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四谷に江戸の風吹かせー春風亭だいえい「四谷だいえい百席」~天神亭日乗19

十月三十日(月)
 上智大学四谷キャンパス「四谷だいえい百席Vol.1」
 二つ目の噺家、春風亭だいえいさんの母校での独演会がスタートした。昨年の十月、二つ目に上がる直前にもこのキャンパスでお祝いの落語会を開催したが、今回からは定期的な会となる。しかも会の名が「四谷だいえい百席」!「百席」である!このスタートに胸が踊る。

 コロナが五類に移行し、私たちの職場の落語サークルの催しも人数制限や学外の方の参加に対する規制が緩和された。これまで年二回、真打をお招きして「宝富万(ほふまん)落語会」なる会を開催してきたが、もう少し気軽に、定期的に集まれないだろうかと考え始めた。落語が好きな会員は純粋に落語を愉しむ機会を、また落語を初めて聞く学生たちには身近に落語に触れる機会が作れないだろうか、と。
 どうしたら良いだろうか。名人のDVDや動画を見る会?あるいは定期的に寄席ツアーをする?

 そんな時、このサークルの会長でもある神学部の原敬子先生が、春学期の授業「キリスト教人間学」のゲストとして春風亭だいえいさんをお招きし、落語を口演いただいた。「ヒューマニズムと落語」というテーマでなんと三席!「犬の目」「かぼちゃ屋」「甲府い」ちょっとシュールな滑稽噺に寛容噺、人情噺だ。「え?ヒューマニズム?落語?」戸惑った学生もいたかもしれないが、落語の人情噺はまさにヒューマニズムの発露。そしてまたよく言われることだが、落語はなんとも困った人、与太ちゃんみたいな存在も寛容に優しく受け入れる有様が描かれているのだ。まあ、そんな定義付けは、落語通には「野暮だねえ」と言われるかもしれないが。授業という場で学生たちに「落語」を経験してもらえたことが嬉しい。

 だいえいさんの落語に初めて遭遇したのは百栄師匠の会の前座の時だ。この前座さん上手い、と驚いた。小さい頃から落語を聞いていたという。一体何が血肉になっているのか気になって、この授業の後に尋ねてみた。
「ぜひ聞いたほうがいい、お薦めの噺家は誰ですか?」
この質問にだいえいさんは即答した。
「八代目三笑亭可楽です。」
私はこんなに落語好きと標榜しながら真に恥ずかしいことだが、可楽の落語は聞いたことがなかった。
 家にあるNHK落語名人選のCDシリーズの箱を見てみた。可楽のCDがあった。未聴だった。「富久」「二番煎じ」「妾馬」どれも好きな噺だ。
一聴目。なんだかお爺さんだな、古臭いな、と感じた。
しかし、別の日にこの三席を続けて聞いたときに、何か私のなかで、それこそ膝がかくんと折れるような感覚を覚えた。
 この語り…これがだいえいさんが目指す落語か!
 ただ何となく、この若者うまいなあ…と感じていたのだが、何がどううまいのか、私の知識と経験では説明することが難しかった。なるほど。可楽をはじめとする名人たちの落語を繰り返し繰り返し、小さい頃から聞いてきた人の耳と身体。それが表現している「落語」の語り。

 私にスイッチが入った。だいえいさんに大学での落語会をお願いできないだろうか。学生たちには一から落語を知るような機会を。そして教職員も一般の人も仕事終わりにふらりと大学のキャンパスで落語を聞く。そんな時間が作れないだろうか。だいえいさんに打診をしたのが八月の終わりのことである。ありがたいことに快諾してくださった。そして相談していくうちにコンセプトが固まった。
「四谷だいえい百席」
 なんと既に七十席お持ちとのことだった。毎月三席にラストはプラス一席で三十三回。三年間の長い旅が始まろうとしていた。
 
 九月。この落語会の準備や情宣をしている間に、母との死別があった。しかしこの「百席」の作業をすることでどんなに心が慰められたか知れない。かつて伊丹十三が亡くなったときに夫人の宮本信子さんが三好達治の詩「涙をぬぐって働かう」をひいていた。私も涙をぬぐって、この言葉を呟きながら会員にメールし、学内にチラシを掲示して回った。

 そして迎えた初日、五十名満席のお客様だった。お母さん、見てよ!こんなに来てくれたよ!
 初めて落語を聞く学生たち、留学生も来てくれた。これまで話をしたことのなかった先生方も木戸に訪れてくれた。また今回、日本の近現代文学の若き研究者のF先生が来てくれたのも嬉しかった。私自身、近現代文学専攻であったのに、学生時代、もうひとつ落語に馴染むことが出来なかったのだ。漱石を読むたびに、悔いが残っていた。F先生は授業で学生にチラシを配ってくださったようだ。

 記念すべきこの「百席」の第一席めは「寿限無」。最初にふさわしい、いの一番のネタ。誕生と子の幸せを願う親の名づけの物語。そこでほっこりしていると次は「お血脈」、そしてラストは「もう半分」なんと面白いネタのチョイスだろう。『誕生と死と再生』で選んだという。会場を笑いで沸かせ、最後はぞくりと震わせて、この百分の三席に拍手が響いた。

*歌誌「月光」83号(2024年2月発行)掲載

*「四谷だいえい百席」スケジュールとお申込み↓




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