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実朝と公暁  四の章

実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。 ──小林秀雄

   源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴史資料が無きに等しいところからくる。
 しかし鎌倉幕府の公文書とでもいうべき『吾妻鏡』を、なめるようにあるいは穴の開くほど眺めていると、この公暁がほのかに歴史の闇のなかから姿をみせてくるのだ。というのもこの『吾妻鏡』のなかに「頼家の子善哉(公暁の幼名)鶴岡に詣でる」とか「善哉実朝の猶子となる」といったたった一行のそっけない記事が記されていて、それもすべてを並べたって十行余にすぎないが、しかしそれらの一行一行の奥に隠された公暁の生というものに踏み込んでいくとき、そこから公暁はただならぬ人物となって現れてくるのだ。
 それは歴史学者たちが好んで描く、実朝暗殺は幕府の重臣たちの権力闘争であったとか、北条一族が権力を握るために公暁に暗殺させたとか、公暁が狂乱の果てに起こした刃傷沙汰だったといったことではなく、なにやら公暁なる人物が、主体的意志をもって時代を駆け抜けていった事件、公暁が公暁になるために──すなわち鎌倉に新しい国をつくるために画策した事件であったという像が、ほのかに歴史の底から立ち上ってくるのだ。
 したがってこの謎に包まれた事件に近づいていくには、暗殺の首謀者である公暁を、どれだけ歴史のなかから掘り起こしていくかにある。もし公暁に生命を吹き込むことに成功したとき、私たちははじめてこの歴史の闇のなかにかすかであるが、一条の光を射し込ましたということになるのであろう。


四章

 三浦義村は幕府から戻ってくるなり出迎えた武者に、
「光村はいるか、光村を呼べ」
 と命じると、単衣を脱ぎながら部屋を横切り、渡り廊下から湯殿に向かった。ばっさりと袴も脱ぎ捨て湯殿に入ると、水槽から冷水を桶にくんで立ったまま肩から浴びせる。右の肩から左の肩からと交互に七度八度と繰り返す。外から戻ると義村はかならずそうした。
 それは真冬でもそうで、切り裂かれるばかりの厳寒の日でも彼は冷水を浴びた。汗を拭うということもあったが、子供の頃から身につけた習慣だった。三浦一族は年が明けた元旦に冬の海に飛び込むことが行事になっていた。病弱だった義村はこの行事のために日頃から冷水を浴びて、からだを鍛えておかねばならなかったのである。いまでも正月には三浦半島に戻り一族の者たちと冬の海に入っていく。
 義村は海が好きだった。鎌倉もまた海が広がっているが、しかし義村には鎌倉の海と三浦の海はまるで別のように思えた。三浦の海はもっと青くもっと野趣にあふれていた。その三浦の海が恋しくなにかと理屈をつけて三浦にでかけていく。
 冷水を浴び、洗いたての常着を羽織って母屋の板の間に入っていくと、廊を高い足音をたてながら光村がやってきた。裏山から飛んで戻ってきたのだろうか、荒い息をさせながら、
「父上、お呼びでしょうか」
 一昨年元服の儀を鶴岡宮で行ったが、それから彼の振る舞いがどんどん大人びたものになっていった。その容姿も少年から若者になって、若者の強い体臭がぷうんと部屋にただよった。もうそれは男の匂いだった。
「お前は明後日、京に向かって旅立たねばならなくなった」
「私がですか」
「そうだ、公暁さまが鎌倉に戻ることになった、そのお出迎えをするためにだ」
「善哉さまが鎌倉に戻ってこられるのですか!」
 その声は驚きと喜びで弾むようだった。
「そういうことになった、公暁さまは鶴岡宮の別当に就かれる」
「そうですか、善哉さまが」
 善哉とは公暁の幼名である。公暁と呼ぶと何か別の人物のように思えるのか、光村はその幼名を繰り返した。生誕すると同時に義村の妻にあずけられた公暁は、義村の妻の乳房を口に含んで成長してきた。だから光村にとって公暁は兄のような存在なのだ。
「お迎えにいくのは、海野悪太郎以下七名が選任された、お前が一番の年少だが、公暁さまを一番よく存じあげているそちが加われば、道中公暁さまも安じられるということで選ばれた、お前にとっても最初の幕府の仕事になる、しっかりとその勤めを果たせよ、明日幕府でその打ち合わせがあるが、いまから旅立ちの備えをしておくがよい」
 三浦の重臣たちが次々と広間に集まってきた。いつも幕府から戻ってくると義村は重臣たちを集めて閣議の報告をする。三浦邸には常時六十人もの武者が常勤していた。三浦本家や領地の事務をつかさどる者、幕府の仕事をする者、侍所に出仕して鎌倉を護衛する者、さらには林間を開墾する者と。それらの仕事がこの広間で報告されたり討議されたりしていく。
 この日の話題は何といっても公暁が鎌倉に戻ってくることだった。三浦一族にとって公暁は身内同然の人物だったのである。その席に座した重臣たちの誰もが幼い頃からの公暁を知っていた。その席が公暁の話で花が咲いたようになった。
「よちよち歩きの善哉さまが瞼に浮かんでくる、あの善哉さまが鶴岡の別当に就かれるなんて夢のようだ」
「善哉さまが鎌倉を発たれたときは何歳であったかな?」
「たしか十二歳になられていた」
「それから七年、十九歳になられている、さぞ立派な青年になられたことだろう」
「まったくあの方の無頼には、われら翻弄されましたなあ」
「しかしどんな悪戯をしても、さすが鎌倉どのの血をうけた子供だと感心しきりでござった」
「不思議な子供でした」
「そうそう、おのおの方も覚えておられるであろう、三浦での失踪騒ぎを」
「三浦の子供を引き連れて海を渡った事件だな」
 それは公暁が九歳のときのことだった。三浦の居城がある三浦半島に滞在していたとき、公暁とともに村の子供たちが忽然と消えて大騒ぎになった。夜を徹してあちこち探索の手をのばしたが行方は沓うともしれない。子供たちは小舟を操り、海峡を越えて下総の半島に渡っていたのだ。
「いやいや、もっとすごいのは鎌倉での事件だった」
「あれもまた鎌倉中が大騒ぎになりましたなあ」
「何しろ御家人さまたちのご子息十五名でしたか」
「いや、十七人だ」
「十七人の御子息が忽然と鎌倉から消えたのですから、それはもう鎌倉中が上の下の大騒ぎでしたね」
 それは公暁が十一歳のときだった。御家人屋敷の子供たちと遊びの集団をつくっていた公暁は、その仲間を引き連れて深夜こっそりと三浦めざして鎌倉を抜け出したのだ。公暁はすでに子供の頃から、仲間を扇動し事を起こしていく天性の素質を持っていたのである。
「だいたいあの方は仏門に入るお人ではないのだ」
「さよう、武勇もすぐれていた」
「人馬一体となって、高原を駈け抜けていくお姿は、まことほれぼれするばかりでしたなあ」
「成長したお姿に、我らは鎌倉どのの姿を見るのではないか」
「さよう、公暁さまこそ鎌倉の新しい棟梁となるお方なのだ」
「私もそう思う、鶴岡宮の別当に就かれるのは、やがて将軍になられるその最初のお仕事ということではないか」
 いつも義村は家臣たちに自由に談義をさせる。この日も弾む彼らの談義に耳を傾けていたが、次第に不安になっていった。これらの声が他の御家人たちに漏れたら、ただならぬ話に捏造されていく。警戒しなければならぬことだった。
「公暁さまの話はもうよい、くれぐれも申し渡しておくが、いまのような話を他の席でしてはならぬぞ、そのような話に尾ひれがつきどんどんふくらみ広がり渡っていく、この鎌倉で起こった事件の数々は、いずれもその発端は讒言からだった、いまのそちたちの話も三浦を貶めようとする勢力にとっては格好の餌になるはずだ、くれぐれもいまのような話を他所でしてはならぬぞ」
 と義村は重臣たちに釘をさした。
 その夜、義村の妻麻の方が、何か浮き浮きした様子で切り出した。
「公暁さまが戻ってくるって、それはもう慶子のはしゃぎようったらないのですよ」
「そちもうれしいのだろう」
「もちろんです、私の乳を含ませて育てたわが子同然の子ですもの、しかし慶子の喜びは私とは違います、あの子にとって恋人が帰ってくるということなのですよ、降るように舞い込む縁談を次々に断るのは、ただただ公暁さまのことがあるのです」
「困ったものだ」
「何でも公暁さまは京に向かって旅たたれる前日、慶子のもとにやってきて、必ず鎌倉に戻ってくるからその日まで待っていてくれって、慶子はそのことをひたすら守りつづけているのですから」
「他愛のない子供の遊びのような約束ごと、愚かなことだ」
「そうでしょうか、愚かなことでしょうか」
「愚かなことだ、もう子供ではないのだ、そんな他愛のない約束など、子供の戯れ言だということがわかってもよい年ではないか」
「それを幾ら説明しても慶子にはわからないのです、公暁さまが鎌倉に戻ってくるときは、その約束を果たすときだと本気で信じているのですよ」
「馬鹿げたことを、どうしてそんなことがわからぬのだ、それをわからせるのはそちの務めでもあるぞ」
「私とていったい何度あの子に説いたことか、でもあの子にはどのように言っても通じないのですよ、恋は人を盲目にさせるばかりです」
「家臣たちにも厳しく言い渡したことだ、公暁さまは鶴岡の別当となって帰ってこられる、もはや以前のようになれなれしく口をきくことはできない、以前のような親密な関係をつづけたらあらぬ噂をたてられる、これからは公暁さまと距離を置かねばならぬ、慎重にしなければならないのだ、慶子にしてもそうだ、公暁と夫婦になるなど、とんでもない戯れ言だ、明日にでも慶子にそのことをしっかりと伝えてくれ」
「それはあなたのお仕事だと思います、私の説諭などもうあの子の耳を素通りなんですから、今度はあなたの出番です、少し強く叱って下さらなければ、あなたは慶子には甘いのですから」
 それは義村にとって耳の痛い指摘だった。たしかに甘い。甘すぎる。
「どうなのでしょうか、私が思案するに、公暁さまは鎌倉には戻らぬほうがよいのかと、何かよからぬ企みが進行して、そのなかに巻き込まれていくのではないか、そんな不安で一杯になります、三浦にとっても、公暁さまは戻らぬほうがよいのではないでしょうか、またあの義盛さまの事件のようなことが起こり、三浦も再び巻き込まれていくのではないか、そんな不安もまたもたげてきます」
 それは義村の不安でもあった。鎌倉は平穏に見える。しかしそれは表面上のことであって、その底で力の網引きが行われている。その網引きは次第にただならぬ様相を見せはじめているのだ。実朝がいままでの実朝ではなくなってきた。象徴としての存在である将軍から脱却しようとしている。実朝は危険な存在になっていくのだ。それはまた北条一族がより危険な存在になっていくということでもあった。義村はこの危機を全身で感じていたのである。

 


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