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ひとり暮らしの思い出③

最後の2年間。


西日が絶好調にあたる、
そんなキレイめ木造アパートがお気に入りだった。

会社勤めにも慣れ、
ひとり暮らし歴も8年目とかになっていた。

自分の自由な時間を最大限活かせる様な、
そんな暮らしだったんだと、当時を振り返ると、そう思う。


そこそこ大きなターミナル駅に徒歩10分で行ける。
当時、mixiなどで街コンが流行っていて。


家から歩いて繰り出していた。


そんな気軽さも好きだったし、


仕事帰りに、
職場近くの飲み屋で飲んで、
終電を気にする事も無くなった。


タクシーで帰ったって、
2,000円かからないところも魅力的だった。
(しかも同乗している上司が払ってくれるし笑)


この家では、
料理はほとんどしなかった。

週2・3は飲んで帰るし、
飲まない日でも大抵、終電間際まで
仕事をしていたから、

もっぱら、近所の100円ローソンに
お世話になっていた。

もちろん、お気に入りのラーメン屋さんだってあるし、
富士そばや、大戸屋で食べてから、
電車に乗って帰ってくる事もあった。


炊飯器すら、持っていなかった。



ただ、本当はいやだった事がある。


徒歩10分歩くのが、嫌だった笑。


それくらい、歩きなさいよ!


もしこんなくだらない日記みたいなのを
読んでくださっている方がいたら、
そう突っ込まれても、おかしくない。


しかし、
1つ目では車生活。
2つ目では駅近物件。

となると、この徒歩10分、
は、とてつもなく長い距離に感じた。


毎日、朝歩いて、会社へ行き、
そして、毎晩歩いて、帰ってくる。


ヘトヘトになっても、
泥酔していたとしても。

いや、たまにズルして、
徒歩10分なのに、タクシーに乗ったりもした笑。


ある時、自転車を買った。

最寄り駅にある、ドンキホーテで買った。

徒歩10分が、
移動時間5分になった。
革命的であった!

もっと早く気付き、
乗れば良かったのだ。


しかし、実際は甘くは無かった!


おれって、
タクシーで帰ったりしてたーー。


違う方の駅も使ってたーー。


自分のライフスタイルと、
自転車を決められたところへ
駐輪する、という仕組みが上手くかみ合わず、

自転車が家に無い時が、
多々あった。


「今日、自転車乗って帰りたいから、
 こっちから帰るわー」

言われた側からすると、
はにゃ?でしょ。
そんな事を言い放っていたなぁ。
これを書いていて、ふと思い出した。



東日本大震災。


2階建てで、
それぞれ3部屋ずつしかないアパートで、

おれの部屋は、2階の真ん中だった。


階段から登って、
一番奥の部屋の方は、
ひとり暮らしが長いおばちゃんで、


こんな木造のアパートなのに、
部屋の鍵を、
なんていうの、

あの数字とかボタンが
たくさんついている、

まるで、秘密組織の隠れ家か!

みたいな頑丈な鍵に変えていた。


きっと、何かあるに違いない。


とか思いながらも、
平穏な毎日を過ごしていると、

地球が揺れた。


知らなかったんだけど、
ある程度の震度になると、
ガスが止まるらしい。


その復旧方法を、
大家さんから、

その秘密組織のおばちゃんへ
連絡が入り、

やり方をご丁寧にも
手書きして、
コンビニでコピーして、

各部屋のポストに投函してくれた事で、
我々、他の住民たちは、
事無きを得た。


外出中だったので、
家に入ると、

カーテンレールの上に
乗せていた、ハリーポッター全集が、
落下しており、

それがノートパソコンに見事当たり、
画面が割れていた。


私の被災は、そんなもんだ。


ちなみに、被災時も、
箱根にいたから、
人生で震度5以上を体験した事がない。


なんなら、震度4も無いかも。


そんな人生を送ってきました。








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