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手の素描

 長太はその朝、新聞を広げていつものようにさあっと目を走らせながらページをくっていくと、衝撃で一瞬真っ白になってしまうような記事がのっていた。
 
〈中学美術教師、生徒のヌードを描く〉

 美術教師が中学三年生の生徒を自宅によんで、言葉たくみに衣服を脱がせ、ヌードを描いていた。そのことが発覚して城南中学校では一大騒動になっているというのだ。大新聞のことだから、週刊誌のようにどぎつい記事ではなく、ただその事件の顛末をそっけなく記事にしているという印象だったが、しかしその見出しだけで十分刺激的だった。ここにまた破廉恥な教師のあきれた行状をスクープし、暴きだしたのだといわんばかりの記事だった。さすがにその教師の名前は伏せられているが、それがだれなのか長大にはすぐにわかった。変わった美術教師で、試験にはいつも手のスケッチをさせていたという記事によって。
 長太はその教師を知っているどころではなかった。このところ彼とは急激に親交の度を深めていて、一か月ほど前にも会っているのだ。
 長太がこの教師の存在を知ったのは、もう五、六年前になるだろうか。中間テストや期末テストが間近になると、長太はふだんの授業を打ち切って、その試験に立ち向かわせるための時間をつくる。さすがに子供たちはテスト前になるとちょっと必死になって自学自習するのだ。
 中間テストは五科目だったが、期末テストの方は大変だった。とにかく九科目もあるのだから、まるで重戦車が地響きをけたててせめよせてくるようなプレッシャーだった。どの子もたいてい試験前日になってはじめて勉強を開始するのだから、九科目というのは生徒たちには大変な負担だった。だから美術のテストのある日は、その重圧がちょっとだけ軽くなるのか、生徒たちはふうっと息抜きするように明日は楽勝だなと言ったりした。
 というのは美術のテストが、いつも自分の手をスケッチさせるという課題だったのだ。片手にさまざまな表情をさせる。親指を突き立てた手、開いた手、だれかを指さしている手、Vサインをつくった手、拳をつくった手、親指となか指びでつないで円を描く手と、さまざまに手にポーズをさせる。その手を鉛筆で描写するのだ。美術の試験はそれだけだった。事前に暗記していかなければならないようなペーパーテストではなかった。だから子供たちにとって、美術の試験がある日はほっと一息つけるのだ。
 一学期から三学期までまったく同じ課題であり、しかもそれがなんと三年間続けられた。長太はなんとも不思議な先生がいるものだと思い、そんな課題を頑固にまもり続けているこの先生には、きっとこの先生独自の深い教育理論があるからにちがいないと思うのだった。長太は一度この先生と会って話してみたいと思うほど、なにやら魅力的な人物に思えたのだ。
 宮本真紀子には軽い言語の障害があるためか、話しをするとき発音がくぐもって、言葉がちょっと聞きとりにくかった。本などを朗読させると、わずか五、六行の文章でさえも、人の何倍もの時間がかかった。そのことが影をひいているからなのか、ちょっと暗い子で、その全身がいつも曇っているように思えるのだった。学校の成績もよくなかった。ほとんどの教科が、二であったり一であったりした。そんななかで美術だけは違っていた。美術だけはその評価がいつも四だったのだ。
 しかし長太はその美術の評価にいつも疑問を感じていた。彼女が描く絵がとりたててうまいとも思えなかったのだ。塾の新聞や野外活動の案内状を子供たちにつくらせるが、何度かその制作を真紀子にたのんだこともあるから、彼女の造型力というものはよく知っている。試験の前、時間に余裕があるとき、美術の試験のために手の描写をさせたりしたこともあったが、それとて彼女の素描が四という評価を受けるほどすぐれているとは思えなかった。むしろなにか小学生の描くような幼椎さが漂っていた。構図のとりかたも、その線描も、影をつくるタッチにも。それなのにその美術教師は彼女に四という点をつけるのはなぜなのだろうという疑問をずうっと持っていたのだ。
 長太にはその教師がひどく気になる存在だったのだ。
 それは真紀子が三年生になった一学期のことだった。その時の通信表に、なんと美術に五という評価がついているのだ。ほとんど一とか二がならんでいるなかで、その五という点はまったく異様にみえた。
 小学校ではときどきこんな極端な評価がなされる通信表に出会うが、中学になるともはやそういう極端なアンバランスは影をひそめていく。堅固な絶対評価という枠があり、採点の評価も基本になるのはぺ一パーテストの成績であり、そのぺ一パーテストによってきまっていくからだった。音楽や体育や美術という実技学科でも、ペーパーテストによい点を取れる子に高い評価がついていく。それだけに真紀子の五という評価はちょっと理解に苦しむのだった。
  真紀子に五がつけられたという話は、またたく間に学校中に広がっていったらしい。二学期がはじまると同時に、この問題はちょっとした事件に発展していることを長太は知るのだった。美術教師はひどい差別教育をしていて、えこひいきがはげしく、その評価のつけ方があいまいだという声が一部の父母たちから上がり、その非難の火が父母たちの間に燃え広がっているというのだ。そのあたりの様子を塾にくる子供たちは興奮した口調で話すのだった。
「マツコウのクビがあぶないんだって」
 マツコウとはその美術教師のことだった。彼の名は松永といった。
「野村んちのばばあが、騒いでいるからさ」
「あのはばあなら、やるよな」
「教育委員会にも訴えたらしいからね」
「教頭からものすごく叱られたって」
「あの教頭、先生たちのクビ切るからな」
「職員会議なんかも、すごく荒れたらしいよ」
「先生たちからも吊るし上げられたんだって」
「マツコウは組合にも入ってないから、だれも助ける先生はいないんだっていってたよな」
 と子供たちは生々しい情報を伝えるのだった。
 どうやらこの騒動に火をつけたのは、野村という子供の母親だったらしい。野村という子は、学年でも五、六番にはいるくらいよくできる生徒だった。ところが美術の成績だけがいつも三という点をつけられていたらしい。三という評価は普通という意味なのだが、ほとんど五がならんでいる通信表のなかで、その三はひどく劣るという評価にみえるのだろう。
 そんな不満がぶすぶすとくすぶっていたところに、三年生になって内申書を決定的に左右する一学期の通知表に二をつけられたから、くすぶっていた怒りがとうとう爆発したということらしいのだ。怒り心頭の野村の母親は松永に会って、どうしてうち子は二なのですかと問いただすと、松永はこう言ったらしい。野村は美術に対する愛というものがないのです、絵にもスケッチに工作にも彫刻にも愛というものが流れていないのです、と。
 それは火に油を注ぐようなことになった。どうも松永の評価の仕方は、勉強のできる子よりも、むしろあまりできない生徒に高い点を与えているらしいのだ。そういう不満の種がずうっと親たちのあいだにくすぶっていたのだ。そんな理不尽な成績のつけ方に一、二年生のうちはまだ寛容になれていた。しかし三年生になって内身書の成績の一点一点が、高校受験の合否を大きく左右する時期になってくると、そんな余裕もなくなっていく。野村という子の母親がさかんに打ちふる旗が、学校中をまきこむ騷動に発展していく火種は用意されていたのだった。
 松永が母親たちの激しい攻撃をあびて、辛い立場に立っているという話を聞くにつれて、長太は彼になにか励ましというか、あなたを理解している人間はここにもいるのだというメッセージを伝えようと思うのだった。それは長太にとっても他人事ではなかった。母親たちの不満と怒りの底にあるのは、真紀子に五をつけたという事実にあるのだ。真紀子は六年生のときから長太の塾に席をおいている、彼の子供のような存在だった。
 長太は、中学生たちが松永は城南中から追放されるだろうという話をしていたその夜、次のような葉書をしたためた。
〈真紀子のような子供にとって、学校の評価というものはいつも辛いものです。オチコボレだ、クズだ、お客さまだという評価がいつもなされます。そんななかで先生の評価は、どんなに彼女を励ましたことでしょう。真紀子はあなたの評価によって救い出されたのです。まさしく学校とは、子供たちの可能性を引きだすことなのですから。残暑が厳しい日が続きますが、お体を大切に〉
 その事件は結局いつの間にか立ち消えてしまった。それ以上の問題に発展していかなかったのは、その時の校長がなかなか見識をもった人物だったからだようだ。一部の父母たちのあいだから湧き立ったその騷動を、校長はしっかりと松永の立場に立ってがんとして撃破したらしい。
 それから二か月たった十二月のある日、塾に通う三年生が松永からたのまれたといって一通の案内状をもってきた。
「これ、よかったらきてくれって」
 それは松永の個展の案内状だった。蒲田駅前にある小さな画廊で、彼の作品展が開かれるというのだ。印刷された案内状の余白に松永は、土曜日の午後は会場におります、としたためられていた。
 その土曜日に長太は蒲田に足を運んだ。その小さなビルは、一階が不動産屋になっていて、なんだかちょっとあやしげな気配の建物だった。薄暗い汚れた階段を上がっていくと、そこに画廊があった。部屋の入り口に机がおいてあってそこに一人の男がすわり、その男を三人の中年女性が取り囲み、にぎやかな談笑をしていた。
 長太は壁にかかった絵を一点一点丁寧に見ていった。油彩がおよそ十七、八点架けられていたが、そのほとんどが静物画だった。果物や花や食器やフォークやナイフ、それによほどこの作家はグラスが好きなのか、さまざまな形をしたグラスが画面のなかに配置されていた。その透明なグラスが画面を気品あふれるものにしていた。その色調といい構図といい中世の絵画のようにロマネスクで丹精だった。
 受付のテーブルに座っていた男は、三人の女性を送りだすと、長太にむかって歩みよってきた。
「多川先生ですか」
「多川です。松永先生ですね、はじめまして」
 松永は長太に椅子をすすめると、テーブルの上においてあるポットからカップに褐色の液体を注ぎ込んだ。
「ウーロン茶です」
「ああ、いただきます」
「一週間の展示ですが、まったく人がこない日もあります。そういうときはこのウーロン茶がいやに苦く感じるものですがね。今日はうれしいですよ」
 そして彼は椅子のわきにおいてあったズックのバックを机の上におくと、そこからがさがさと画用紙を取り出した。
「今日はきっとあなたがこられると思っていましたから、宮本の作品をもってきたんですよ」
「真紀子のですか」
「そうです。多川先生のお手紙はうれしかったですよ。しかしどうも多川さんはぼくのことを誤解していらっしゃる。そこのところをちょっと説明したくて、宮本の作品をもってきたんですがね」
「はあ」
「多川先生の手紙をぼくなりに解釈しますと、偏差値教育のなかでは勉強のできない子はとても不幸だ。そんななかで宮本のような子に五をつけたということは、できない子供たちを元気づけ、勇気づけるものだということですかね」
「そういう思いがあったことは事実です」
「しかしそれはまったく違います。ぼくが宮本に五をつけたのはそういう理由からではないんです。ぼくはむしろ通信表というのは、もっときびしく子供たちの才能というものに、評価を下さなければならないという価値観にたっていますから。宮本はまさしく五に値する絵を描いたからです。宮本のなかにある美術的才能というものを、たしかにぼくは感じるとることができたから、自信をもって彼女に五をつけたんですよ。ちょっとこの絵を見て下さい」
 と言って彼は、一枚の絵を長太の前においた。それは教室の風景を描いた絵だった。昼休みなのかそれとも放課後なのか、生徒たちがかたまって話しこんだり、ひとりぼつん机にむかっていたり、窓から外をのぞいていたりしている絵だった。
「一人一人の個性を鮮やかに捕らえています。この教室の左側にある生徒のかたまりは、ひそひそと話しこんでいますね。これはきっとだれかを噂しているんでしょう。生徒たちの一人一人の表情が実にいいでしょう。こっちのかたまりはゲラゲラ笑っていますね。明るい陽気な中学生たちが描かれている。そうかと思うと、窓際で一人の生徒が外を見下ろしている。その後ろ姿もまた実にいいですね。そしてここに一人沈みこんで物思いふけっている子もいます。教室風景を見事に捕らえているんです。中学生たちの姿が的確に捕らえられているんです」
 不思議なものでそう説明をされると、長太にもその絵がだんだん素晴らしいものに見えていくのだった。
「彼女はこの絵を描いた。もうそれだけで五を与えてもいいんです。それだけの絵を宮本は描いたのです。子供たちのきらめきや陽気なざわめき、また不安や孤独へのおびえ。そういうものがこの画面に漂っている。ぼくが教師になって出会った絵のなかでも指をおるほどの鋭く深いイメージをかきたててくる絵です」
 彼の説明は長太には驚きだった。こういう見方をするのが専門の教科の教師なのかと思った。
「宮本をぼくはずうっと注目してきたんですよ。宮本の絵には、なんて言いますかね、絵の精神というものが漂っているんです。絵によって表現する力というか、オーラのようなものがね。彼女の絵は一見どことなく稚拙にみえます。事実まだ技術というものがともなっていません。しかし稚拙な線や彩色の底にしっかりとした絵の精神というものが宿っているんですね」
「絵の精神ですか」
「つまり絵によって表現しようとする、あるいは表現してみたいという意志ですね。その意志がはっきりと彼女の絵にあって、それがたくましい強さと深さをもたらしているんですよ」
 そして松永はまたバックから絵を取り出した。それは手を描写したものだった。
「これを見て下さい。これは宮本の一年生のときのものです。大胆なスケッチでしょう。小指が画面いっぱいにかかれている。あんまり小指を大きく描いたものだから、親指も人差し指も画面からはみだしてしまった。しかし強い意志の宿ったスケッチですね。小指がしっかりと愛情をこめて描かれています」
 それもまたずいぶん幼椎な絵だった。しかし松永の説明からその絵を見てみると、なるほどその稚拙な絵のなかの小指が生き生きとしているのだ。
「彼女はいつも小指から描くんですね。どんなポーズを手にとらせても、小指から描いていくんです。あるとき君はどうして小指から描いていくのって訊いたら、小指が一番小さくて、一番弱いからだって」
「なるほど」
 長太はなんだかすっかり感動して言った。
「宮本の手の描写は次第に変化していきます。小指から彼女の関心は薬指に変化していって、三年生になるとエネルギーの対象が親指になっている。どうですか、この親指の大胆さ、力強さ。これは三年生の一学期のものです。女の子が、こんなに強いエネルギーに満ちた親指を描くなんて、なかなかないことなんです。対象が彼女の線を変えていったというか、彼女のタッチを成長させていった」
「面白いですね。実に面白い見方をなさるんですね。子供たちの絵ってそうやって見ていくものなんですね。先生は三年間の絵をこうやって貯めておくのですか」
「そうです。ぼくは作品を生徒に返しません。卒業するとき返しますが」
「こうして貯めておくと、子供たちの成長がよくわかりますね」
「そうです。よくわかりますよ」
「試験のたびに手の描写をさせる。しかも三年間ずうっと。ぼくはずいぶん奇妙な先生がいるものだと思い、しかしきっとそこにはなにか深い教育理論があるにちがいないと思っていましたが、やっぱりという思いです」
「いや、ぼくには教育理論などというものはありませんよ。しかし手の描写というもので、子供たちの成長をたしかにみてとれるんですね。構図の作り方、光の捕らえ方、影のつけ方。鉛筆は一本の線しか描けませんが、しかしそのたった一本の線は実は精神の投影でもあるんですね。その一本の線がおりなす素描というものは、また子供たちの内部を語ってもいるんです」
  真紀子の成績では、とても都立高校に入ることは無理なように思えた。彼女の偏差値で入れる高校といったら、もう通学に二時間とか三時間もかかる、埼玉県や千葉県の辺境にある私立高校でしかなかった。そんな彼女の成績が、二学期からまるで奇跡が起こったかのように、ぐんぐん伸びていくのだった。それはいままで停滞し塞き止められていたものが、一気にあふれ出てきたという印象だった。それほどその変化は劇的だった。
 長太は思うのだ。松永は否定したが真紀子がかくも劇的に変わっていったのは、美術に五という点をつけられたそのことによってなのだと。それこそ第四コーナーを曲りこんでの最後の追い込みで、それまで逆立ちしたって無理だと思われていた都立高校に真紀子は見事合格したのだった。
  それから二年後に、真紀子から高校の文化祭の案内状がきた。《美術部は大作に挑戦しました。ぜひ来て下さい》とその葉書には書いてあった。彼女はもう高校二年生になっているのだった。
 その日、彼女の高校の校門に入ると、
「先生!」
 と一人の生徒が、こんもりと繁った葉を四方にひろげた楠の大木の下からとんできた。長太は一瞬それが真紀子だとわからないほどだった。それほど真紀子は変貌していた。なにか生命がきらきらと光っているのだ。
「ああ、真紀子か。ちょっとわからなかったよ」
「いやだなあ。もう忘れたんですか」
「いや、あんまり君が溌刺として輝いているから」
「美術クラブの部長ですから、輝いてなくちゃいけないんです」
 真紀子は、そんな冗談をすかさず繰りだして明るく笑うのだった。
 校舎に入ると、廊下の壁に展示やイベントを知らせる文字やイラストで埋められた模造紙がいたるところに貼られ、教室の入り口にはそれぞれ創意工夫した装飾がなされていて、校舎いっぱいに青春の熱いざわめきがたちこめていた。
 美術クラブの作品が展示されている教室に入ったとき、長太は思わず息をのんだ。壁面一面に組み立てられたベニヤ板に、巨大な絵が描かれているのだ。画面の中央にはさまざまなポーズやからみ方をした裸の人間の群像が、そして左右に森や山や湖や海が広がっていて、そこにもまた裸の人間たちがいて、それはやがて宇宙の広がりのなかへ溶け込んでいくという構図だった。その絵の題は「二千五百年への旅」とつけられていたが、なんだかミケランジェロの時代の壁画に描かれた宗教画のような雰囲気だった。
  あの真紀子が、こんな絵を描くようになったのかという驚き。もうこんな巨大なテーマと格闘するまで成長したのかという驚き。長太はしばらく声もでないほどだった。彼女が長太の塾を巣立ってからまだ二年ほどの月日しかたっていない。それなのにもう自分をはるかに大きく飛び越して歩いている。そのことに長太は叩きつけられるような衝撃を受けるのだった。
「これはすごい絵だね。ずいぶんかかっただろうね」
「そうですよ、最後は泊まり込み合宿したんです」
「部員って何名ぐらいいるの」
「たった七人ですから、大変でした」
「しかし、これだけの絵を描くなんて、中学時代の真紀子からは想像もつかないことだった」
「あのころ暗いいじけた子供だったでしょう」
「ちょっと暗い子だったね」
「いじけて、ねじれて、ヘんな子供だったなと自分でも思います」
「でも三年になってから、君はぐんぐん変わっていった」
「そうかもしれませんね。三年生になってから、ちょっとむきになって勉強もするようになったし」
「ぼくは思うのだけど、そのきっかけは美術に五がつけられたということじゃなかったのかなあ。あれって覚えてるだろう」
「あった、あった。そんなことありましたね。あのとき本当に迷惑でしたよ。あんな点がつけられて」
「迷惑だったの?」
「それはそうですよ。私の成績ってほとんど二ばかりだったでしょう。それが美術だけ五ですから。どうしてあの先生は、私に五なんてつけるのって思いましたね。私よりうまい絵をかく人はいっぱいいたし。なんだかすごくいやでした。私の美術が五だということも学校中に広まって、みんな白い目で私をみるし、悪い冗談でさんざん馬鹿にされるし。それでPTAなんかで問題になっていったでしょう。本当にあのとき学校なんかいきたくなかったですね。もう少しのところで登校拒否児童になりかけてましたよ」
「しかしあのときから、君は見違えるように勉強したよね」
「そうです。勉強がだんだん面白くなって、勉強がわかっていくとどんどん面白くなって。人間ってあんなふうに追いつめられると必死になるもんですね。でも美術だけはすごくいやで、わざと二学期に入ってからはいいかげんな授業態度をとったりして。でも松永先生はそのときもやっぱり五をつけてくれて、これいったいどうなっているのと思いましたけどね」
「しかし松永先生は君のことを確信していたんだと思うね。君のなかにある美術的な力量というものを。美術部の部長になって、君がこんなすごい制作をするようになるということを、松永先生は見抜いていたと思うんだな。あの先生には君の才能というものが、はっきりと見えていたんだ」
「私もそのことが分ってきたというか、自分はあんなふうに先生に反発していたけど、美術というものが、こんな風に自分のなかにあるということがわかって、松永先生はすごいなっていまは思いますね」
 そして彼女はしかと将来の目標ができたというように、
「私、大学の美術部に入ろうと思っているんです」
「そうか、それはいいね。そこまで君の才能を見抜いていた松永先生をこの文化祭に呼んだほうがいいよ」
「でもあの先生、私のことなんか忘れているんじゃないんですか。あの頃はぜんぜん反発してたし、口もきかなかったぐらいですから。きっと私のことなんかもう忘れていると思いますよ」
「そんなことはないよ。君のことはしっかりとあの先生の心のなかに刻みこまれているはずだよ。ものすごく大きくね。だから君が呼んだらきっと飛んでくるよ」
「そうかな。きてくれるかな」
「きてくれるよ。文化祭は明日までやっているんだね」
「そうです。明日までです」
「じゃあ、ぼくからも電話をして誘ってみるよ」
 その夜、長太は松永に電話を入れたのだった。
  週が明けた月曜日だった。授業が終わって生徒たちが次々に部屋を出ていったが、一人の生徒がまた戻ってくると、
「城南のセンコウがきてるけど」
 と言いにきた。
「えっ、ここに。だれかな」
「松永だよ」
 長太が一階に下りていくと、松永がそこに立っていた。彼は長太の授業が終わるのをずうっと待っていたらしい。
「部屋に入ってくればよかったじゃないですか」
「迷惑がかかるようでしたから。でも大変ですね。こんな夜中まで」
 長太はその夜、松永を《ドン》に連れていった。なんだか古い友人にあったような感情があふれてきて、この男と酒が飲みたくなったのだ。カウンターにすわると二人の話題は、やっぱり真紀子のことになった。
「ぼくは真紀子が、あんなふうに自己を実現していくとは思いませんでした。あの度肝を抜かれるような絵をみていて、しきりに松永さんのことを思ったんですよ。ここまで見抜いていたのかって」
「いや。たまたま当たったということなんでしょう。まぐれですよ。まぐれなんて言い方はおかしいけれど。宮本に自分の内部にある才能に目を向けさせることの手助けにはなったのかもしれませんが。しかしあの五という評価は宮本には重荷だったようですね。ため息まじりにそう言われました」
「ぼくも先日そう言われて、はじめて知りました。たしかに重荷だったんでしょうね。それへの反発があったと言っていた。しかしいずれにしてもあのことが、新しい彼女をつくる出発点だったことには変わりはありませんね」
 松永がビールを長太のグラスに注ぐと、
「多川さんは、どうして塾の先生などしているんですか」
 と突然話を変えてきた。その唐突な問いに、どうこたえたものか戸惑っていると、
「いや、多川さんの専門というか、本職というか、聞くところによると蝶学者だとか」
「いや、学者などというものではありません。好きで追いかけているだけですから、趣味の域から抜け出ていません」
「塾をやられているのは、生活のためというか、そんなことですか」
「それだけではありませんが……」
「しかし、もし蝶を研究するという仕事だけで食べていけるとしたら、塾教師などしていないでしょうね」
「そうかもしれませんね」
 と長太は複雑な思いをこめてそう言った。すると松永が、
「ぼくは、教師という仕事をやめたくて仕方がないんですよ。教師になってもう十二年になりますけれど、いよいよぼくは教師にむいていないと思うばかりで。そもそもぼくが教師になったのも腰掛けのつもりでしたからね」
「わかりますよ。松永さんの個展にいくたびにそう思いました。松永さんという人は教師であるよりは、画家だなと思いました」
「本当にそうなのか、ぼくは本当に画家なのか、実は一度もその本質的なところに自分を追いつめたことがないんですね。果たしてぼくは画家の魂というものをもっているのかどうか、そのことに一度はっきりとけりをつけなければならないのに、いつまでも教師という安全地帯にいて絵を描いている。画家になるには、やはり素手で戦っていかなければならないんですね。裸になって、そんな戦いをしていないから、ぼくの絵にはいつまでも甘さが残っている。いつまでもアマチュアの絵なんです。とにかくいまの生活を全部捨てて、絵のなかに生命を全部投げ出して戦かわなければならないんですね。その決断に踏み出す勇気が、どうもぼくには欠けているんです」
「画家になるには、教師という生活を投げ出さなければならないもんなんですか」
「ぼくは本質的に教育者ではないんです。そのことが教師生活をしていよいよ明白になるのに、ずるずると教師をしている。ときどきこの生活が、自分でがまんならなくなることがあるんです。こういう生活ではけっして魂にとどくような絵は描けないんですね。暴力的なばかりに、外に飛び出していきたいという衝動にとらわれることが幾度もあるんです」
「パリにいくとかですか」
「ああ、パリね。しかしぼくはニューヨークにいきたいんです。ニューヨークのソーホーあたりの安宿で、自分と戦ってみたいんです。自分がどこまで画家であるのか。そんな裸の戦いによって、絵というものが一つの深みに昇華していくもんだと思うんですね。上手いとか下手ということではなく、そういう技術的なものの底に横たわっている本質的なもの。その本質的なものこそ画家に一番必要なんですね。ぼくはもう三十五になるけれど、その戦いは早い方がいいと思っているんです」
 そんな話をしていると、美代子が二人の間に割って入ってきた。
「先生はどんな絵をお画きになるんですか?」
「どんな絵というか……」
 と説明に窮しているので、かわって長太が説明するのだった。長太は今年も彼の個展を見ている。長太は松永の絵が好きだった。
「ぜひ見てみたいですね」
「素敵ですよ。がっしりとした構成の静物画ですが、その色彩がとてもやわらかいんです。なんというのか、官能的なばかりに艶のあるタッチなんです」
「今度の先生の個展はいつあるんですか」
 と美代子はしきりに彼の絵のことをたずね、一度見てみたいと繰り返すのだった。
 その翌日、美代子からかかってきた電話で、なぜ彼女が松永の絵を見たがっていたかがわかった。美代子の叔母にあたる人が、近々横浜で高級レストランを開業することになっていて、その店のエントランスルームに架ける絵を探しているというのだ。松永の話をしたら、叔母はひどく乗り気になっているから、松永の絵と対面させる機会を早い時期につくりだしてくれないだろうかという電話だった。長太はよろこんでその橋渡しをした。
 果たして美代子の叔母は、松永の絵をひどく気に入って、なにやら松永を驚愕させるばかりの値がつけられ買い上げられたのだった。松永は長太にしみじみと言った。ぼくの絵がこんなに高く売れるなんて、これはぼくの絵の堕落のはじまりになる危険なことかもしれませんね、と。それほど切られた小切手は高額だったのだ。
 
 それがたった三週間前のことだった。
  その日の学校はまったく授業にならないようだった。先生が教室に入ってくるたびに、子供たちは新しい情報を求め、先生もまた子供たちからなにか情報をさぐりだそうとして、その日一日中授業する雰囲気ではなかったらしい。その騷動は塾にももちこまれ、生徒たちは興奮した口調でたがいの情報をたしかめあうのだった。
「女は永井だよ」
「三組のあいつな」
「三年生なのか?」
「そう」
「今日は学校にこなかったよね」
「あれじゃ学校にこれねえよ」
「これない、これない。登校拒否おこすよ」
「すっげえ噂だからな」
「だけどさ、どうしてばれたわけ」
「永井の親にばれたんだって。永井の親が、山口というPTAの役員しているばばあに話したら、そのばばあがすっごく問題にして、あちこちにばらまいて歩ったから、だんだん問題になっていったんだって」
「あのばばあならやるよな」
「やる、やる、ぜったいやる」
「おばさんはこわいよね」
「こわい、こわい」
「永井はかわいそうだよね」
「あいつ、きれいだからな」
「裸になるのがいけないのよ」
「でも、それは、松永がさせたわけだからさ。裸にさ」
「松永ってさ、ちょっとエロぽかったよね」
「マツコウも学校にこなかったよな」
「クビになるらしいね」
「クビ、クビ、もうクビになるにきまってんだろう」
 その騒動は長太にとって他人事ではなかった。松永との深い交流が生まれている。たった三週間前に会ったばかりの、もう長太には心を開きあった友人だった。窮地に陥っている友のために、なにかできることはないのだろうかと思うのだった。
 そのためにもまず真実というものを知りたかった。いったいどのようないきさつがあったのだろうか。ほんとうに彼は生徒を自分の部屋によびこんで裸にしたのだろうか。あの松永がそんなことをするのだろうか。
  その夜、美代子から電話があった。
「ああ、美代子さん。ぼくもいま電話を入れようと思っていたところです」
「松永先生、大変なことになりましたね」
「ええ、やっぱり新聞でみたんですか」
「それが横浜の叔母の電話で、夕方知らされたんですよ。いまあわててその新聞を読んだところなんです」
「どうもその記事だけではよくわかりませんね。見出しだけがどぎつくて。松永先生の側の取材はされていないでしょう。なんだかあの新聞の書き方に腹が立つんですよね。もし松永先生の側にたってみたら、まったく別の記事になると思いますよ」
「そうですよね。あの新聞でもう叔母はかあっとなってしまって、あの絵をキャンセルしたいってなんて言いだして……」
「キャンセルですか」
「ええ、生徒を裸にする教師なんて汚らわしいとまで言うんですから。結局そんな印象をつくりだしてしまう記事ですよね」
「書かれる側には、もうほとんど殺人的ですね。ああいう書き方ってないですよ。それでそのキャンセルの話ですが、本当にキャンセルしてしまうんですか」
「もちろんそんなことさせませんよ。もう契約は完了したんですし。松永さんのあの絵が素晴らしかったから購入したわけでしょう。お店に飾るだけの価値を持っていたから。たとえそんな事件があったとしても、絵の価値にはなんの関係もないことでしょう。でもどうも叔母は気になるようですね。とにかくお店の正面に架けるんだから、そんな新聞種になった絵は、いやだって言うんですね」
「叔母さんの気持ちは、分からないこともないけど」
「でも私たちは松永さんの味方であるべきですよね。どんなことがあっても。たとえそれが本当のことであっても」
「そうですね。そうあるべきだとぼくも思います」
「いまは松永さんに連絡をとるのは難しいんでしょうけれど、少し落ち着いたら松永さんを励ますために、三人で会いましょうよ。できたら叔母の横浜のレストランで。私はなんとしても松永さんの絵を飾らせますから」
 長太は美代子との電話のあとに、松永のアパートに電話をいれてみた。しかしむなしく呼び出し音がなるばかりだった。それから日をおいて何度か電話をいれたが、ついにその受話器は外れることはなかった。手紙を書いた。しかし彼からの返事はなかった。彼は学校にも出ていないようだった。

  十一月に入って、そのレストランは開店された。結局、長太は美代子と二人ででかけることになった。日曜日の夕方、大井町の駅で落ち合って横浜にでた。
 その店は長太の入れるようなレストランではなかった。いかにも貧乏人はお断りとでもいうように、まずドアを開くと深々とした絨毯をしきつめたロビー風の部屋に入る。そこには何脚もの椅子がならんでいて、客はまずこの部屋で食前酒を飲みながら、食事を待つのだ。その部屋の正面の壁面に三点の絵が架けてあった。
 その二点はすでに名をなした画家たちの絵だった。なんとその大家たちの絵を両側にはさんで、松永の絵が架かっているのだ。ほんのりと緋色に染まったテーブルクロスに、かっちりと置かれた白い陶器やにぶい緑色の西洋梨、そしてきらりと透明な光りを放つ背の高いグラス。その静物画は松永の一つの到達点であるかのようなゆるぎない緊張でひきしめられた画面だった。その重厚で鮮烈な絵をはさんだ大家たちの絵はちょっと色あせて見えた。
「いい絵ですね。ぴったりだわ。この雰囲気に。あらためて松永さんの絵に惚れ直しましたよ」
「あの大家たちの絵が、なんだか気の毒ですね」
「ほんとうに。あの絵を手に入れるために、それこそ松永さんの絵の何十倍ものお金が必要だったんでしょうが。でも結局叔母たちも松永さんの作品が断然光っているから中央に架けたんですよ」
「松永先生を連れてきたかったですね」
「やっぱり連絡はとれないんですか」
「手紙も出したんですが、しかし、いまはだれとも会いたくない気持ちなんでしょうね」
「そういう気持ちわかります。いまは無理ですけれど、もう少し時間をおいてからまたきましょうよ、松永先生と」
 その騒動は、結局松永が退職するということで終焉していった。そしてとうとう長太や美代子の前に姿をみせることなく、まるでこの地上から忽然と消え去るように何処かへ立ち去っていったのだ。
 松永は長太にしきりに学校の先生を辞めたいと言っていた。自分は果たして画家になる魂を持っているのどうか、まだ一度もそのことに向き合って戦ったことがない。自分はもうそろそろ裸になって、画家になるための道を歩き出さなければならないと言っていた。そんな渇きをもっていた彼は、渡りに船とばかりに教師生活を投げうって、彼のあこがれの地であるニューヨークに渡っていったのかもしれなかった。
 しかし長太には、松永がそんな簡単に割り切って逃亡してしまうような人間には思えなかった。受難が彼一人ならば、そんな割り切り方だってできるだろう。しかし今度の事件には被害者がいたのだ。彼のモデルとなって裸にされた生徒が。彼女もまたあの新聞記事が出てから、一度も学校にいっていないようだった。受験の三年生だった。その一番大事な時期に学校にいけなくなってしまったのだ。その少女もまた吹きまくる嵐を、じっと身をひそめて耐えているのだろう。
 それは事件から五か月たった四月のことだった。長太のぼろアパートに突然松永から手紙が屈いたのだ。分厚い書簡だった。便箋七枚にびっしりと書き込まれていた。長太はその文字を走るように追いかけていった。
〈……何度も手紙をいただき申し訳ありませんでした。繰り返し繰り返し読みましたが、どうしてもぼくには手紙は書けませんでした。ぼくはじっとある場所に身を隠していました。堪え難いばかりの時間が流れていきました。いまこうしてあなたに手紙が書けるようになったのは、ぼくの精神が多少健康になった証拠かもしれません。まるで牙をむいて襲いかかってきた悪夢のような出来事のいっさいを、ぼくはまだ誰にも話したことはありません。あなたに話すのが最初にして最後になると思います。この事件に自分自身で心の決着をつけるために書きます。迷惑かもしれませんが、読んでいただきたいと思います。
 ぼくがいままで懸命にむきあってきたのは静物画でした。静止した静物の背後にあるもの、その物質のなかにひそむもの、物と物から放射されてくる力の均衡というものを描くことに、ぼくは傾倒してきました。それが近年しきりにそこから抜け出ようとしていました。むしょうに人間が描きたくなっていたのです。生きた人間です。女性の肉体です。女性の肉体の生と性の沃野を。ぼくのからだが乾いていたのかもしれません。あるいはそれは高揚していくぼくの精神のためかもしれません。ぼくはこの一年、こっそりとモデルクラブから女性を自宅によんでヌードを描くようになっていました。べつにそのことは教師の逸脱した行為だと思いませんが、そのときからすでに危険な道に踏み出していたのかもしれません。
 その少女は、ぼくのなかのエロスというものをかきたてるのでした。もう子供ではありません。少女のなかに大人の性がすでにしのびこんでいます。しかしまだ大人ではありません。それは人間の成長のなかで最も微妙で神秘にみちた一瞬なのでしょう。不安の揺らめき、光と影がもろく妖しく交差していく。光がはじけるその直前の青いきらめき。少女がぼくの部屋にくるたびに一枚また一枚と衣服がはがされていくのでした。ぼくはその抗しがたい魅力に引きずり込まれていきました。まさしくぼくが描きたかったのはその肉体だったのです。ぼくは熱情のなかで少女を描いていくのでした。
 そんななかの一冊のスケッチブックを、家でゆっくりみたいからと彼女はもち帰えりました。そのスケッチブックがあの騒ぎを引き起こすのでした。ある日、校長に呼ばれて校長室に入っていくと、そこに少女の両親と、Yという人物がいました。このYという人物がこの騒ぎをたきつけたのです。Yの手にはその少女を描いたぼくのスケッチがありました。それは少女がもち帰ったスケッチブックから、卑猥な印象を与える場面をコピーしたものでした。Yはそのコピーをみんなの前でひらひらさせて、これはレイプに等しい行為、いやそれ以上の猥褻行為だと激しく非難するのでした。ぼくはそのとき、悪徳教師、好色教師という罵倒にただただ耐えているばかりでした。
 話は前後しますが、あの新聞に報じられたときは、実はこの騒動は一段落するところだったのです。あの新聞報道がなされるずいぶん前に、Yの猛烈な扇動によって、すでに教育委員会がのりだしてきて、この騷動の調査というものが進行していたのでした。その調査というものを進めていくと、次第にあきらかになってきたのはYというただならない人物の挙動でした。
 彼女はこの騒ぎをさかんに扇動する一方で、実は金を要求していたのでした。学校に、そしてぼくにも金の要求がありました。もしこのことが外にばれると大変なことになる。学校も傷つくし、ぼくもまた刑事事件で裁かれ、懲戒免職どころか一生が台無しになる。そのことを食い止めるにはここで慰謝料というもので、すべてけりをつけたらどうかとYはもちかけてきたのでした。その金を支払えばすべてまるくおさまるというのです。その要求してきた額というものは、ぼくの退職金でも支払える額でした。愚かなぼくはその要求に屈して、すべてを精算して旅立とうという誘惑にかられるのでした。こういう解決もあったのです。金を払い、ぼくが退職すれば、すべてがきれいにおさまるのです。
 しかしそんなぼくの卑劣さを打ち砕くようなことが起こったのです。その調査というものは、当然少女の話も聞かなければならないのです。少女はそのとき調査委員の前で、はげしく大人たちを攻撃したのでした。スケッチブックを無断でコピ一した卑劣さを。こうして騒ぎを大きくしていく大人たちの暴力を。そして、どうして先生が悪いの、どうして私を描くことが悪いの、どうして先生が猥褻なのと、少女は全身を震わせ泣きながら抗議したというのでした。ぼくはそのことをあとで校長から知らされ、金で解決しようとした自分がどんなに卑劣な人間だったかを思い知るのでした。その調査は少女のはげしい抗議によって急速にしぼんでいくのです。すでに少女の両親は、Yの扇動にのった自分たちを、深く恥じてこの騒動からおりていたのです。しかしこの展開に我慢できないのがYでした。思うように展開していかないことに苛立ったYは、とうとうマスコミに流すという手に出たのでした。
 あの新聞記事は、ぼくにとって牙そのものでした。ぼくは逃げ回りました。新潟から、能登に、そして鳥取へと。ひたすらこのすさまじい嵐から逃げ回っていました。そんなぼくに同僚が、少女の近況を伝えてくれました。少女もまた学校にはいかなくなりました。しかし彼女が学校にいかないのは、みんなに説明するのが面倒くさいからだけなのだと言うのです。こんな世間の騒ぎなど自分はなんとも思わない、私は少しも汚らわしいことをしたわけではないから、と。そして家でいましっかりと受験勉強をしているというのです。
 なんというこの毅然とした気高さ。哀れに逃げ回るぼくは三十五歳になった男。彼女はまだたった十三歳をこえたにすぎない少女。このはげしい人間の落差。人間の高さに年齢というものはまったく関係がないのでしょうか。牙をむいて襲いかかった嵐に、一人毅然として立ち向かう少女の姿に、ぼくは叩き伏せられるばかりでした。ぼくは東京にもどってきました。そして手がけていたその像を描くことに再び立ち向かっていったのでした。少女の像です。愚かなことにいったんは破り捨てようとした像です。ぼくはその像に立ち向かっていきました。不思議なことに、あんなにおびえゆらめいていた気持ちがすうっと消えていきました。そしてぼくにまた新しい力がこんこんと湧き立ってくるのでした。
 この手紙があなたの手に渡る頃には、ぼくはニューヨークにいるはずです。ソーホーの安ホテルに泊まって、部屋探しに明け暮れているでしょう。やっと本物の芸術家の魂をつくりだすことに挑戦する時間を持つことができたということでしょうか。当分のあいだ日本に戻らないつもりです。十年、いや二十年、いやひょっとするとぼくはもう永遠に日本にはもどらないかもしれません。この国を捨てて、かの国でぼくの樹を打ち立てるという覚悟で新天地に渡っていきます。
 この長い手紙をしめくくるにあたって、一つあなたにお願いがあるのです。少女の絵です。先週その絵を完成させました。そして勝手ながらその絵をあなた宛てに送り出します。五十号ほどの大きな絵ですから所蔵することに困るかも知れませんが、この絵をいつか、このいまわしい騒動がすっかりおさまったときに、そして少女がしっかりと新しい道を歩きはじめたときに(それはあなたが判断なさって下さい)、彼女にこの絵をみせてほしいのです。そのときぜひこういう言葉を伝えて下さい。ぼくはこの絵を描くことで画家としての本当のスタート地点に立てたと。そしてぼくが真の画家になることがあったとしたら、この絵こそその原点であったと……〉
 その翌日、長太のもとに木枠で梱包された大きな荷物が届くのだった。梱包を解くと、なかから胴色の重厚な額にはいった絵があらわれた。スリップ姿の少女が、木組みの椅子に、ちょっとだらしなくなげやりな姿態で座っている。少女の華奢なからだを包む白いスリップが鮮烈だった。青い果実のような胸のふくらみ。ほんのりと乳首がうきでている。胸から腰に、腰から尻に流れていく。手を触れただけで傷つかんばかりの繊細でやわらかい曲線。大胆に投げ出された脚のたくましい若さ。はじらいをみせてなにかを求めているその手の可憐さ。聖と性の光を描いたその絵は、なにかごくりと唾をのみこむばかりに官能的だった。
 長太は知るのだった。松永はまだ無名の画家だった。しかしここにこんなに深い衝撃をあたえる絵が投げ出された。そのことでもうすでに松永は画家だった。それは長太が身動ぎできないばかりの見事な絵だったのだ。



 
 
 

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