あきよ

全盲+補聴器ユーザーのあきよが 心に移りゆく由無し事をそこはかとなく書き綴るよ🥴

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最近の記事

自分史19・盲学校その5、寄宿舎

私が知る限りだけど、 盲学校って、だいたい各県1校しかないことが多いから、 寄宿舎もあることが多い。 入社する理由は、家が遠方で通いきれないというのがメインだけど、 近くても体力がとか、 歩行が苦手だからとか、 いろんな事情で家を離れた方がいいとか、 いろいろだった。 小学部1年から入社できることにはなっていて、 寄宿舎もまた、カオスな感じだった😉 90年当時は、土曜も半日、授業があったので、 私は土曜の午後帰省して、 日曜の夕方か月曜の朝、寄宿舎に帰ってくるみたいな生活だっ

    • 自分史18・盲学校高等部その4、行事と部活

      盲学校、そこは当然ながら目が見えにくい・見えない人たちが行く学校。 入学して分かったことは、 単一障害でも見え方は個々人で全く違うし、 重複障害等、いろいろな人がいるということ。 それは、いいとか悪いとかそういうことじゃなくて ただ、いろんな人がいるということ。 そんな中、どんな高校生活が始まるのか見当もつかないまま 盲学校での生活は始まって。 驚いたことの一つに学校行事があった❗️ 普通にあるんだよね。 遠足、体育祭、林間学校、文化祭、 スキー教室、スケート教室、修学旅行e

      • 自分史17、盲学校後頭部その3・体育🏃

        体育の授業も衝撃的だった💓 小学校の時から悩まされていた球技をはじめ、 体育は最も手強い科目だったし もちろん苦手意識もあった😖 が、もちろん盲学校のカリキュラムにも 普通に体育はあって💓 何をやるんだろって思っていたら・・・。 けっこう普通に体育で❗️ 陸上やら球技やら水泳やら・・・😲 一番よくやったのはバレーボールかな🏐 床から30センチくらいの高さにネットを張って ネットの下を通すように ボールを転がしてやる。 前衛3人、全盲が ネット極にしゃがんでボールを待つ。 後

        • 自分史16、盲学校高等部普通科その2・盲学校の授業

          前回書いたように、盲学校は基本、目が悪い人たちだけど、 プラスで更に多様性豊かな人々が集まっていて、 クラスは似たような状態の人を集めたような編成になっていた。 私は単一障害クラス。 中学部から上がってきた4人と、 外部から来た5人の9人、 (男子4人、女子5人)だった。 しかもそれはホームルームのクラスで、 授業になると更に 半分に分けられ、 私は1年2組aクラス、 5人のクラスだった。 生徒5人に対して先生1人。 手厚い✨ 視覚障害は、10人いたら10通りの見え方がある

        自分史19・盲学校その5、寄宿舎

          自分史15、盲学校高等部普通科・その1

          90年4月、私は盲学校デビューした😉 目は進行性の病気、 障害者手帳をゲット、 家を離れて寮生活、 盲学校という未知の世界💓 15歳女子には お腹いっぱいのスタートだよね😉 入学式の朝、6時半頃だったかな 家を出る時、 「今日はここには帰って来ないんだな」って思って 早朝の肌寒い空気を感じながら 家を振り返って見たのを覚えている🏠 盲学校に着いて受付。 1年2組、男子4人、女子5人の9人クラス。 入学式が始まった💓 盲学校は、幼稚部から高等部までが 一つの校舎に入っていて

          自分史15、盲学校高等部普通科・その1

          自分史14・中学校その7、中学校卒業㊗️

          たぶん落ちることはない県立盲学校の入試に めでたく合格し🤣 中学卒業と、盲学校での生活に向けて時は流れ始めた。 卒業式は、小学校より難易度が高くて😅 同じ制服を着た生徒が400人❗️ 男女の差はあれど、 証書をもらって自分の席が見つかるはずもなくて💓 名前の順が次の子が仲良しだったこともあり、 帰り道を調整して、 彼女に席まで連れてってもらった😌 それと、これは、頼んでいた訳ではないんだけど、 証書をもらってステージから降りる階段の所で 数学のおじちゃん先生が待っていてくれ

          自分史14・中学校その7、中学校卒業㊗️

          自分史13、中学校その6。盲学校高等部入試✏️

          盲学校も高等部になると義務教育ではないので、 落としゃしないだろうけど、一応、入試はある✏️ 公立だから、他の公立高校との併願はできない。 90年、年が明けてすぐ出願。 忘れもしない雪☃️ 2時間弱の道のりを母と向かった🚆 悪天候だったので、かなり余裕を持って出たけど、 交通事情はそれほど悪くなくて けっこう早く着いた🏫 でも、学校の中で待たせてもらうのがいやで、 雪の中、時間になるまで学校周辺を散歩した❄️ そして迎えた翌月の入試。 前日、私は絶対に精神的なことが理由で

          自分史13、中学校その6。盲学校高等部入試✏️

          自分史12、進路選択と目のこと😖・その2

          地上の酸素が薄いまま 中3の2学期は始まった🌞 盲学校に行くしかないことは分かってはいたけど 決断できないまま9月は終わってしまって🙀 親も先生も、目のことには触れず・・・ 触れられないよねー❗️ でも、気遣ってはくれていて、 それもうれしいけど苦しくて🙀 10月も半ばを過ぎた頃だったかな、 そろそろ進路を決めないとなー的な頃、 形的には私が決めた形だったけど、 選択肢はなかったからね、 決めたと言うより 口火を切ったが正解な気がする🙃 私が口火を切ることで話が進み始めた。

          自分史12、進路選択と目のこと😖・その2

          自分史11、中学校その4・進路選択と目のこと😖

          中3、誰もが避けて通れない進路選択❗️ 幼稚園2年間と 義務教育9年間を 見える人たちの中で過ごした私。 家族や先生、友達、 私と関わってくれた皆さんに助けてもらったことと、 私の努力により、 ここまではどうにかこうにかやってこれた💪 やってはこれたけど、 中3の時点で そろそろ限界かなって思ってた。 日常のテストも時間内に終わらないし👓🔍 受験とか無理やろ😵 勉強も運動も高校レベルについて行ける気がしなかった。 3年生になってすぐ、 進路希望調査みたいなアンケートに 「高校

          自分史11、中学校その4・進路選択と目のこと😖

          自分史10、中学校その3・部活

          中学校生活において部活動ってけっこうなウェイトを占めると思うのよね😉 私は音楽が好きだし、 キラキラ光る金管楽器に憧れていて、 中でもトランペットに引かれていた🎺 でも、前回書いたように 楽器だけでなく、 体力作りのためのトレーニングがハードそうで、 私には無理と判断し、 諦めることにした♪ 諦めたのはいいけど、じゃ、何部に入るのか❗️ 柔道ならできるかなとも思ったけど、 やっぱ難しいよな・・・😔 体育会系は無理よね。。。 文化部・・・。 いろいろ見学には行ったけど、どれも

          自分史10、中学校その3・部活

          自分史9、中学校その2

          幼稚園、小学校と、 目が悪い自分が集団の中でどう生きるかの何たるかは 学んできたつもりだった👌 が、中学は、教科書の厚さからしても小学校とは格段に違う❗️ 体育だってハードになる❗️ いくら努力をしたところで限界はけっこうすぐ近くにあった気がする😕 できるだけのことをするしかなかった。 家に帰れば宿題と予習で、 ずーっと机に向かう日々✏️ 家族が心配して、 「そんなに勉強してるとバカになるからやめなよ❗️」とか言われるくらい🤣 文字の読み書きが遅いから やりたいと思ったことを

          自分史9、中学校その2

          自分史8、中学校・その1

          私には3歳上に兄がいる。 小学校からの引き継ぎを受けたのが たまたま兄の担任の先生だったようで、 先生の方から兄を通じて連絡があり、 入学前に母が呼ばれ、 私のあれやこれやを話し合ってもらえた👌 できること、できないこと、 手伝ってもらえばできること、工夫をすればできること・・・などなど。 そして、そこでお願いしたのが 小さな文字の物、主にテストだけど、 拡大コピーを、というのと、 小3の時からの仲良しの友達、rちゃんと同じクラスにしてもらうこと。 そんな事前準備のもと、 私

          自分史8、中学校・その1

          自分史8・小学校その4、総括

          ここまで書いてみて思う。 なんで私、めげなかったんだろうって❗️ けっこう過酷だったはず。 でも、学校行きたくないって思ったことなかったし、 改めて、こうやって振り返った今、 まじで不思議🙃 ちょっと分析してみたくなった😉 一つは、いじめられなかったことかな。 これも不思議っちゃ不思議なんだけど。 もしかしたら、私が鈍感で、 いじめられてたけど気がついてなかったのかなとも思う節もある😅 ぶ厚いメガネを揶揄われたことくらいは覚えてるけど、 なんか、それどころではなかったのよね

          自分史8・小学校その4、総括

          自分史7、小学校その3・視力検査👓

          毎年、年度はじめに行われる身体測定。 その中の視力検査❗️ これも私にとって一大イベントだった💓 小さいうちは母が連絡帳で先生とやり取りしてくれてたのか、 先生の配慮だったのか分からんけど、 最初に私一人だけ呼ばれて こっそりひっそり測定してもらっていた。 が、5年生の時、担任の先生がいい感じにザッパな男の先生になって、 普通にみんなの列に並び みんなと一緒に視力検査をすることになった💓 でも、私的には腹が決まっていたような気がする👌 むしろ、見てくれ、これが私の目だ👌くらい

          自分史7、小学校その3・視力検査👓

          自分史6、小学校・その2 各教科について🔍

           国語 これは、国語だけではないけど、 3年生になると、急に教科書の文字が小さくなって、 メガネ&ルーペを使うようになった🔍 漢字も画数が増えてくると目で正しく認識できなくて、 母にサインペンで大きく書いてもらって覚えた。 覚えるのは得意だったから、漢字は得意だった✏️ 音読は視野が狭くて行が変わると探すのに時間がかかって大変だったから、 そんなことなら覚えてしまえ❗️ ってな感じで、教科書の物語は暗礁してしまうことが多かった。 あとは・・・ 書き取りとか地獄だった😅 とにか

          自分史6、小学校・その2 各教科について🔍

          自分史5、小学校その1

          小学校に入って登校初日、 はっきり覚えているのは、お兄ちゃんが助けてくれたことだ。 お兄ちゃんは、小さい時から優しくて、 遊んでいる時も、例えば雨上がり、水溜りが見えない私に、 「僕の後についてきてめ」と、 水溜りをよけながら、ゆっくり歩いてくれたり、 普通に助けてくれることが多かった💚 小学校には登校班で行く🎒 当時、班は男女で分かれていて、全員集まったら出発するんだけど、 だいたい男子が先だった。 学校に着くと、校門でお兄ちゃんが待っていてくれて、 下駄箱、教室、教室の中

          自分史5、小学校その1