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第17回「本を売る」ことに魅せられて

 2005年(平成17年)の元旦を迎えたのは電車の中でした(^◇^;)大晦日に遅番で、ブックファーストに出勤すると、閉店時間は23時。そこから家まで1時間以上かかります。年越しそばもなければ、紅白もない。寂しい正月の始まりです。でも、僕と同じような生活を送っている書店員は多く、除夜の鐘ではなく、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」なのです。

元日だけ休み、2日からブックファーストに出勤。さて、僕が紀伊國屋書店で働いていた昭和時代と異なることのひとつに、問い合わせの対応の仕方があります。「◯◯◯」という本は、ありませんか?と問い合わせを受けた場合、昭和時代は、日本書籍出版協会の『日本書籍総目録』という電話帳より分厚い目録を開いて探していました。今はシステムで検索できます。タイトルやISBNを正しく入力すれば、店内の在庫が、どの棚番地(大分類、中分類、小分類)に何冊あるか分かります。ここで注意すべきは、仮に在庫1冊と表示されていても、万引きで在庫がない場合もあります。必ず棚に行って現物があるか確認しなければなりません。また在庫0冊と表示されても即座に「在庫ございません」と応えるとクレームになるケースもあります。お客様としては探してようやく辿り着いた店で、ものの一分と経たずに在庫がないと言われるのも快くはないのです。こういう場合も、棚までご案内して、棚に無いことを確認して「申し訳ございません。只今、在庫を切らしております」と丁寧に謝ると、クレームにならないのです。またこういう場合、お客様が店頭で違う本を発見して購入してくれるケースもあります。お客様が探していたのは、唯一のものではなく、◯◯◯について書かれている本というケースもあるので、類書が揃っていれば、逆にお客様から売場を案内したことを感謝されることもあります。

しかし、検索システムは柔軟ではありません。当時のシステムは「前方一致」でしたので、語頭部分が正しくないと、検索に出てこないこともあります。こういう場合は、Googleで検索するとヒットし、検索一覧のトップはAmazonだったりするので、そこから ISBNコードをコピーして、自社システムにペーストすれば、店内在庫は一目瞭然となります。リアル書店にとってGoogleやAmazonは重要なツールなのです。こうして一冊の本を探すのに、けっこう時間がかかるのです。誰々に聞けばすぐ場所がわかるという昭和時代の姿はなくなりつつあります。
もうひとつ根本的に違うことがあります。昭和時代の書店人は「在庫がありません」を恥と感じて、絶対に「品切れ」をおこさないという矜持がありました。しかし、今のように年間の新刊点数が7万タイトルを超え、流通在庫も増えると、物理的に置けない本だらけになります。なんでも揃ってますとは言えないのです。

夜中に帰宅。志夢ネットの年末年始の売上動向をチェック。夜中に店長メールを一斉送信。

1月13日、直木賞は、角田光代『対岸の彼女』(文藝春秋)が受賞。芥川賞は、阿部和重『グランド・フィナーレ』(講談社)が受賞しました。「10年も書いていて新人賞かよ」という阿部和重のコメントを記憶しています。 

1月17日、志夢ネットのオーナー会議がありました。僕は「志夢ネットの課題」と題して、
① 事務所の問題。版元が来訪できない。郵便物の問題。現在は草彅の自宅に転送しているが、クロネコメールや宅配便は届かない。送り主に返送される。版元へは自宅の住所宛にDMを送ってもらっている。電話・FAXは、草彅の自宅の番号を使用。昼夜自宅に電話・FAXが入るため家族も困っています。事務所の有無が、志夢ネットの本気の度合を表していると訴えました。
② 店長メールの返信。何をやるにもここが生命線。レスがないので、こちらから督促しなければならない店舗もある。改善されていますが、人事異動後は、しばらくメールが途絶える。③ 商品の掘り起こし、志夢ネット全店で同じ商品を重点販売する。オリジナルPOP、販売コンクール、飾りつけなどで競争。オリジナル企画(テーマ・著者・版元)を年間スケジュール化する。

しかし、志夢ネットのオーナーたちの反応は鈍い。それよりも、志夢ネットの資本金が四分の一食い潰れていることに関して、このままでは、数年で事業は継続できなくなると騒いでいるのです。フランチャイズと違って、負担額は少ない点は、志夢ネットに加盟する各社各店のメリットでもあります。しかし、その分、志夢ネット自体は少ない実入りとなり、それに対して、経費が多いのが資本欠損の理由です。志夢ネットを設立したことで、加盟店のオーナーは、東京出張の交通費、宿泊費、食費などをすべて志夢ネットに請求するようになったのです。これらを社長である近藤秀二さんが許していたことが悪いのですが、僕は「隗より始めよ」で、まずはオーナーの皆さんが、出張経費を自社で負担することを近藤さんに提案しました。

会議後、ブックファーストに出勤。今日は、長女の誕生日 、14歳かぁ。春からは中学3年生。受験生となります。娘の将来の夢はなんだろう。

翌18日は、日本書店大学の定例会。講演は3本。第一講座は、かず多くの書店の店舗デザインを手がけたニッテン設計事務所の八百一喜所長。演題は、「魅力的な本屋さんをめざして」第二講座は、ベレ出版の内田眞吾社長。明日香出版社時代の僕の上司。演題は「中小書店の差別化による生き残り戦略」そして、締めの第三講座は、日本書店大学の田辺聰学長。いつも日本出版クラブを利用していましたが、会場費を抑えようと、江戸川橋のアスカビジネスカレッジのセミナールームをお借りしました。アスカビジネスカレッジは、明日香出版社の著者のセミナーなどを企画運営する会社で社長は、これまた明日香出版社時代の僕の上司、深水清社長。セミナールームをリーズナブルな値段で、お借りしました。
すると、志夢ネットの社長の近藤秀二さんが、何かを閃いたようで、僕に言ったのです。「ここ(アスカビジネスカレッジ)に机ひとつ置かしてもらって、事務所にしたらいい」
これは、いいアイデアだ。セミナールームもあるし、ここにいる森田剛さん、土屋稔子さんは、明日香出版社で一緒に働いた気心も知れた人たちです。場所もいいですね。江戸川橋駅から2分の好立地。ここからなら歩いて講談社や光文社に行ける。神楽坂の新潮社も近い。有楽町線に乗って麹町に出れば、紀尾井町の文藝春秋にも行けるぞ。
近藤さんは、深水社長と話をして、どうやら本決まりとなりそうです。
翌19日は、日本書店大学のメンバーを連れて、恒例の出版社訪問、今回はPHP研究所。
ミリオンセラーの樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方 』(PHP新書)の仕掛け方などのお話を聴きました。この本は、翌2006年も売れ続けて、260万部を超える大ベストセラーとなりました。これは粘り強くロングで売ってもらうようPHP研究所の普及部が、頑張った成果だと思います。このように本は中身も大事ですが、中身だけではミリオンセラーは達成できません。営業に力がないと、ましてやWミリオンは難しいと僕は思っています。   

僕は、2月からアスカビジネスカレッジの一角に机やプリンタ、FAXを置いて、志夢ネットの事務所を開業しました。
今まで、こちらから訪問していた出版社の中には、こちらで商談したいと申し出るところも多く、僕も移動時間がない分、1日により多くの出版社と商談ができるようになったのです。

2月8日、志夢ネットの店長会議を開催。

店長会議出席者
一清堂 清宮英晶、鎌田純一、堀江健司

鴨川書店 平野志郎、小倉健一

天真堂書店 小松永幸、廣瀬和人

ブックスなにわ 猪俣和孝、渡辺啓市、佐藤個史、新田恵美子

丸善書店 永井久仁明、木佐一秀樹、前田涼介

オクショウ 奥則夫

ラックス 吉田裕彦、小西隆三、上里直美、島田恵、丸尾太一

会議では、志夢ネット社長である近藤秀二さんの話。志夢ネットの売上報告。一括注文の実績。各店の課題が発表されました。
15:00〜新潮社の鈴木藤男部長の講演があり、PHP研究所の河崎亮課長の来訪がありました。
18:00〜各店の課題の発表、食事を挟んで22:00〜深夜まで会議は続きました。
翌朝は、9:00〜WebPOSレジの新機能の説明。深夜の会議の話しを受けて、
2005年の志夢ネット催事計画、
志夢ネット重点商品の決定、
志夢ネット重点版元への取り組み、
年間販売計画(ジャンル 版元別)を、
僕が本部として発表しました。
11:00幻冬舎の太田和美さん、岡濱信之さん、前田有さんが来訪。特約店、配本に関する説明会となり、12:00解散となりました。

この頃、僕は「書店道」における師と仰ぐ先生と出会います。ブックストア談をプロデュースした経営コンサルタントの青田恵一さんです。青田先生は、2003年『よみがえれ書店』を上梓し、昨年『書店ルネッサンス』を著しています。日本書店大学のセミナーは勿論、志夢ネットの店長会議で講演し、具体的なご指導を賜りました。また競合店に苦しめられていた志夢ネット加盟店を臨店し、実践的な戦い方をご指南いただきました。近藤秀二先生を勝海舟に例えるならば、青田恵一先生は横井小楠です。後年、青田先生が開いた「書店道場」に僕は第一期生として入門しています。

3月3日、日本書店大学の例会にて第1回『書店ルネッサンスの旅』「中央線沿線の個性派書店めぐり」と題して、青田恵一先生にストアコンパリゾンのチェックポイントを、ご指導受けながら、立川のオリオン書房ノルテ店、ルミネ店、サザン店、国立のペンギンハウス、西国分寺の隆文堂、南阿佐ヶ谷の書原を訪問しました。

さて、4月になると、昨年から始まった本屋大賞の発表がありました。第2回の大賞は、恩田陸『夜のピクニック』(新潮社)が受賞しました。

志夢ネットで推していた荻原浩『明日の記憶』は残念ながら2位でした。

僕は、この時期、7月に開催する「店長パワーアップセミナー」の準備に取りかかっていました。講座は4本ですが、最終講義は、田辺学長に決まっています。それと、近藤さんが会長を務める いまじんの榎本社長に「人材育成」について講義をお願いしました。残り2枠ですが、志夢ネットの店長たちに要望を聞き、第一講座をNET21往来堂書店の店長である笈入建志さんに『大閉店時代、町の本屋は何を思う?』と題して講義をいただくことに決まりました。さて、残る講座は当初、第一回本屋大賞を受賞した小川洋子さんを呼べないか?との意見があり、新潮社に問い合わせてみましたが、小川洋子さんは東京在住ではなく、また講演というものを、この時点ではされておらず、お断りのご返事でした。むむ。困ったぞ。すると店長たちから作家さんが無理なら、本屋大賞を作った裏方の話が聞きたいということになり、誰に頼んだらよいかを聞いたところ、本の雑誌社の杉江由次さんにお願いしたら良いという話になりました。僕は面識がないので、名刺を持っている人は、FAXで送ってくださいとお願いすると、名刺を拡大したものが送られてきました。肩書きは「営業部長」と書かれています。きっと椎名誠のようにマッチョでダンディな叔父様を思い浮かべ緊張しながら本の雑誌社に電話し、来週早々に本の雑誌社を訪ねる約束をしました。
本の雑誌社は当時、笹塚に事務所があり、約束の時間より少し早く着き、入口近くにいた方に尋ねると「あ!こんにちは。杉江です」と、若い兄ちゃんが返答したのです。むむ。想像していた姿とは違うぞ。僕は先ず日本書店大学について説明し、続いて「店長パワーアップセミナー」の説明、他の登壇者のことや謝礼のこと等を話すと杉江さんは「わかりました。大丈夫ですよ。やりますよ」と自身ありげな様子。むむむ。
かくして「店長パワーアップセミナー」のプログラムは確定したので、早速チラシを作成しました。さぁ集客頑張らねば。

今から思えば、このころの業界は右肩下がりと言えども、多少のゆとりがあったのかもしれません。セミナーのチラシをDMすると、会員ではない書店や出版社、取次から申し込みがありました。また会員の方々は、自社の書店員を何人も連れて来ていました。おかげさまで満席となったのです。

さて、そのまえに5月は、日本書店大学の臨店研修。今回は、山梨と甲府、バスをチャーターして、塩山の天真堂書店を見学し、甲府へ移動。朗月堂へ赴くと会員の須藤令子さんが出迎えてくれました。夜は石和温泉にて懇親会。

この席で、いまじんの会長である近藤秀二さんは、会長を辞任にして、常勤監査役となったことが告げられました。日本書店大学の幹事長職も辞任し、また志夢ネット(株式会社 日本書店大学館)の社長も辞任の意向を示しましたが、志夢ネットの他のオーナーより、慰留されました。近藤さんとしては後進に道を譲る意向だったのです。近藤さんのこの決断は、日本書店大学の会員も、志夢ネットのオーナーにも衝撃でした。僕自身も、近藤さんがいての、存在ですので、どうなるのだろうと不安な思いを抱きました。

7月6日、「店長パワーアップセミナー」が開講されました。第一講座の笈入建志さんの『大閉店時代、町の本屋は何を思う?』は、好評でした。昼食をはさんで、つづく杉江由次さんの『本屋大賞の作り方、育て方』が始まりました。
寝てる人がいたらどうしよう(・_・;僕は事務局として、一番後ろの席に座っていたので、受講者の顔が見えませんが、杉江さんの話の面白さに惹きつけられました。第128回2002年下半期2003年1月16日決定の直木賞が「該当作なし」だったことに端を発し、「売るものがない」という怒りが渦まくなか飲み会から、この賞が誕生した話は、受講している書店員の共感を呼び覚ましました。次々とおこる難関を、ボランティアの書店員たちと突破して、第一回の本屋大賞の受賞式を迎え、発表と同時に本が店頭にあることを、当たり前として実現させたのです。最後は割れんばかりの拍手でした。僕の心配は稀有でした。杉江さん ありがとうございました。

7月14日、第133回 直木賞は朱川湊人『花まんま』(文藝春秋)芥川賞は中村文則『土の中の子供』(『新潮』2005年4月号)が受賞しました。

9月、スクエア・エニックスの田代さんから電話をいただきました。『鋼の錬金術師』11巻の重版分の志夢ネット割当て分は、希望数の十分の一とのこと。重版部数に対し10倍の注文保留があるというのが減数理由でした。現状の売れ数を考えると次の重版まで凌げる数は確保できたし、何よりも、こうして減数の連絡をわざわざいただけることに感謝しなければと思います。

僕も明日香出版社で働いていた頃、毎日のように夜11時くらいまで残業していたことを思い出しました。書店営業から戻り、素早く日報を書き上げ、受注した注文書を処理。夜食を食べ終わると、取次経由の注文短冊や電話注文、FAX注文を確認。重版出来の注文短冊を減数するのですが、当時(1988年)はパソコンもなかったので、各取次店の番線一覧の束紙に一店舗ごとに数を記入し、過去の注文と照らし合わせて、信用できる注文かどうかを判断して、場合によっては減数するという作業をひたすら続けるのです。当時の常備店は5000軒くらいでした。文芸一般書やコミックなど取扱軒数が多いジャンルの出版社は、朝まで作業しても減数が終わらないのではと思います。まあ、あくまでも書店からきた注文に誠意ある態度で臨むならですが。

この頃、水面下で近藤秀二さんと僕は、志夢ネットの統一番線を作ることを計画していました。そんな折、僕は上京していた近藤さんの常宿である飯田橋のHotelエドモントに呼びだされたのです。近藤さんは「これから栗田の社長に会う」栗田とは取次の栗田出版販売株式会社のこと。トーハン、日販、大阪屋に次いで四番目に商いが大きな出版取次会社でした。指定された店に行くと、近藤さんと僕は個室に案内されました。そこに待っていた人が、栗田の社長である亀川正猷(まさみち)さんでした。近藤さんは、挨拶そこそこに志夢ネットの課題について話し始めました。志夢ネットは、一清堂、天真堂、鴨川書店が日販帳合、ラックスが栗田帳合、ブックスなにわ、丸善書店、オクショウがトーハン帳合でした。出版社に本部一括注文を出すにも、ひとつの番線で発注することができず、結局個々の番線で発注しているだけなのです。亀川さんは「当社(栗田)で番線を作ればよろしい」と言う。近藤さんは「7人のオーナーを納得させる好条件が必要」と言い、結局その場では条件は、決まりませんでした。近藤さんは「任せる。うまくやってちょ」と言って僕の肩をポンと叩いたのです。この食事に同席していた栗田の社長室長の吉田正義さんに、次は板橋の栗田の本社で会う約束をしました。

そして翌週、栗田に伺うと会議室に通されました。中には、専務の郷田照雄さんや、特販部部長の雪武史さんもいて、亀川社長は最後に入室されました。僕は回りくどいことはなしにして、単刀直入に「書籍の正味77%部戻し2%でならば口座を開きたい」と言うと、横にいた郷田専務が「普通は言いにくいことをサラっと言ったね」と怖い顔で睨んできました。その様子を見ていた亀川社長は「わかった。わかった。その条件で口座を開こう。但し、連帯保証人は、近藤さんを含めて8名になってもらうよ」と言うので、保証人の件は、持ち帰ってすぐに返事をすると言って僕は栗田を引き上げました。すぐに近藤さんに連絡して、近藤さんから志夢ネットのオーナーに連絡すると、条件面は申し分ないが、保証については、無制限ではなく、上限を決める事で、今一度、栗田と話して上限◯◯◯万円で約定書を取り交わすこととなりました。志夢ネットのオーナー全員に実印をもって、上京してもらい、通常の約定書に紙を足した巻紙にでもなりそうな長い約定書。連帯保証人は通常は二名、厳しいと言われているトーハンでさえ三名のところ、連帯保証人八名は前代未聞ではなかろうか。近藤さんから順に署名捺印して、八名全員が捺印終わるまで、ずっと緊張しながら、見守っていました。でも、これでついに、本部一括番線を手にいれました。部戻し2%が本部の収入になれば、志夢ネット本部の運営も楽になる。僕の給料も上げてもらえるだろうか。

正直なところ、大手取次店は、志夢ネットのような独立系中小書店の連携を認めたくないのです。
なぜなら取次は、売上高に応じて書店への入金報奨の率(所謂、部戻し。バックマージン)を変えています。
月商500万、年商6000万の店と年商30億の店ではバックマージンも異なります。
まったく資本の関係がない書店同士が連合して一つの会社として認めろと言い出したら取次の利益構造が変わってしまうので、志夢ネットのような存在を嫌うです。
出版社も同じです。
売上が小さな店舗に対しては報奨金を支払っていない出版社が増えています。
一定の売上がないと報奨を脚きりしている出版社もあります。
連合して売上を合算されると報奨金を払わなくてもよい書店に払うことになります。
だから出版社の中にも志夢ネットを認めないところもあります。
今回、栗田が声をかけてきたのは、思惑があってのことと重々承知の上で口座を開きました。
その思惑とは「帳合変更」です。志夢ネットに本部一括番線を与えて、ベストセラーやコミックなど美味しい思いをさせて、現在、日販帳合の店やトーハン帳合の店を栗田の本帳合にひっくり返すことです。
この時代、正味(仕入原価)など好条件を餌に、或いは負債の肩代わりなどを条件に帳合変更をする書店が続々とでる時代でした。

11月9日、志夢ネットの店長会議。今回の店長会議は、パソコンとプロジェクタを用いて、WEB POSシステムに繋いで商品の売行きや在庫を即時表示しました。また、重点販売商品のPOPや展開状況の写真も公開しながら売行きについて討議しました。そして、五十嵐貴久『安政五年の大脱走』(幻冬舎文庫)と朔立木『死亡推定時刻』(光文社)の既刊2点を志夢ネットの重点販売商品とし、展開することを決めました。

また伸び率107.3%のブックスなにわ塩釜店の佐藤個史店長を最優秀店舗として表彰しました。右肩下がりの業界の中で既存店でありながら売上を伸ばすのは並々ならぬ努力が必要です。志夢ネット全店計も、昨対103%売上も30億円を突破しました。

11月10日の書店特訓ゼミナールは、第一講座が、山本一力さんでした。2002年『あかね空』(文藝春秋)で直木賞を受賞した人気作家です。僕は栗田の本部番線を使って、山本一力さんの最新刊『かんじき飛脚』を100冊、新潮社の本間隆雅さんに注文していました。近藤さんは、「受講者は本屋だぞ。自分のところ以外で本を買うのか」と言っていましたが、僕は根拠はないけど「大丈夫です」と答えました。山本一力さんの講演は、作家として売れるまで、さまざまな職業をやり、大きな借金もつくり、そして、売れっ子になった今でも「あとちょっとですが」と借金を返済してると言う。笑いあり、涙ありの話に皆が感動しました。

そして、講演のあとに『かんじき飛脚』の販売とサイン会を実施したところ、長蛇の列ができたのです。山本一力さんは、一人一人に丁寧に対応していました。ご家族が自転車で日本出版クラブまで応援に来て、サイン会を手伝ってくれました。本は、みるみるうちになくなり、皆サイン本を抱えて嬉しそうに、席にもどって行きました。近藤さんは「はじめて見たよ。こんなことってあるのか」と言って驚いていました。100冊は完売したのです。最後に僕は100冊とは別に事前に買って読んでいた『かんじき飛脚』のサインをお願いすると山本一力さんは、サインをして、「ご苦労さま」と書いてくれたのです。

さて、そんな2005年でしたが、世間はどうだったか?

国内の最大ニュースは、小泉純一郎内閣の「改革の本丸」である郵政民営化法案が衆院で可決されたものの、多くの造反議員をだし、また参院で否決されたため、解散総選挙で、国民の信を問うたところ、自民党が圧勝し、公明党とあわせて、与党は327議席(三分のニ)を獲得。郵政民営化法案は選挙後の特別国会に再提出され、衆参合わせてわずか6日間の審議でスピード成立しました。

4月25日朝、JR福知山線で、通勤・通学客らを乗せた上り快速電車が脱線。運転士を含む107人が死亡しました。

ライブドアがニッポン放送株の35%を取得したと発表。一時は過半数の株式を買い占め、同放送が筆頭株主となるフジテレビ買収も画策しましたが、結局、全株式を手放す代わりにフジと資本・業務提携することで和解しました。

海外では、アルカイダや同組織と関係のあるイスラム過激派の犯行が英国やエジプトなど世界各地で同時爆弾テロが相次ぎました。

出版業界は、どうだったか?
志夢ネットの年間ベストセラーを見てみましょう。
1位は、樋口裕一『頭のいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)3,394冊売れ、2位は、木藤亜也『1リットルの涙』(幻冬舎文庫)2,318冊売れ、3位は、『ドラゴンクエスト8』(集英社)2,089冊売れ、4位は、中野独人『電車男』(新潮社)2,049冊売れ、5位は、市川拓司『いま、会いにゆきますよ』(小学館)1,751冊売れで、トーハンのベストセラーと比較しても上位銘柄は変わりません。ベストセラーの商品確保ができた結果と言えるでしょうか。

国内の映画ランキングは、どうか?
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」「ナルニア王国」「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」「ハウルの動く城」「劇場版ポケットモンスターアドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者ルカリ」「NANA」が上位となりました。

さて、音楽シーンは、どうか?
ケツメイシの「さくら」、大塚愛の「黒毛和牛上塩タン焼680円」Crystal Kayの「恋におちたら」修二と彰の「青春アミーゴ」などがヒットしていますが、、、おじさんは、ついていけなくなっています(笑)

それでは、今回のエンディング曲は、ドラマ「1リットルの涙」の主題歌となり大ヒットしたレミオロメン「粉雪」(作詞、作曲:藤巻亮太)で締めくくりましょう。

粉雪 ねえ 時に頼りなく
心は揺れるah...
それでも僕は君のこと
守り続けたいah


妻から娘の進学のことで相談したいと言われたのは、この年の秋口。栗田の口座開設で盛り上がっていた時でした。
長女は、絶対音感があり、小さな頃からピアノを習っていました。中学に入り、吹奏楽部に入部して、クラリネットを吹いています。
県内にある音大付属の高校を受験したいと言うのです。
高校の見学に行ったところ、入学までにレッスンを受けるよう勧められました。レッスン料は月5万円。また今、使っているクラリネットも安物なので、もっと高いものに変えなさいと言われたとのこと。
僕は、この話しを聞いて、悔しかった。クラリネットだって、入学祝いで母からの援助もあって、中学生が使うものよりも、少しグレードが高いものを無理して買ったのに。それを安物と言われるのは心外だ!
でも音大付属高への進学は娘の夢。
僕はどうすれば良いのだろう.....

つづく













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