼き風といた感じだったけどオーストラリアの人はそんなことはわからないし、おいしかったのでとにかくみんな買っていた。

そのテリヤキチキンのための鶏肉を毎朝、仕込むのがバイトの仕事だった。それがチキンレース。ダンボールいっぱいに詰まった鶏の胸肉10キロを切り開く。そして食べにくい筋(白いホースみたいな部分)を取り除く。小さなラグビーボール的な肉を切り開くとぺらりと広がり大きく見える。そのタイムを競うのだ。タイムはノートにチェックされ自己新記録を出すと店の販売用冷蔵庫から好きなドリンクをもらえる。モチベーションを保ちながら仕事を早くこなせる素敵なイベントだ。

はじめ、タイムは毎日のように更新された。やったこともない状態から、段々と慣れてきて勘がつかめてくる。うまくいかなくてもコツを教えてもらえるからぐんぐん上達する。走り方なんて習ったことがない小学生が海外からきた謎のコーチにコツを教えてもらって見る見る上達するあれだ。
毎日のようにコーラをただでもらえていた。しかし少しすると天井が見えてきて中々記録を更新できなくなった。その頃は本当にお金がなかったので趣向品のコーラは僕にとってとても貴重なものだった。なんとか記録を出したい。でも限界の記録を超えるのは困難だ。たとえ超えることが出来たとしても、明日はまたそれを越えなければならない。久しぶりに更新できたとしても喜びよりも明日はこれを更新しなければならないのかというプレッシャーが襲ってきた。

早くしようとしすぎると手を切ってしまったり、ちゃんと捌けてないと店長に怒られた。なんにちも水ばかり飲んで過ごす日々。きっとアスリートもこんな風に自分の記録に苦しむんだろう。
今日こそは。もう何週間も記録を更新していない。日々英語を10時間勉強し、バイトにいそしむ僕は疲れ果てていてどうしてもコーラが必要だった。どうしてもまかないのカレーと一緒にコーラを飲みたい。大きいサイズのやつだ。

ダンボールを開け、チキンをまな板にセットする。包丁を握り、ストップウォッチを握る店長に合図を送る。出だしはいつも順調だ。頭の中で今やる作業の次の次の作業をイメージしながらチキンを捌いていく。新記録のためには一つの切りミスも許されない。
チキンはキンキンに冷蔵されていてやればやるほど手がかじかんで動かなくなってくる。脂をまとう包丁はどんどん切れ味がわるくなり、手は滑って包丁もチキンも正確につかめなくなる。軍手を使うことも出来たが、僕はしない派だった。手を切ってその日のレースが台無しになるリスクもあったが正確性とスピードがどうしても落ちてしまう。

半分を超えたところで包丁を持つ右手の筋肉が痛くなってくる。スピードは落とさない。滑って筋を何度も切り損ねてしまう。すべる包丁が押さえる左手の人差し指をかすめる。店長が後ろから「筋が取れてなかったらなしだからね!」と声を飛ばしてくる。うるさい。今は肉と俺の対決だ。邪魔するな。3分の1を越えたあたりで今日はいけるかもしれないという気がしてきた。油断は禁物だ。そこでぎゅうぎゅうに押し込められた肉がダンボールの隅から固まりになって出てきた。しまった。よくあるミスだ。想定していたより多くの鶏肉が残ってしまっている。
いけるか?このレースで大事なことは最後まであきらめないこと。あきらめてペースを落とせばその時点でレースは終わりだ。これを食べるお客さんのことは一切考えない。とにかく手を動かす。

最後の肉を切り開き、間髪いれずに店長を振り返る「終わりました!」
最終的に僕はこの店に以前勤めていた女の子の記録を抜いて店新記録、レストランレコードを出してコーラを手に入れた。
その日のコーラの味はいつにもましておいしかった。ツールドフランスの表彰台のシャンパンの味がした。知らないけど。
あの記録はその後、誰か破る人があらわれただろうか。

Pityman「ばしょ」2019年9月20日(金)~24日(火)@新宿眼科画廊  

公演詳細→https://pityman.jimdo.com/


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