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生涯を通して結婚させて貰えない人によって日本の流通と経済は成り立っている👨‍👨‍👧‍👦🏡🏪🚛📦🥬🥕🥔🍜🍉📺🎮💊💡🏭😢💸

丸で陰謀論的だと思うようなタイトルだが、人には役割分担と言うものがある。

『船頭多くして船山に上る』と言ったもので全員が全員会社社長をやれる訳ではない。

尤も、個人事業主だらけなら一国一城の主として社長は愚か技術も経理も何でも出来るだろう。

でも、そんな話はしてなくて結局日本経済は働く人々によって動かされているので、いきなり無から資産やら財産やら資源が生み出せるものでもないし、それも使いこなさなければただの石ころ同然となる。

どんなものでもどんなところでもソースは限られているのでその中で回すしかないのである。

それでは何故「結婚させて貰えない人々」なのか。

単純に富が偏在しており、現状動けている富で遣り繰りしているのが今の日本社会の実態だろうと感じる。

先ずその話から始めよう。

偏在して固まっている富は死蔵化して動かない。

どんだけの個人資産があったものか分からない。

どんなにマイナンバーで紐付けして個人資産を炙り出そうとしても結局日本国憲法は財産権を侵すことは認めていないので手が出せない状況は今でも続いている。

コロナ禍に於いても個人資産は膨らむ一方だった。

日本国民が吝嗇になることに慣れ切って仕舞い、新たに富を有効活用しようとする人々にお金が回って来ない。

となれば自ずと日本経済も吝嗇にならざるを得ず、どこかで体のいい運び屋に任せるしかないと言った発想に辿り着く。

ここで言う運び屋とは古来より生業として来た「流通」のことである。

誰かが物を運ばなければ人間社会はやっていけないのは事実で、そこから色んなテクノロジーが発展していって今に至っている。

彼らの能力や功績を交換可能なものとして引き換えるために編み出されたチケットが「お金」なので、生産性も向上すれば評価されたチケットもどんどんと膨らんでいく。

そうやって溜め込んだ先に生まれたのが「富」である。

これは義務教育で学ぶことなので今更言うことはないが、何も無限に富は上がる訳でもなくその虚構は何れ晴れ、天井にぶつかってしまう。

人数の多いところでは膨大な富が膨れ上がるが、限界集落では富なんか増えないのは当たり前ではないか。

韓流アイドルが日本の人口の半分しかいない韓国だけではやっていけないので日本を橋頭保にして海外展開を狙わずにはいられないようなものだろう。

人がお金を出し渋れば生産者も値下げせざるを得ず、どこかでコストカットするしかなくなる。

それが大きくなったのが今の日本社会で、ギリギリのところでサービスを維持するためにはどこか切り詰める必要が出て来ると踏む。

カットされるのは常に流通なのだが、バブル時代の流通の好景気とは打って変わっての運命を感じる。

さて、人は家庭を築くのにどれだけのお金が必要なのだろうか。

年収300万円あればその一年間は家族を食わせていくことは出来るらしい。

しかし年収200万円だったら?

正直これではとても暮らしてはいけない。

母子家庭でギリギリ。

初めから年収200万円家庭がいると見越して政府は彼らに援助や支援を施そうとあらゆる政策を立てる。

ただ、これも直ぐに限界が来てしまった。

驚くべき少子化のスピードがやって来て国全体がマジで滅びかねないと焦り始めた。

これまで政府の対策は家庭を持っている所への保護を念頭に置いたものだと書いて来たが今後もその政策は変わらないだろう。

最初に戻るが、全員が全員社長をやる訳にはいかないので誰かに「嫌な仕事」をやらせる他なくなる。

嫌な仕事とはなんだろうか。

3Kとは言っても報酬が良ければそれに見合った仕事だと評価される。

ハイリスクローリターンと言う選択肢しかなくなってしまったが、仕事の他に与えられるべきものが「パンとサーカス」と言ったものである。

ネットの拡大や泡沫政党の出現も時代に合わせたものと感じる。

みんな辛い現実を泡(あぶく)みたいな娯楽で誤魔化しているだけである。

国もお金が無限にある訳ではないので、誰かに我慢を強いる必要があると踏んでいるのだろう。

少子化対策に非婚者が蚊帳の外に置かれているのもそこまでお金の面倒を見ている訳でもなさそうである。

非婚者にはこれまで通り、極限の流通関係に立たせているのではないかとすら感じる。

お金を出すのは結婚して家庭を持っている人達限定である。

可能性すらない人にお金を出すのは金溝と見ているからだろう。

家庭を持つ人には子供を産み育て、彼らの代わりに非婚者に流通を担わせようとしているのではないかとすら思えて来る。

最早流通は非正規なしでは成り立たないくらいなのは分かり切っている。

そうでもしなければ「守るべきもの」を守れないのである。

ただ、これをやり過ぎると後々反撥を食らってしまうのが目に見えて来る。

直截的な反撥はないにしても因果が巡って後で困ることと言ったものである。


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