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私の「東京物語」ー松阪「小津安二郎と東京物語」そして浅草~天神亭日乗17

九月三日(日)
 松阪 クラギ文化ホール 演劇「小津安二郎と東京物語」を見に行く。
 この公演は「松阪しょんがい音頭と踊り 文化財指定20周年記念大会」のプログラムの一つ。朝9時から会場ホールで整理券配付と聞き、朝から並ぶ。バスで一緒だったおばちゃんの松阪弁のイントネーションに和んだ。そして列に並ぶとこれまた松阪のおっさんたちのしゃべりに取り囲まれた。耳に馴染む。そうだった。私はこの語りが母語なのだ。四六時中落語を聞いて、すっかり江戸の女のふりしていても、私は伊勢の国の人なのだ。

 実はこの時、母が津の病院に入院していた。それを素通りして松阪入りをすることになった。とにかく地方の街は電車もバスも本数が少なく移動が難しいのだ。
 この芝居はかなり前から話を聞いていた。幼い頃から教会でお世話になっている、岸武男さんが脚本を書いていると聞き、この公演はどうしても見たいと思ったのだ。
 岸さんは若い頃から地元、津の「劇団津演」で演劇活動をされており、私も小さい時分から家族で見に行っていた。岸さんが創る舞台は私には馴染んだものだ。今年、生誕120年の小津安二郎と「東京物語」をテーマに松阪で公演を打つと聞き、それは万難を排し、行かねばならぬと予定を組んだ。

 松阪は祖父が生まれ、育った街であるが、母も私も暮らしたことはない。それにこの街に来るときは車で訪れることになり、駐車場に車を止めて、目的地に行くのみだ。ゆっくり街を歩いたことがなかった。今回、少し時間があったため、この城のある街をゆっくり歩いた。祖父と小津監督が見たであろう、晩夏の陽に照らされたお城の石垣を仰ぎながら。 

 演劇「小津安二郎と東京物語」の舞台は「東京物語」の撮影現場が設定されていた。上手側が小津監督はじめスタッフがカメラを構える現実の時間。下手に撮影の対象となる「東京物語」の映画の光景が丹念に演じられていく。驚いたのはその再現性だ。笠智衆と東山千栄子が演じた老夫婦の雰囲気がよく出ている。紀子を演じる原節子役の方も、杉村春子役の方も、声のトーンなどとても近しく、おそらくかなりの小津映画ファンも納得の好演だと思う。そして下手では小津監督の現場での姿や「まっつぁか」時代の友人との場面が活写されていた。地元の地名も沢山出てきた。岸さんが沢山の資料を読んで、台詞を組み立てていったことが分かる。
舞台で描かれていく「東京物語」。東京での夫婦と子供たちの姿も、今の私にはとても胸にせまる。私にも私の「東京物語」があり、それを思い出してしまったからだ。

 両親を東京に案内したのはコロナ前、二〇一九年の六月のことだった。
 両親を連れて行ったのは「浅草」だった。私が強く「寄席は一度見るべきだ」と主張したからである。このあたりは映画「東京物語」とは違う。上京してきた両親を私は喜々として、自分のテリトリーに連れまわしたのだ。
 せっかくなので浅草の休日を楽しもうと、私も一緒に浅草に宿をとった。浅草演芸ホール近くのリッチモンドホテルプレミア浅草。浅草寺が眼下に見渡せる部屋だった。
 私の行きつけを紹介する、という勝手なコンセプトの元、水口食堂で競馬中継を見るおじさん達に囲まれながら名物の炒り豚を食べた。母は競馬の結果にどよめくおじさん達が面白かったらしく「なんやなこれ」と言って笑っていた。腹ごしらえを済ませ、お目当ての浅草演芸ホールに二人を案内した。
 その日は芸協の芝居で、遊雀師匠の主任興行。その日のネタは「明烏」だった。昭和の名人、桂文楽師匠の十八番で、古典の名作である。私なぞは「やったー遊雀師匠の『明烏』だー!」と心の中でガッツポーズをしていたが、ふと横にいる両親が気になった。廓噺、若旦那の初めての吉原のお籠りの話に実は当惑していたのでは。私も別に恥ずかしがる年齢でもないし、キャラクターでもないのだが、まあ、なんとなく熱く解説もしなかった。「面白かったね。遊雀師匠はすっごく人気ある師匠だよ」とむにゃむにゃ言いながらホテルの部屋に帰った記憶がある。今、思い返すと、あれは二人にとって楽しかったのだろうか、と少し不安になった。
 この両親の東京の来訪前の二年間、私の癌の手術とその後の投薬治療の副作用で、両親にどれだけ心配をかけたか知れない。しかしこんな風に東京で元気に過ごしている姿を見せられたことは良かった。「この子の落語へののめり込み方、ちょっと怖い…」と思ったかもしれないが。しかし、この後、もう次の年にはコロナ禍が始まり、私は帰省も出来ず、両親にも会えなくなってしまったのだ。このコロナの間に、二人には確実に老いの時間が流れた。
大変悲しいことだけれど、今の両親の年齢と体調を思うと、あの浅草行きが、私にとって、最後の「東京物語」になるのかもしれない。
 
 舞台では、尾道での、母を囲む子供たちのシーンとなっていた。またそう遠くはない日に私もこの光景の中にいるのかもしれないと、悲しい予感を抱えながら、舞台を見つめていた。

*歌誌「月光」81号(2023年10月発行)掲載

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