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綿矢りさ『ひらいて』からみる家族のカタチ

綿矢りさ著『ひらいて』を読みました。
一人の女性が失恋に至るまでの流れを綺麗に書かれている作品です。
特に印象深いのは、タイトルにもなっている通り、思い人のことを考えながら作ってしまった折り紙の鶴を、”ひらいて”、ただの紙に戻す場面です。

その鶴は、主人公である木村愛が思いを寄せている人物”たとえ”のことを思うあまりに折り紙で作ったもので、その数量はたとえに対する思いの数だけ増えていきます。
そのため、本作において、その鶴は恋の象徴としての役割を担います。

その鶴をひらくということは、まさしく失恋に至ったということでしょう。
しかし、この物語において肝要なのは、どのように失恋をしたのか、なぜ失恋に至ったのかその過程であり、失恋のその裏側、本作では直接的には語られてはいないモノのその正体を考察したいと思います。

三角関係の正体

主人公はたとえを思うあまりに折り紙で鶴を折ってしまうほどです。しかし、その思い人には既に恋人がおり、言ってしまえばその時点ですでに主人公は失恋しています。

しかし、主人公はそれで諦めることもなく、なぜかたとえの恋人である美雪に肉体関係を迫ります。主人公にはそういった性的志向は持っていないにも関わらずです。しかも、美雪はなぜかそれを受け入れてしまうのです。
ここから主人公の愛、たとえ、美雪の不思議な三角関係が始まります。

主人公はなぜ美雪に迫ったのでしょう。美雪はなぜそれを受け入れてしまったのでしょう。ここは本作を考察するうえで避けては通れない疑問です。これらの理由は、少しずつ、直接的ではないものの本作の中で説明されています。

まず、たとえと美雪の関係性です。二人は華の高校生カップルでありますが、セックスどころか性的な接触自体の経験がありません。
主人公はそこに付け入る隙を見つけたわけですが、この性的な交渉が行われていないという点はたとえと美雪、どちらの意志によるものでしょうか。

それはたとえ側の意志です。
たとえの家族関係は破綻しています。母は不在で、父からは暴力を受けています。いつか父から逃げたして上京したいとの思いを持っています。
そのような家庭で成長したたとえが求めているのは、恋愛的な愛ではなく、家族愛や無償の愛、母性を源泉とする愛だとするのはおかしな話ではありません。

たとえが美雪に求めていたものは母性愛であり、美雪はそれをたとえに与えることができました。しかしながら、美雪が欲しているのは恋愛的な愛であって、たとえはそのような愛を美雪に与えることはありませんでした。

ここで登場するのが主人公である木村愛です。肉体関係に象徴される恋愛的な愛を主人公が美雪に与えることとなったため、この三角関係は絶妙な安定感を得ることになります。
たとえは美雪から母性の愛を、美雪は主人公から恋愛的な愛を与えられます。

また、物語のクライマックス、主人公がたとえの家族問題の解決のためにたとえの家に乗り込みに行きます。そこで主人公はたとえの父と直接対決します。この対決によって主人公が得られるものは、父としての立場、主人公はたとえの父から父親としての立場を奪い、父親に成り代わります。

どういうことか。
つまり、たとえを中心とした主人公と美雪の恋愛的な三角関係から、主人公が父、美雪が母、たとえがその子どもという家族としての三角関係に変遷を遂げたのです。

愛のゆくえ

主人公の目の前には、ぽつんと空いた空席がひとつ、たとえの父親としての立場が残るのみとなりました。

たとえが希求しているのは新たな家族で、美雪は既に主人公から求めていたものを与えられています。そこで、たとえは二人に一緒に上京しようと持ち掛けます。

しかし、主人公は既に鶴を折ることをしなくなっていました。たとえが求めているものを、自身が与えることができることは知っています。しかし、愛が求めているもの、それをたとえが自身に与えてくれることがないことも知っているのです。
愛はその提案を断ります。
そして、愛はたとえの下から離れ、一人電車の中でかつて折った鶴を取り出して、一つずつひらいていきます。

綿矢りさ先生らしい、ぶっとんだ話の展開のように見えますが、このような人間関係、家族関係の変遷を経て、主人公が失恋に至ったというのは、一連の流れとして冷静な描写に支えられているものが大きいのだと思います。

気になるのは、主人公の愛がどこに向かうのかということです。
恋愛の三角関係かと思いきや、家族関係へと包摂されていくことを、愛は拒否しています。本書では、その後の愛を示唆する描写は書かれていないように思います。

そもそも愛を恋愛愛や家族愛などと厳密に区別することはできないでしょうし、人間関係においてお互いが求め、与えられるものがぴったりと合致することなどほとんどあり得ません。
ましてや家族関係ほど閉鎖的で密な人間関係というものは存在しないと思います。家族を見据えたとき、そこに立ちはだかるものの全貌は、なかなか見えてくるものではありませんね。


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