見出し画像

昔思っていた正月


いつも文通をしている友達が、短文で思いを綴ってくれる。

いつも中々腹を割って話さない友達が、丁寧に感謝を伝えてくれる。

いつも会うことのない小学校の幼馴染が、どんな一年だったか教えてくれる。

それが正月。
それが年賀状。
それがこの日の唯一の楽しみだと、、
ずっと思っていた。


去年は唯々忙しかったし、不調だった。

やらないといけないことは沢山あるのに、ずっとそれがうまく出来ない。

二学期、文化祭以降は特にそうだった。

やらなきゃ、やらなきゃって焦燥感とつらい、もう動きたくないって怠惰な感じがずっと混合して結局何の目標も達成出来ない。

そんな感じがずっと続いていた。

どっかで治さないと、どっかで正さないと…

そう思えば思うほど、焦燥感だけが募られていく。
変える起点を作ろうにも、やることが多すぎて目標なんざ達成すら出来なかった。

そんな僕に、年賀状を書く気力なんてなかった。

今年は、くれた人にだけ返事を書こう

そんな思いのまま、僕はインスタントの蕎麦を食いながら年を越した。

家族に新年の挨拶をしている時、LINEの通知が鳴り響いた。

LINEの繋がってる人たちから新年の挨拶が来ていたのだ。
大好きな先輩や小学生の頃の友人、いつメンなどなど…

その人達にも、挨拶を済ませると僕は1200話を超えた長編の小説を読みながら眠りについた。


正月。
朝起きて、来ている年賀状を確認した。
いつもなら、何十枚と来ている筈だ。

でも、今年は違った。

たったの二枚。

律儀な友人と心優しい幼馴染からだった。

僕は、僅かながらに傷ついた。

実は、僕は毎年お手製の年賀状に一人ひとりメッセージを書いて送っていたのだ。
それも、正月にきちんと届くように…

嗚呼、僕の努力ってこんなもんだったのか
とかではなくて、単純に寂しいもんだなと思った。

友達の多い母や職業柄年賀状が多く届く父と比べると僕は信用無ければも情をかけられることもないのかなんて少しだけ自己嫌悪になった。

その後、やっぱり自分が書かないと周りも書かないものなのかと痛感できた。

理想の正月なんて僕にはない。
おせち料理も得意で無ければ、お年玉だってもらった金額で自己嫌悪になるだけなのだから。

それでも唯一楽しみがあった。
会わない友達のことが知れること、
優しい友達の文章が読めること、
良くして頂いた先生から激励が頂けること、

つまり、思いを馳せて年賀状を読むことだ。

それからも、ほとんど無くなってしまった今年だけれども、繋がっている人にありがたみを感じながら生きていきたいと思う。


ご清覧、ありがとうございました。
ここで告知ですが、お正月エピソードが他にもあるので、お楽しみにしていて下さい。



この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?