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小三治待つ間~落語のはなし

  2021年、柳家小三治師匠が逝去された。 
 寄席に通い出してまだ日の浅い私。しかし、小三治師匠の夏の池袋演芸場のトリの高座には間に合ったのだ。それは何とも幸運なことであった。
  あれは2017年だったか、8月の芝居だった。平日昼席。沢山の人が列をなしていた池袋演芸場。私も有休をとって、いざいざいざ!と列に並んだ。

 満席の場内。前から3、4列目、下手寄りに陣取った。いろんな世代の客層。働き盛りの年代の男女も沢山いた。
 私の隣には70代くらいの女性が座った。おばあ様とは言っては失礼かもしれない。昔はおきれいだっただろうな、髪も黒く染めて少し長めのパーマヘア。気怠い感じで座っていた。
 そのマダムが二番太鼓が鳴る前だったか、私をちらっと見て言った。
「あんた・・・仕事は?」
え?何だ?急に?
「あ、今日は有給休暇を取って、参りました」
フン、と鼻を鳴らしてそのマダムは言った。
「いいご身分ねえ~!」
 何ですか、何ですか?小三治ファンのマウンティングですか?
 小娘が、にわかが、偉そうに来てんじゃないわよ~と言いたいのかしら。
私は緊張した。
 すると、マダムは、慣れた様子で小机を出し、番組表の上にペンを置いた。
 あ、ネタを書くんだ、と思った。マクラを始めるとイントロ当てのようにネタを番組表に書く方がいらしゃる。備忘録としてメモしているのだろう。この女性も本当に落語がお好きなんだな、とちょっと心が和らいだ。

 マダムがどんなところで笑ってたのかは覚えていないが、番組が進み、中入り後だったか、ある瞬間、またこのマダムが動きを見せた。
 彼女の右隣、つまり私とマダムをはさんで反対側に座った男性が演者の交代のタイミングで、席を立ち、彼女と私の膝の前を通って会場の外に出ようとした。
 マダムは心底慌てた様子で叫んだ。
「ちょっと、あなた!これから権太楼さんなのよっ!」
驚いた。見るべきものを見ろ、という教えをこの席で訴えている。お節介かもしれないが、私はすこし感動すら覚えた。
男性は片手で謝るような仕草をしながら私達の膝の前を通って行った。
「何考えてんのよ、ったく・・・」
彼女は呆れたようにつぶやいた。
私は取り繕うように
「お荷物置いたままですし、お手洗いかもしれませんね」
とマダムに申し上げた。

出囃子「金毘羅」の陽気な三味線とともに権太楼師匠が高座に上がる。
「ご隠居さんっ」と始まった。
しばらく聞いて、マダムが、おもむろにペンを取り、番組表に「つ る 」と書いた。
「つるか・・・」
と小さな声でつぶやく。
権太楼師匠が会場をどっと笑わせ、すっと高座を下りていった。
拍手にまぎれてマダムが小声で言う。
「『つる』なんてさ、権太楼さん、小三治さんに遠慮してるのよ」
マダムが私を落語初心者と見て解説してくれたようだ。
 しかし、今なら分かる。「つる」は権太楼師匠は結構寄席でかけるのだ。それに師匠の「つる」は絶品なのだ。
 それは「つる」でも権太楼師匠なら爆笑させられる。同じネタでも間、緩急、表情、仕草。その手腕、その技量の違いを見せつけられる格好のネタなのだ。だから権太楼師匠の「つる」のチョイスは「遠慮」の選択ではない。  
 
 しかしその時の私はよく分からなかった。マダムに
「なるほど、そうですか」
などと返していたら、隣の男性も戻ってきた。やはりお手洗いだったのかもしれない。
 マダムがまた「フン」とした表情をしていた。

 そして、小三治師匠の登場。「二上がり鞨鼓」に満席の会場がぐっとひとつになった。たっぷりのマクラと、「小言念仏」に私とマダムは一緒になって笑っていた。

 病み上がりで、何だかもう自分の人生は儚いものなのではないかと思いながら暮らしていた頃だった。
 しかし、このマダムと小三治師匠を待つ時間に、何だか急に人生の目標みたいなものが心の中でメラメラと湧きあがった。よし!私も長生きするぞ、と決めたのだ。
 長生きして、すっごいババアになっても、杖ついて寄席に通って、隣に座った若い女に
「ちょっと、あんた、仕事は?」
といじる。そして
「あたしはさあ~小三治師匠の池袋のトリを見たわけよ」
だとか。
 あるいは「任侠流山動物園」を誰かがかけたら
「あんた、これ作った人知ってる?三遊亭白鳥、大白鳥だよ。あたしゃ、白鳥師匠のネタおろしを見たことあるんだよ」
なんて自慢しようと、そう心に決めたのだ。

 夏の昼下がり、池袋の地下で、小三治師匠を待つ間、私が志めいたものを抱いた瞬間であった。






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