自分史19・盲学校その5、寄宿舎

私が知る限りだけど、
盲学校って、だいたい各県1校しかないことが多いから、
寄宿舎もあることが多い。
入社する理由は、家が遠方で通いきれないというのがメインだけど、
近くても体力がとか、
歩行が苦手だからとか、
いろんな事情で家を離れた方がいいとか、
いろいろだった。
小学部1年から入社できることにはなっていて、
寄宿舎もまた、カオスな感じだった😉
90年当時は、土曜も半日、授業があったので、
私は土曜の午後帰省して、
日曜の夕方か月曜の朝、寄宿舎に帰ってくるみたいな生活だった。

大きく男子寮・女子寮に分かれていて、
真ん中に共用の食堂などがあった。
だいたい同じ学部で部屋割りが組まれ、
私は同じクラスの女子、3人部屋でスタート😉
当時、男子が多かったようで、
女子寮に、小学部の男女もいて、
賑やかだった😊

学校にも行事はあったけど、寄宿舎にもいろいろあって、
今考えると忙しかったわね❗️
こっちはこっちで実行委員が動いたし、
生徒会みたいな組織もあって・・・。
寄宿舎の行事は、夜だから、
学校とは違う雰囲気というか
独特な楽しさがあったように思う😊
新入舎生歓迎会、総会、寮祭、夏休みのキャンプ、遠足、
クリスマス会、成人を祝う会、卒業生を送る会・・・。
寮祭は、夏祭りで、
浴衣を着て模擬店を出したり、
舞台発表をやったり、
仮装して山車を引いて校外を練り歩いたり、
キャンプファイヤーをやったり
近所を巻き込んでけっこう盛大だった✨
夜遅くまで準備するのも、
めっちゃ楽しかった✨
キャンプは夏休み中に、
とある山の中のキャンプ場にお泊まりして、
川あそびやら調理やら、
夜遅くまでレクをやったり
スイカわりやったり、
これもめっちゃ楽しかったな🌞

遊びも寄宿舎ならではってか、
めいっぱい遊べた✨
ある夏の日の放課後、
女子寮に向かって歩いていると、
木陰に小学生が水鉄砲やらバケツやらを持って隠れていて、
我らが通りかかったら、職員の合図で一斉に攻撃してきて、びしょびしょに🤣
我らも玄関に荷物を置いて、すぐさま参戦🪣✨
部屋に着替えはあるし、
思う存分水遊びして😊😊😊

その他、日々の夕食後、
それぞれ活動があって、
私はよく、あっちゃこっちゃにお邪魔していた😊
水曜の夜、ギターを弾きに来てくれるボラさんがいて、
重複チームは歌声サークルなる時間があった。
私はほぼ毎週顔を出していて、
重複チームとも仲良しになったし、
ギターのお兄さんとも仲良くなって
ギターを教わったりもした🎸

夜ってやっぱ昼とは違って、
ほんとはいけないんだけど、遅くまで友達や
職員や、バイトに来ていた大学生たちとおしゃべりに花が咲いて、
それがけっこう濃密な時間だったような気がするのよね😉
仲良くなるのに時間はかからなかったし
快適な人間関係だった反面、
人との距離が近いってか
共に過ごす時間が長いから
真逆のことも同じスピードで起こって、
気まずい関係は濃厚に気まずくなって😅
今思えば極端な人間関係だったわね😉
学校が🔛なら家がoffだと思うんだけど、
寄宿舎はoffではなくて
不思議な空間だった😉

あとはアレだね😉
あんまり細かくは書かないけど、
規則は破るものだと
私は寄宿舎で学んだ🤣
もちろん迷惑をかけない範囲でだけどね🤣✌️

食事も3食出てくるし、
各部屋に担任もいたから
何かあったら相談にのってくれるし、
掃除と洗濯は自分でやらないとだったけど、
生活で困ることはなかった😊

楽しかったこと、そうでないこと、いろいろあったけど、
一つ一つが濃い感じで、
高校生であのような体験ができたことは
後の社会生活で役に立っている気がするよ😊
高2の時に目の病状が急激に進行して
多大なる迷惑をかけた
部屋担だった職員に
急にお礼がしたくなって
50目前になってだけど
昨年末、いきなりお花を送りつけたよ💐
今となっては、すべて良き思ひ出💕😊

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