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【ショート・ショート】青春

五月蠅うるさいっ。静かにしてよ。試験勉強中なんだから」
 高二になる娘が、勢いよくドアを開けるなり、怒声だけ投げ込んでいく。
「そっと閉めろよ」
 バターン。
 言っている側から、これだ。
 あわててレコードプレーヤーに走ったが、幸い針は飛ばなかった。
 まったく。
 私はアンプのボリュームをそっと絞る。
 私には、娘が聴いている音楽の方が余程騒音だと思えるのだが、それについては何も言わない。
 ただ、この間まで一緒に聞いていた音楽を否定されたみたいで、寂しかった。


 いつだったか。たぶん小学校低学年の頃だろう。
 外まで音が漏れていたのだろう、娘が部屋に入ってきた。
「あっ、何それ?」
 CD世代の娘には、レコードが珍しいようだ。ブーンとかすかな音を立てて、橙色に輝く真空管アンプも気を引いたようだ。
「何、これ、電球?」
「真空管と言うんだ。ほら、手をかざすと暖かいだろ。だからという訳じゃないが、とっても温もりのある音が出るんだ」
 プレコードの溝にそっと針を落とす。娘はその様を食い入るように見つめている。
 音楽そのものよりも、音が出る過程に興味を覚えたようだ。私と同じエンジニアの道を選ぶかも、そんな目の輝きだった。

「あたしにもやらせて」
「駄目。もう少し大人になってから」
「どうして?」
「どうしても。これはパパの青春なんだ」
「青春?」
「そう、繊細で壊れやすいってことさ」
「わかんない」
「まあ、そのうち解るさ。さあ、おいで」
 私は、膝の上に抱え上げた。それから、そこが娘の指定席になって、気が付くと眠っていることもあった。


「ちょっといい?」
 娘がドアから顔をのぞかせる。
「何だ? 試験は終わったのか」
「うん、今日でね。どうだったかは聞かないでね」
 何も強請ねだってこないところを見ると、あまり自信がないのだろう。
「わかった」
「ねえ、パパ、もうそろそろいいでしょう?」
「ん? 何をだ」
「ほら、もう十分大きくなったでしょ」
 と背伸びする。セーターを形良く持ち上げている胸に目が行った。
「あっ、やらしい。今、スケベじじぃになってたよ。違うわよ、ほら、前に約束したじゃない。レコードを掛けさせてくれるって」
「ああ、そうだったな」

「ねぇ、この間、私が五月蠅いって言ったの、どれ?」
「これだ」
 私はラックの中から、SONNY CLARK の『COOL STRUTTIN'』というアルバムを取り出した。
 モノクロのジャケット。タイトスカート。すらりと伸びた脚。かっするハイヒール。上半身は写ってないが、つんとすました顔が浮かぶ。
 将に、COOL STRUTTIN'かっこよく気取って歩いている、いい写真だと思う。
 もちろん演奏も素晴らしい。私のお気に入りの一枚だ。

 娘は暫くながめていたが、
「へーっ」
 と私に視線を送ってくる。
「何だよ」
「別に。ねえママに出会ったのは、いつ?」
「大学の学園祭のダンスパーティだったかな」
 彼女は、慎重な手付きでレコードを取り出しながら、
「あっ、この紙のケース、何だか甘い匂いがするのね」
 と言う。うん。私はうなずく。
「思い出の残り香といったところね」

 そっと針を落として、針が溝に入るのを確認してから、アンプのボリュームを回す。
「もう、パパの膝の上には座れないね」
「当たり前だろう」

 プチッ、プチッ。
 時折スクラッチノイズが混ざる。懐古的な雰囲気に包まれて、娘と二人で過ごす時間。
 プツン、プツン。
 片面の終わりを告げる。娘はレコードを裏返しながら、
「これが、ちょっと面倒ね。でもパパは、『この手間がいいんだ』って言うんでしょ」
「そう。世の中便利になるのはいいが、時間や手間を掛けることを無駄とする風潮がある。皆、待たなくなったしな」
「うん、確かにそう思う」
「誰もが、生き急いでいる気がする。だから、時々立ち止まってみないとな」
「しーっ。始まる」

 両面で四十分弱。娘はレコードをジャケットに仕舞いながら、
「良い曲だね」
 と言う。
「そうだろう。うん」
 我が意を得たり。
「私、何となくパパの言う青春って何となく解るような気がする」
「そうか。でもね、そういうのは、頭で理解するものじゃない。体で感じるものなんだ」
「また小難しいこと言う。今時そんなの流行らないよ」
「そうかな」
「そうだよ。はい。じゃあ、またね」
 レコードを受け取り、ラックに仕舞いながら、

 娘は黒いタイトスカートが似合いそうだなと思う。


 そう言ったら……、

 娘は、スケベじじぃとにらむだろうか。

 それとも、今時そんなの流行はやらないよと笑うだろうか。


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