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竹取村のかぐや姫  はじめの章


明科神宮寺に七百五十年眠っていた
竹取村のかぐや姫

 
          はじめの章 
 
 まあまあ、いらっしゃい、大きくなって、もう夏海ちゃんではなく夏海さんですね、ああ、なんてことなの、一瞬、お母さんが現れたのかと思ったぐらい、ほんとうにお母さんに似てきた、大学の国文科に合格しましたっていう手紙をもらったとき、ぱあっと思い浮かんだのは、お母さんと一緒にこの「お話のおうち」にやってきたときの夏海ちゃん、あなたはいつもここにくると「おばさん、おばさん、あのお話して」って、あのお話っておぼえているかしら、夏海さんがその頃一番好きだったお話、
 
 昔昔のことでごせえますよ、ある村に、お爺さんとお婆さんが住んでおったんでごぜえます、お婆さんは、川へ洗濯に、お爺さんは、山へ芝刈りにいったんでごぜえますが、お爺さんは峠をこえると、よっこらしょと背負子をおろし、鎌さとって、芝を刈ろうとしたそんとき、ぷっとおならをしたんでごせえます、お爺さんは、芝を刈らずにくさ(草)かったんでごせえますねえ。
 
 あなたはこの話しをはじめると、両手を口にあてて、もう笑うまい笑うまいと必死にこらえるけど、お爺さんがぷっとおならをしましたっていうところにくると、もうこらえきれなくなって、かわいいお口をいっぱいあけて、ははははって笑って、なんてかわいかったんでしょう、あなたのその笑い声だけで、おばさんは元気もりもりになったものよ。
 お母さんが亡くなってもう四年になるんですね、おばさんはいつもお母さんが亡くなった日には、お母さんが出した本や論文をいっぱいここに積んで、お母さんの好きだったワインをあけて、おばさんはお酒は飲めないけど、でもその日はちびりちびり飲みながら天国のお母さんとお話ししているのよ。
 夏海さんもお母さんが亡くなって、つらい日が続いたんでしょうけど、とうとう大学生になったのね、国文科に入って民話の研究をしたいなんて、やっぱりお母さんの魂があなたのなかにしっかりと流れているってことなのね、あなたもこれからだんだんわかっていくことですけど、お母さんは立派な仕事をした国文学者でした、お母さんの名前を一躍有名にしたのが、ここにある「竹取物語論」という本、この本にはおばさんもいっぱい思い出があるの、お母さんは民話を採集するために日本各地を回っていましたけど、その取材の旅の帰りにはいつもここに寄って、新しく採集してきた民話をそれはもう目をきらきらさせて話してくれたの、そのお母さんが、あるときこうおばさんに訊いたことがあるの、三好さんは竹取物語を語らないんですかって。そう訊かれたからおばさんはこう答えたの。
「ああ、あれは、ぜんぜん好きになれないの」って、そしたらお母さんも、まったく同じだというじゃないの、それからもう二人で「竹取物語」をぼろくそにけなしあったのね、なあに、あのかぐや姫っていうのは、上げ膳下げ膳のお嬢様暮らしで、さんざん男をもて遊んでおいて、お迎えがきたからって、はい、さようならって月に帰っていく調子のいい女じゃないのってね、いったいあの姫は、何をしに地球にやってきたんだろうね、あの姫がやったことといったら、お爺さんに成金御殿をたてさせたことぐらいじゃないの、いってみれば、成金思想とか拝金思想とかが物語の根底にある、それに天皇だけにはひらひらと媚びを売るいやらしさ、日本人のもっている、もっともいやらしい精神をたっぷりと縫いこんだ物語ということになるんじゃないの、出てくるのはつまらない男ばかりだけど、唯一まともなのは大伴御行(おおとものみゆき)という男ぐらいで、彼だけはちゃんとかぐや姫の正体を見抜く、あの女は大悪党だって。
 二人でそんなふうにさんざんけなしたら、なんとその一年後に、お母さんは「竹取物語論」を発表したの。「竹取物語」は欠陥だらけの底の浅い、精神の貧困さを露呈した文学であり、このような貧弱な物語を、まるで物語の源流のようにたてまつってきたために、日本の文学は五百年遅れたという論を張って、もうそれは言葉するどく論じていった、この本が世にでると大変な反響をよんで、国文学の世界だけでなく、新聞や雑誌までその騒動はひろがっていって、あちこちで竹取物語論争が起こったの、学者の世界は封建的だからその本はひどい攻撃を受けたけれど、攻撃されれば攻撃されるほど、いよいよこの本の真価が光かがやいて、その騷動がおわってみると、それまで古典文学の神様的存在だった竹取物語は、無残なばかりに地に引きずり下ろされてしまった。
 しかしお母さんがこの本を書いた目的は、この物語の価値を暴落させることでも、地に引きずり下ろすことでもなかったのね、この本の最後の章で書かれていることだけど、竹取物語にはたった一行だけ、不思議な言葉が書かれている、それは月からの使者がきて、かぐや姫を迎えるときその使者が言った言葉、姫は月の世界である罪を犯した、その罪のために地球に追放された、しかしその罪もいま許されて月に帰ることになったってね、いったいかぐや姫は月でどのような罪を犯したのか、そして地球でどのようにしてその罪をつぐなったから月に帰還することができたのか、その謎をひめた一行があることによって、竹取物語の価値はかろうじて救われている、この一行があるために竹取物語は、現代によみがえる道が残されているって、お母さんはその最後の章で書いたの。
 そしてもし現代の物語作家が、この謎の一行に光をあてて新しい竹取物語を書いたら、原典である古い竹取物語そのものもまた、新しい生命を吹き込まれて現代に蘇っていくだろ
うってね。つまり「竹取物語論」は、現代の物語作家たちに対する挑戦でもあったのね、一千年も生きてきた日本の物語の原形をなす作品を、新しい物語に再創造して蘇らせてほしいってね。
 しかしそんな物語は生まれなかった、鋭い問いを投げかけたお母さんも去ってしまった、竹取物語は結局はそれだけのものだと思っていたの、ところがつい最近、おばさんはお母さんが待望していたその作品にとうとう出会った、ここから車で一時間も走れば明科という町に出るけど、そこに明科神宮寺というお寺さんが建っている、鎌倉時代に建立された古い古いお寺で、その神宮寺の裏に土蔵が建っていたけど、信州の地を襲った台風が杉の大木をなぎ倒して、その土蔵の上にどっと落下したの、打ち砕かれた土蔵はもう解体する以外になく、その作業を進めていると、その土蔵の下が地下蔵になっていてね、そこに鎌倉時代の大量の文書がたくさん所蔵されていた、そのなかに、
 
『三浦家所蔵新編竹取物語』
 
 という古文書が紛れ込んでいたのね。歴史をひもとけばわかることだけど、三浦家というのは鎌倉時代に三浦半島に興隆した一族で、頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、幕府をささえてきた豪族であったけど、宝治元年に、いわゆる宝冶の乱で、三浦一族は法華堂にたてこもって、一族五百余名がことごとく自害してしまった、そのときその乱が起こる直前に、三浦家再興のときのために三浦家所蔵の文書などを、はるか信州の地にまで運んできたと伝承されてきたけど、その文書の発見によってその伝承が裏付けられたということになる、明科神宮寺もまたその一族が建立したものだったんですからね。
 その古文書は、信州大学の小山先生たちのグループによって解読され、いまもその作業は続行中だけど、おばさんは小山先生とは昔からのお友達で、毎月のように小山先生はこの「お話のおうち」にやってきて、一行一行の解読の成果を説明してくれるのだけど、それはもうぞくぞくするばかりの興奮の日々で、なによりも驚いたことは、なんとその物語には、お母さんが指摘した、かぐや姫が月の世界で犯した罪がなんであったかという謎が、それは見事に解き明かされている、なにかこの鎌倉時代に書かれた物語は、その謎の一行に光をあてるために書かれたのではないかと思われるばかりなのよ、ということは、なんと八百年も前の鎌倉時代に、お母さんや私たちと同じことを考えていた作家がいたということになるわね。 竹取物語を面白くしているのは、かぐや姫に求婚した五人の皇子の冒険譚といったものだけど、その冒険というものがどれもこれもけち臭いというか、こすっからいというか、嘘をついたり、偽装したり、山中に身を隠したりと、その頃の貴族の実態を暴いているといえばそれなりの意味があるのだろうが、まあ、けちくさい人物ばかり、ところが、この神宮寺で発見された竹取物語には、五人の皇子たちが、人間の苦悩もった人物として描かれている、彼らが背負ってしまった悲劇には、なにやらシェクスピアの劇のような深さがある、そうして皇子たちを実際に、海ヘ、陸ヘ、砂漢ヘと旅だたせている。そのことがこの物語を宇宙的規模にしているの。
 五人の皇子の物語のなかで、最後に登場するのが、石作皇子という皇子だけど、この皇子が長い放浪の旅を終え、瓦礫の山にぬかずいて慟哭しながらいう台詞がある、その場面でおばさんも思わず慟哭してしまったのは、この物語がまさに人間の苦悩というものを彫り込んでいるからなのね。
 そしてこの竹取物語をさらに魅力的にしているのが、原典にはない永吉という若者を登場させたことにあるの、竹取物語はもともと貴族たちを登場させた貴族の物語だったけど、この鎌倉時代の作者は、貧しい竹採り村の若者を登場させることによって、庶民の物語にしてしまったのね、永吉を登場させることによって、かぐや姫は人々に愛される姫になったともいえるでしょうね、永吉に愛されるかぐや姫はなんて愛らしいんだろう、だからこそ姫が月に帰っていくシーンが、一層ドラマチックになっている、どうしてこんな作品が七百六十年も眠っていたんだろう、もしこの物語が鎌倉時代に、いいえ、室町時代でも江戸時代でもいい、世にでて広く読まれていたら日本の文学は、もっとちがったものになっていたでしようね。
 夏海さんから、大学の国文科に合格しましたって、はずむようなにうれしい手紙をもらったとき、入学のお祝いになにか贈り物をしたいといろいろ考えた、でもおばさんは貧乏だから高いものは買えない、それでね、あなたへの贈り物はこれしかないって思ったのよ、だからここにきてもらった、この文書の解読作業も間もなく終了して、その全文が近々に公表されるでしょう、でもいまはまだれにも話されていない、だからいまここでお話しするのは、世界最初の初演ということになるわね、これから日本の民話を研究しようとする夏海さんに、そして夏海さんのなかで生きている私の大切なお友達に、鎌倉時代の円空さんが草した「かぐや姫」を、おばさんは夏海さんの入学のお祝いに語っていきたいの。



 
 

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