地べたにいるような時間
2023年のスケジュール帳は吉本ばななさんのものにした。そのなかに出てきた”地べたにいるような時間”というワードにハッとした。わたしの生活が最近、ぱっとしないのは地べたにいるような時間がないからなのだと思った。
生きるということのもっともっと底辺にあるような、そういうことを考える時間がなかった。朝起きて、少しのストレッチをして、お弁当を作り、仕事を始める。休み時間になったら、夕飯の買い物に行き下ごしらえ。仕事が終わり、夕飯作りに取り掛かり、片付けをし、お風呂に入り、少しの読書タイムをなんとか確保して、眠りにつく。
無理やり作った読書タイムでは、心から感動する文章とは出会えなかった。
1日24時間。わたしは睡眠が8時間必要なひとだから、のこり16時間。残業が平均2時間として、仕事をしているのは10時間。わたしの1日はたった6時間。
それも全部家事や、生活のためのルーティンで失われていく。
そしてここまで考えて気づく。
本当は仕事も、生活のためのルーティンも、わたしの1日の時間で、楽しめるはずなのだ、ということに。わたしの時間は24時間、あるいはそれ以上、本当はそうやって考えたいという己の理想が思い浮かぶ。
どんな時間も愛おしいはずの人生か少しずつ壊れていることをなんとなく気づいている。なにかを変えなければならない。
わたしは考えたい。
なぜ海は青いのか、とか。地球の裏側はどこだろう、とか。ひとつの音のその深さとか。水ってどうして掴めないのか、とか。
そしてぐっすり眠りについた夜に、深海を心地よく泳ぐ夢を見たい。恐れがない世界で、自由に泳ぎ回る夢を。
深く深呼吸をしてみる。
怒りが湧き上がる前に、ため息をつく前に、深く、深く吸ってみる。そうするとそこにいくつもの未来が浮かぶ。未来はつまり、今なのだ。今この瞬間が未来なのであれば、わたしの取るべき行動が見えてくる。
ひとつずつ。ひとつずつ。
一気にやろうとしないこと。
地べたを這うように生きていたい。決して空を飛べない人生だとしても、どこに自分がいるのか、私の歩いてる道がどんな道なのか。誰が隣にいて、前にいて、後ろにいるのか。そういうことを知っていることが、私の人生には必要なのだと思う。
誰かの優しさを惜しまずに吸収したい。
愛される前に愛する勇気を持って。
これはわたしのために、明日の私のために書いた文章。
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